< 曹洞宗と戦時教学 >


〜 『修証義』網領に関連して 〜



○「戦争教学」の定義


 「戦争教学」の厳密な定義は、極めて困難と言える。

 なぜならば、「戦争教学」を学的対象として厳格に定義するには、「戦争教学」と峻別される「平和教学」「反戦教学」の確立が前提とされるからである。しかしながら、これら両極の境界線は曖昧というよりは、教学的課題として平和や反戦がいまだ明確に設定されていないのではないだろうか。

 筆者は、「戦争教学」を、ある特定の時代・教団・人物に限定された局所的なイデオロギー形態としてではなく、近・現代の教学の内包する構造的な問題と受けとめている。

 本稿では、太平洋戦争下における曹洞宗教団の「戦争教学」の有力なファクターであり、敗戦後の「平和建設」教団の根拠ともされた『修証義』の網領を中心に、「戦争教学」の生態の本質と、現今の教学の課題とを考察していきたい。



○「戦争教学」としての『修証義』網領


 『曹洞教会修証義』は、近代曹洞宗教団公認の「宗教ノ大意」「安心正依ノ標準」「布教ノ標準」とされていきた経典である。

 曹洞宗の「戦争教学」はこの『修証義』とその解釈をベースに展開した。教団の制度史上、『修証義』が教団の「宗典」として、さらには戦時体制維持の目的で明文化されたのは、「宗教団体法」準拠の昭和16(1941)年制定「曹洞宗宗制」を嚆矢とする。関連する条文を次に引く。


 第五条 本宗の教義は釈迦牟尼仏竝に高祖及太祖の正法に随順し懺悔滅罪、受戒入位、発願利生、行持報恩の四大網領に則り禅戒一如修証不二の大道を実践し、四恩に報答するに在り。

 第八条 本宗の布教は仏祖の正法に依遵し修証義を化導の標準と為し即心是仏を承当し以て国家報效の大義を実践せしむるを其の目的とす。


 「修証義」は編纂当初から、近代天皇制を基盤とする「国民道徳」普及という負荷を担ってきた経験がある。この条文では、これ以前の宗制にはなかった「四恩報答」「国家報效」などの戦時目的の言説が明言されている。また、その具体的な実践徳目として、「懺悔滅罪、受戒入位、発願利生、行持報恩の四大網領」があげられている。教団公認の『修証義』の解釈に依れば、四大網領(本来は「四大原則」)は、「本証妙修]「修証不二」の根本理念を具現化する実践徳目とされている。開戦直前の昭和16(1941)年4月、教団の制度上において、『修証義』の理念と網領を「戦争教学」のベースとすることが宣言されたわけである。



○「戦争教学」の展開


 教団が『修証義』の理念と網領を、「戦争教学」として戦時目的に利用すると定めたものの、その実際の展開は、必ずしも「宗制」の条文その通りではない。

 例えば、大森禅戒管長は、前述の「宗制」以前であるが、『曹洞宗報』の巻頭言「大政翼賛と大乗精神」において、聖徳太子の十七条憲法の第三条「承紹必謹」を基準として、「滅私奉公」「自己を忘るる」等の「尽忠報国」の臣道の実践を賞賛し、それに続けて「新体制の生活の土台として、我が宗門の説く実践道には四大網領がある。


 第一 布施行

 第二 愛語行

 第三 利行

 第四 同事行である。


何れも己を忘れると云う大乗精神、全く自己を投げ棄てると云う菩薩の精神を以て一貫した生活の指導精神である」と述べる。四摂法の大乗菩薩精神が、「臣道実践」「仏恩報謝」「国恩報謝」であると云う。大森が、「四大網領」とする四摂法は、『修証義』第三章「発願利生」実践徳目に当たる。大森は、『修証義』の四大網領を四摂に凝縮させて戦争体制の指導精神とする。

 同じく大森管長名で発布された「教示」には、大政翼賛の新体制を扶翼する理念を「尊皇護国ノ祖訓ニ恪遵シ承詔必謹神ノ大道ノ顕揚シ俯シテハ修証不二ノ宗義ニ依準シ背私向公職分奉公ノ誠ヲ效シ出テハ参禅行道ノ祖意ニ随順シテ皇国民タルノ錬成勗メ・・・国民生活ノ振起興隆ヲ図リ只管臣道ノ実践ヲ誓ヒ 以テ 天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼シ奉ランコトヲ期スベシ」と述べている。ここにある「修証不二ノ宗義」とは、前述の『修証義』の根本理念に相当すると見てよいだろう。


 開戦前の、教団の『戦争教学』として最も体系的なテーゼは『曹洞宗興亜教学布教網領畧解』にみられる。本『網領』は、曹洞宗宗務院・教学部が、学職経験者と教学部役職員との協力のもとで作成して『戦争教学』網領草案とその解説である。網領は次の五箇条より成る。

 

 一、肇国の精神に立脚し、尊皇護国の初訓に恪遵し、以て万邦無比の国体を中外に宣揚す。

 二、本証妙修の宗義に準拠し、背私向公の臣道を実践し、以て天壌無窮の皇運を扶翼す。

 三、敬神崇社の淳風を挙揚し、中心復帰報本反始、以て億兆一心国民の総力を挙げて国防国家体制の確立に万進す。

 四、参禅行道の祖道に随順し、皇国民の錬成に努め、以て興亜の聖業を翼賛す。

 五、生活即仏道の清規精神に依遵し、物料敬重勤労尊尚の祖国を履践し、以て国民生活の振起興隆に精進す。


 『修証義』と関連する箇所は、第二条であり、その「畧解」には「妙修」を大死一番、「本証」を大活現成に配当する。ここにおいて、「戦争教学」としての『修証義』は、教学の用語によって語られるのではなく、終始、「臣道実践」や「皇運扶翼」などの翼賛スローガンによって叫ばれることになった。筆者は、この「興亜教学布教網領草案」の作成に協力した教学者の戦争協力に関する罪責は言うに及ばず、それ以前の、自らの学問研究に対する誠意と良心の所在を問いたい。



○ 教学の皇道仏教化


 昭和16(1941)年6月、森大器教学部長は、『曹洞宗報』の巻頭論説に「宗門教学の振興と仏教の東亜共栄圏」の中で、従来の宗門教学を「高踏的独善主義であり、・・・徹底的に革正されなければなりません」との前提に立ち、「皇道を仏教と云う普遍的教学に翻訳して普及を計ること」と述べ、教学の皇道仏教化とその国内外への普及を推奨する。

 16年9月、戦局の悪化に伴い、曹洞宗は臨時教化研究会を開設した。本研究会は、「苛烈悽愴十八戦局ノ現段階ニ鑑ミ教化活動ヲ最高度ニ発揮スベキ方策ヲ樹立スル」目的で開設され、その委員・研究員には学識経験者の多くが任命され、激戦下の「戦争教学」「戦時布教教化」方針の策定作業に当たった。開設から1ヶ月後の10月、早くも「国家の要請に即応して宗門活動を最高度に発揮すべき方策の研究」要領が出され、特に「戦争教学」研究に関しては、次の五項目を上げる。


 イ、国家の要請する宗教活動と之の応ずべき本宗教学の根本に関する研究。

 ロ、坐禅の振作更張に関する研究。

 ハ、興聖護国精神の展開と勤皇僧の研究。

 ニ、修証義の普及と其の指導力を発揮すべき適切なる取扱いに就いての研究。

 ホ、時局に相応せる法要儀式並びに法服に関する研究。


 『修証義』の普及の目的は、「国家の養成する宗教活動」「興亜護国精神」または「指導力発揮」にあるとみてよいであろう。かかる研究方針のもとで、教化研究会は、「曹洞宗戦力増強教化態勢図解」の成案を発表した。教団は、この答申をもとに、「曹洞宗戦力増強教化錬成動員」運動を全国的に展開することになった。「曹洞宗戦力増強教化態勢図解」では「戦力増強」という戦時目的を達成するために、三網領(必勝信念の昂揚・戦時生活の確立・挺身奉公の実践)を徹底し、さらに三網領を「真に日本的」に展開するために、五要項(国体明徴・皇運扶翼・敬神崇祖・皇民錬成・皇恩報謝)が必要となる。この五要項を教学上で貫徹するために五信条(帰依・三宝・本証妙修・師資相承・身心学道・行持報恩)の実修があり、それをさらに生活上で徹底浸透させるために、三修行(参師問法・只管打坐・法式厳修)がある。最終的に、この三修行は「興聖護国」という、「日本曹洞宗開創の精神」に直結しなければならないと説く。


 「曹洞宗戦力増強教化態勢図解」は曹洞宗が到達した「戦争教学」理念のひとつの典型であり、その中には「本証妙修」「行持報恩」などの『修証義』の理念や網領が散見されるとは言え、もはや『修証義』自体からも逸脱した意味不明の「戦力増強」「興聖護国」スローガンとなっている。このように、曹洞宗の「戦争教学」の本質は、一見、『修証義』網領をベースとしているようでありながら、その内実は超論理的な聖戦・天皇制イデオロギーの巨大なカオスであり、もはや「教学」という名にも価しないと言えよう。教学の戦時教学化とその究極的な形態である皇道仏教は、教学自体の自己否定を意味したのである。



敗戦後の教学者たちは、この教学自体を否定した罪責の自覚が必要であった。


しかし、それはなされなかった。


現代教学はいまだに戦時教学の影響を積極的に払拭していない。





(工藤秀勝)