< 仏陀最後のことば >



 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起り、赤い血が迸り出る。死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。


 さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。

「かしこまりました」と、若きアーナンダは答えた。


このように、わたしは聞いた。

鍛冶工であるチュンダのささげた食物を食して

しっかりと気をつけている人は、ついに死に至る激しい病に罹られた。

菌を食べられたので、師に激しい病が起った。

下痢をしながらも尊師は言われた。

「わたしはクシナーラーの都市に行こう」と。

それから尊師は退いて、一本の木の根もとに近づかれた。

近づいてから、若きアーナンダに言った。

「さあ、アーナンダよ。お前はわたしのために外衣を四つ折りにして敷いてくれ。わたしは疲れた。わたしは坐りたい」

「かしこまりました」と、アーナンダは尊師に答えて、外衣を四重にして敷いた。

尊師は設けられた座に坐った。坐ってから、尊師は、若きアーナンダに言った。

「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ。」

こう言われたので、若きアーナンダは尊師にこのように言った。

「尊い方よ。いま五百の車が通り過ぎました。ここにあるその河の水は、車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れています。かのカクッター河は、遠からぬところにあり、水が澄んでいて、水が快く、水が冷やかで、清らかで、近づき易く、見るも楽しいのです。尊師はそこで水を飲んで、お体を冷やして下さい。」


そこで尊師はその水を飲まれた。


ブッダは、水の清く快く澄んでいるカクッター河におもむいたが、

師は体が全く疲れ切って、流れにつかった。

世に比ぶべき者のない完き人であったが。

師は沐浴しまた飲んで、流れを渡り、

修行僧の群れに中にあって先頭に立って行った。

この世で諸々の法を説く師・尊師・偉大なる仙人は、

マンゴーの林に近づいて、

チュンダカという名の修行僧に告げた。

「わがために衣を四つに折って敷けよ。わたしは横になりたい」と。

かれチュンダカは、修養をつんだ人(釈尊)にうながされて、

たちどころに外衣を四つに折って敷いた。

師は全く疲れ切ったすがたで、臥した。

チュンダもそこに(釈尊の)前に坐した。

そこで尊師は若きアーナンダに告げられた。

「誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起させるかもしれない、<友、チュンダよ。修行完成者は差し上げた最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益がなく、お前には功徳が無い>と言って。

アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言ってとり除かれねばならぬ。

<友よ。修行完成者は最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを、わたしは尊師からまのあたり聞き、うけたまわった、・・・この二つの供養の食物は、まさにひとしい実り、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。その二つとは何であるか?修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したと、および、このたびの供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとことである。この二つの供養の食物は、まさにひとしい実り、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。鍛冶工の子であるチュンダは寿命をのばす業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは容色を増す業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは幸福を増す業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは名声を増す業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは天に生まれる業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは支配権を獲得する業を積んだ>と。

アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言ってとり除かれねばならぬ」と。

そこで尊師は、その趣意を知って、そのときこの感興のことばを述べられた。

「与える者には、功徳が増す。

身心を制する者には、怨みのつもることはない。

善き人は悪事を捨てる。

その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた」と。


 「尊い方よ。修行完成者のご遺体に対して、われわれはどのようにしたらよいのでしょうか?」

「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。アーナンダよ。王族の賢者たち、バラモンの賢者たち、資産家の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して浄らかな信をいだいている人々がいる。かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう」


「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、・・・すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。

アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身と言葉と心との行為によって、向上し来れる人(仏陀)に仕えてくれた。アーナンダよ。お前は善いことをしてくれた。努め励んで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう


 「わたしは29歳で、何かしら善を求めて出家した。

わたしは出家してから50年余となった。

正理と法の領域のみを歩んで来た。

これ以上には<道の人>なるものも存在しない」


 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである


そこで尊師は修行僧たちに告げた。・・・

 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」

これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。



(「ブッダ最後の旅」中村元)





< 慧能最後のことば >


 「門人の皆の者、さようなら、いま君たちと別れねばならぬ。

わたしの去った後、世間の人々のように嘆き悲しんだり、人の弔問や供物を受けてはならん。喪服を着けるのは釈尊の法ではない、私の弟子でもないぞ。

わたしの生前とまったく同じようにして、揃って打坐し、ただもう動無く静無く、生無く滅無く、去ること無く来ること無く、是も非も無く、留まることも無く、落ち着いて静まりかえっている、これが大道である。わたしの去った後は、ただ教えを拠り所に修行さえすれば、わたしと共に過ごした日々と変わりがないのだ。わたしがもし生きていても、君たちが教えの道を踏み外してしまえば、わたしが世に留まることも益はなかろう

大師はこう語り終えられて、夜の三更になって、静かに遷化された。

大師の寿齢は七十と六歳であった。


(六祖壇経)





< 入滅の解釈 >



 仏陀の超人性は道徳律の適用によって教理の根拠を得た信仰となったのであるが、これについては二の重要な注意すべき点が含まれていることを考えねばならぬ。その一は、たとえ超人であっても、因果律の支配を受けて居るということ。道徳的因果律は人間の中を支配する理法と考えられるものであるが、仏教に於いては、人間には環境世界が不可欠の結合要素として認められて居るから、この因果律は当然世界にまで及ぼされて居るのであるし、その上、人間以上の超人にまで適応されるから、広範囲にわたる理法である。その二は、仏陀は既に歴史以上になって居ること。超人は吾々の経験世界にはあり得べからず存在であって、歴史的には到底人間の中に住するとは認められないものである。この第一と第二との間には調和すべからざる矛盾も含まれて居るが、然し、仏陀自身の自覚の中にも、また弟子の見た仏陀の中にも、常に人間性と超人間性とが存して居て、理論はともかくとして、実際上並存して居たのである。今、超人性が根拠を得ることになっても、人間性が全く離れ去ったのではなくして、最古の経典に於けるが如く、一方に於いては歴史的の釈尊たる所が失われずに存するのである。その中の最も著しいものが、80歳にしての入滅である。入滅と超人性とは如何にするもそのままでは調和して居ることではないから、弟子系統に於いては、超人仏陀がどうして入滅するに至ったかについて、深刻な考察が図らされざるを得なかったのである。何とかこれを解決するでなくば、その超人性が動揺するを免れ得ない。

 抽象的に言えば、前に言うた如く、仏陀そのものは智慧と慈悲とが人間の形に現われたものに外ならないから、仏陀の一生は衆生の教化救済のみであったと認められて居る。客観的に観察しても、仏陀45年の生涯は全く利他の一途のみであることは否定せられない。然るに教化救済せらるべき衆生は殆ど無数である。後世云う所によると、仏陀当時の舎衛城の人口は9億、または9億戸あったが、仏陀があれ程祇園精舎に出入りしては説法教化に従っても、その中の3億のみが眼に仏陀を見、耳に説法を聞いたのみで、他の3億は仏陀のことを耳でのみ聞くも、眼では仏陀を見ず、更に他の3億は全く耳にもせず眼にもしなかったという説がある。9億の人口または戸数は誇張であり、印度人は大仰山なことを云うを好むから、右の説は事実を伝えて居るのではないと考えられるが、3分の1のみが親しく仏陀の説法を受け得たのみという点を取ればよい。一都市にして既に僅かに3分の1を教化し得たのみであるこれを印度の全土から云い、或は人類の全体から見るならば、事実上仏陀の教化の及んだ所は極めて小さいといわねばならぬ。然らば、超人ならば、何等かの方法によってでも、一層多数に教化を蒙らすべきであったと期待せられようが、実際80歳で入滅したとすれば、これを如何に見るべきであるか。前にいうた大般涅槃経には、入滅は化縁完了したからであるという趣意を明示して居る。化縁完了は仏陀出生の本懐たる教化の因縁が完成して、もはや住世を要しないから入滅したと解釈することである。然し、事実としては、今云うた如く、極めて僅かの人々を教化したに過ぎないのであって、教化に與からないものが遥かに多いのであるが、仏陀としては、それ等には凡て教化救済の完全な方法を遺したから、一切は悉くそれによって教化せられ得ることになって居って、必ずしも仏陀を俟たないとなすのである。かく解釈するから、仏陀の智慧と慈悲とは入滅によって制限せられることなく、出世の本懐と入滅とは互いに相調和し、その超人性も何等妨げられないとなすのである。

 然し、80歳入滅は因果律からいえば、一般には前世からの運命たる性質のものであって、超人も尚且つ因果の支配を免れないこと、必ずしも不調和とのみはいえないが、他方では歴史性を超越して居る仏陀が、平凡人と全く同様に、運命的の定業従って入滅したとしては、如何にも満足が得られない。是に於いてか、大般涅槃経に於いて、仏陀は全く任意捨命したという趣意を以て、この不満足を償うことになって居る。仏陀は侍者の阿難に対して、幾度ならず、欲、精進、心、思惟の四神足を行じたものは望によって長く住世し得るもので、仏陀もこれを修したから仏陀には、若し願うならば、一劫弱でも一劫間でも、この世に住することが可能であると告げて、住世を請はしめんとしたが、その都度阿難は魔に魅せられて居て、請うことがなかった、この際、また魔が仏前に現われて、弟子信者が完全に涅槃に達したならば般涅槃すると言った仏陀の嘗ての約束を、今弟子信者が完成したから、果させ給えと請うて止まぬので、仏陀は今から三月後に自らの命根を捨てて以て般涅槃することになったというのである。一般に業の関する道徳的因果律からいえば、凡ての人々の何時死するかは、その人の前世の業因によって、先天的に定まって居るものであって、そこには何等の偶然性もなく、また如何にするも現在にあってこれを変化せしめることを得ない鉄則となって居るものであるから、元来は四神足を完修したからというて、住世を自由に延長する如きことは認められて居ないことである。今、ここでこれを可能であるとなすのは極めて特殊な説であるが、これは尚何とか解釈し得る如き余地を考察するを得るとしても、魔の請によって、仏陀が任意捨命したと解釈する点には重大なる意義が存するのである。元来出来得べからざることを、仏陀はこの際為したのであって、これ即ち因果律の支配を左右したのである。超人としても因果の支配に従って居たのが、今や因果の支配を超越して因果を支配し得るものとなったとなすのであるから、これ全く歴史性を超越して居るとなすに外ならぬのである。かく既に入滅が任意捨命であるとすれば、一生の終りのみが任意であることは不可能であるから、始めもまた当然然るべきで、従って出生も任意でなければならぬことになる。かくして出生入滅ともに任意であって、他の何ものにも制せられない自由意志に由るとせられざるを得ない。然らば、その意志とは如何なる性質のものか。これは仏陀の出生の本懐が衆生の教化救済にある点から見て、衆生済度の願たるものとせられるのが当然である。前世に於いてかかる願を発し、その願の力によって出生し、利他し、而して入滅するに至ったのであるから、この願を本願とも宿願とも誓願とも悲願とも称する。これ即ち仏陀を智慧と倶なる慈悲の聚集と見る考の必然の帰結である。

 任意捨命の解釈は、以上の如くにして、遂に願を考えねばならぬことになるが、然し、願はそれ自身で存在するものではないとせられねばならぬから、願を発する意志者がなければならぬであろう。その意志者は超人となる本生談の前身と如何に関係するか。また、その意志者は如何なる存在であるか。それ等についての理論は初期の仏陀観の時代には猶未だ論ぜられるに至って居ない。初期の仏陀観としては、以上論述した入滅の解釈が現われて、超人と入滅とを調和せんとした点までである。然し、この間には仏陀となる以前の菩薩についての観の発達があり、また、既に多少の過去仏を考えたこともあって、実際としては一層複雑である。




(宇井伯寿)