< 神道と仏教 >




 鎌倉時代に日本人の霊性が目覚めて来た事実につきては、さまざまの因縁があることであろうが、とにかくその事実だけは確かに有るのである。それは当時、伊勢神道なるものが唱え出されたことによりても認められるのである。伊勢神道の起こった機縁につきては、必ずしも霊性の問題と連関をもっていないにしても、出てきた結果には明らかにその事実が見られるのである。世間では往々「神道」にはなんらの思想内容がない、何かあるとすればそれは仏教か老荘か儒教から借りてきたものであると言う人もある。それにも一理がないでもないが、何かほかから借りてくるにしても、それを借りる主体がなくてはならぬ。「神道」が有すると考えられる内容は素朴的な原始性のもので、いわゆる外来のものに対して拮抗するだけの実質をもっていないと・・・そう一筆に勾下し去るわけにはいかない。なぜかと言うに、「神道」はいつもその名によりて「外来」底を相手にして自律性を強調するからである。そこには勿論、いつも強い政治的意味が含められてあるには相違ないが、何もなくては、それみずからを肯定し得ない。そんなら「それみずから」なるものは何か。自分の考えでは、神道「それみずから」に初めて目覚めたのが伊勢神道である。即ち伊勢神道が「神道」の目覚めである。それで伊勢神道がすべての神道の根源的なものとなったのである。この根源的なものが、個己の分別性を通して出現すると、或いは老荘的になり、或るいは仏教的に、或いは儒教的になるのである。これらはいずれも、その人により、その時によりて、種々の表現形態を取ったにすぎない。その多くの場合においては、政治的色彩を強く塗り立てて出場するが、それは神道自体の姿を功利的に描き出したもので、横道に踏み込んだものである。日本的霊性の一面は、確かにここにも見られるが、「神道」に現われてこないいま一つの面がある。それが親鸞教によりてのみ認められた絶対者の絶対悲(或いは無縁の大悲)の面である。いかなる罪業も因果も悉く絶対者の大悲の中に摂取せられいくというは、彼の超個霊観である。かくの如くに超個己の霊性を体得した親鸞一人こそ、日本的霊性の具現者であると言って甚だ妥当であると、自分は信ずるのである。伊勢神道も自余の諸神道も、この超個己の大悲者に目覚めなかったが、日本的霊性は親鸞の個霊を通して、その面に大悲者自体を映し出さしめたのである。大悲者を知らない霊性は、霊性の真実にまだ目覚めないのである。そしてこの目覚め方に日本人であって初めて可能なものがあり、更にその可能性が世界的に大なる役割をつとめんとするところに、日本的霊性の意義を見出さなくてはならぬのである。ただ日本型と言うだけで、世界性をもたず、かえってこれと相容れざらんことを企図するものは、未だ真に日本的なるものに徹せぬと言わなければならぬ。ことにこれが霊性の問題に触れると、そうである。



 神道がその根源的なるものとして、独自の立場を維持せんとする諸直覚は、霊性的なものでなくてむしろ情性の範疇に属するものである。鎌倉時代にこれらの情性的諸直覚が、これを統一する霊性的自覚の上に概念的体系をもとうとしてきたところに、神道は無意識ではなかったが、霊性の方へ一歩進めんとしたと言ってよいのである。清明心・丹心・正直心などというものは情性的であって、まだ霊性的領域にはいらない。物忌みするとか、穢れを祓うとかいうことも、いま一段の深みを加えてこぬと、原始民族の心理以外に出ないのである。伊勢神道は、これらの情性的直覚に対して形而上学的または宗教的基礎づけをしようと試みたが、必ずしも成功したとは言われぬ。なんとなればこれらは霊性的直覚でないからである。情性面に属するものは、形而上学的基礎をもち得ぬ、これは心理学的特殊とも言うべきものにすぎないのである。それ故に、神道哲学を創立せんとする人々は、仏教か儒教か何かの思想体系に頼らんとするの傾向を示すのである。そうしてその結果はどうなるかというに、神道は独自の立場を失うことになる。神道的直覚は日本的情性的ではあるが、まだ日本的霊性的というものに達していない。後者は親鸞の個己霊性を通して絶対者の絶対愛として感得せられて、初めてそれ自体に得入したのである。

 何故に神道的直覚は情性的であるかというに、それはまだ否定せられたことのない直覚だからである。感性的直覚もそうであるが、単純で原始性を帯びた直覚は、ひとたび否定の炉はいをくぐってこなければ霊性的なものとならぬのである。否定の苦杯を嘗めてからの直覚または肯定でないと、その上に形而上学的体系を組立てるわけにはいかないのである。我らは「神道」的なものに対してなんとなく日本的というものを感じないわけにはいかない。それは事実であるが、そうしてその点において我ら日本人はいずれも「神道」者である。が、そこにはなんとなく物足らぬ感じのするのを禁ずることができぬ。それはどうも「神道」的直覚に日本的霊性的なものがないからだと言わなくてはならぬ。原始的・嬰孩的なものには一種の魅力のあることは事実である。人間は誰もそれに心をひかれる。が、それは大人・成人・老人としてであって、自分みずからが嬰孩性などいう意識は固よりあり得ない。それが意識せられるときは、それが否定せられたときである。そしてこの否定が強く深ければ、その度に応じてまた原始性に対しての”あこがれ”、従ってそれへの得入が強くて深いのである。即ち霊性的直覚が、その明瞭さを増してくるということになるのである。これから出てくるものは、もはや情性的直覚でなくて、霊性的である。

 「あるがまま」では、草も木もそうである、猫も犬もそうである、山も河もそうである。「ある」が「ある」でないということがあって、それが「あるがまま」に還るとき、それが本来の「あるがままのある」である。人間の意識はこんな経過を通ることになっているのである。いらざる曲折だ、それは病的だと言ってのければそれまでであるが、そんな人に対しては言挙げるすべがないのである。透網の経験事実のない金鱗に向って、彼は何を食物にしているかを問うても、わかる理窟はない。是非もない次第だが、直覚の世界にはそんな事実のあるものである。一段と上の直覚からはその下を見ることができる。それは自分が経過したところであるからだ。しかし下方からは上は見えぬ。それは空間的制約によるものである。それはとにかくとして、この「あるがままのある」に対して、ひとたびはそれが強く否定せられて「ある」が「ない」であるということにならなくてはいけない。感性的または情性的直覚が霊性的直覚に入る途は、否定のほかにないのである。花が紅でなく、美しいが美しいでないということが一遍ないと、花は本当に紅でない、美しいが本当に美しいでない。「それはおかしい」と言う人には、なんと言ってもそれがおかしくない事実にはならぬのである。それで霊性的直覚の現前するには、穢れが単なる穢れでなくて、地獄決定の罪業にならなくてはならぬ。赤い心が真黒になって、天も地もその黒雲にとざされて、この身のおきどころがないということにならなくてはいけない。神は正直の頭に宿るだけでは未だしである。その神もその正直心も清明心も悉く否定せられて、すべてがひとたび奈落の底に沈まねばならぬ。そうしてそこから息吹き返しきたるとき、天の岩戸が開けてきて、天地初めて春となるのである。神道にはかくの如き霊性的自覚の経験が欠けている。それを概念的に補足しようとすると、他からの借りもので衣裳を作ることになる。「あるがままのある」が否定道をたどって、またもとのところに還る様態に日本的なるものがある。これを日本的霊性の超出と言う。それは何かと言うに、絶対者の絶対愛を見付けたことである。この絶対愛は、その対象に向ってなんらの相対的条件を付さないで、それをそのままにそのあるがままの姿で、取入れるというところに、日本的霊の直覚があるのである。善を肯定し悪を否定するのが、普通の倫理であるが、今の場合では、善をも否定し悪をも否定して、しかるのち、その善を善とし、その悪を悪とするのである。しかも絶対愛の立場からは、善も悪もそのままにして、いずれも愛自体の中に摂取して捨てないのである。穢れを見てそれを祓うでは、まだ対象的論理の域を出ない。祓われた穢れはまた戻ってくるにきまっている。それが対象界の必然だからである。それゆえ穢れは祓ったあとから寄ってくると言ってよい。清浄の域には塵がないはずだと言うとき、もうそこに塵が飛んで来ているではないか。祓うは、感性・情性の世界での事象である。これが霊性的自覚の世界へ来ると、祓うべき穢れもなければ、祓うこともいらぬことになるのである。「あるがままのある」である。しかも穢れは時々に祓われているのである。「元元本本(元を元とし本を本とす)」の真意に達するときには、これが直覚の事実とならなければならぬ。神道は情性的世界にいながら霊性的世界を概念で現出させようとする。そこに物足らぬところが感ぜられるのである。それは絶対愛の動きが日本的霊性の上で感じられるという経験事実が、まだそこにないからである。



 「神道」を見つめていると次のような幻想が浮かんでくる。日本人としていずれも、なんとなくなつかしさを感ずるところのものである。無辺に広がっているというわけではないが、木立繁き広場がある。その中に立っているのは白木造りの建築で四面開けっ放しである。大して大きな家ではない。それを取りまく庭には、一面に砂利または小石のようなものは敷きつめられてある。一点の塵もない、いかにも”さっぱり”としている。そのあいだを流れる小川は、底まで見えてまた清らかである。まだ暁方のようであるが、朝日がどこからともなく昇って来ると、その影が森の立木を通して一軒家やその周りの白き砂礫の上に照りわたってくる。全面に青い靄のようなものが漂ってくる。すがすがしさはえも言われぬ。何やら声がする。耳を澄ますと、家の中から聞こえるのである。見れば一人の白装束した人が空屋の中に鞠躬として坐しているが、それが何やら読んでいるのである。朗らかな声でいかにも慎ましやかに聞こえる。何か威あるものの前にかしこまっているのであろう。彼の態度は緊張性に富んでいるが、”ゆったり”したという心持ちはその中からは出ないようである。が、全体の風景からは、朗らかで晴れわたったようなものが感じられる。いわば元旦の朝の気分であろう、「家に譲りの大刀佩く」である。

 これに対して、絶対愛の霊性的直覚からはどんな幻想が浮かび出るであろうか。たとえば親鸞が越後へ流されて、大地の上に起き臥しする百姓となったと想像して見る。彼はかつて平安朝時代の念仏者教信沙弥の跡を慕ったということがある。教信はどんな生活をしていたであろうか。記録で見ると下記がある。


『沙弥(教信)はもと』はもと興福寺の学匠にして、唯識および因明を究む。衣食・童僕の財宝に乏しからざりしも、深く厭離穢土・欣求浄土の心に促され終に決然、本寺を出で跡を晦まして、身に灰を塗り、西を指して行き、藩州加古郡西野口に至る。この地、西遠く晴れて極楽を欣うに便りあり。草庵を結び、髪を剃らず爪をも切らず、袈裟および衣を着せず。また西方に墻せず。本尊を安置せず。妻女を帯して、里人に雇使せられ、或いは田畑を耕作し、或いは旅人の荷を運びて衣食し、常に弥陀仏を称し、昼夜休まず、人称して阿弥陀丸と言う。念仏のほか万事を亡失せるが如し。かくの如くすること三十年、貞観七年八月十五日寂す。云々。』


 布子一枚の土百姓は泥だらけである、汗の面を拭いもおえぬのである。彼は営々役々として働くことのほか、何ものをも知らぬようである。彼は一鍬を上げ下げするたびに、南無阿弥陀仏と言う。彼の手が鍬を大地に打ち込むのか、南無阿弥陀仏が鍬になって大地に吸い込まれるのか、いずれかわからぬ。とにかく、鍬は空に動いている。今は彼も疲れたか、大地の上に両手も両足もひろげたままで仰向けに寝ている。暖かい春の日は、木の葉の蔭から彼の面にちらちらする。彼はそれを心ゆくまでに味わっているのか、なんとも言わぬが、”いびき”の声さえ聞こえる。誰やら黒く”すすんだ”土瓶に茶を入れたのを持って来る。彼は目覚めて一杯二杯を傾ける。何かその人と楽しげに話しするように見える、大笑いさえ聞かれる。二人は秋の収穫でも予想しているのか、或いは春の光の長閑けさに、心はおのずから顔面神経をゆるましめたのであろうか。そのあいだにも南無阿弥陀仏は両人の口から出る。泥まみれの手足、草葉繁みわたる野良・・・いかにも神ながらの風光ではないか。ここには正直心も丹心も清明心もないようである。ただ笑いに満ちた大顔と汗だらだらの素肌があるのみである。心がなくて素肌があるのが、ここの風景の特徴である。

 朝日のまだ照りわたらぬ広場の白木の小舎に端坐する白衣の人が日本人で、糞尿に手も汚れて、汗満身の野良男は日本人でないのか。一人は米を食べる人、いま一人は米を作る人、食べる人は抽象的になり易く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる。霊性は具体の事実にその糧を求めるのである。浄白衣では鍬はもてぬ、衣冠束帯では大地に寝起きするに適せぬ。鍬をもたず大地に寝起きせぬ人たちは、どうしても大地を知るものではない、大地を具体的に認得することができぬ。知っていると口でも言い、心でもそう思っているであろうが、それは抽象的で観念的でしかない。大地をそれが与えてくれる恵みの果実の上でのみ知っている人々は、まだ大地に親しまぬ人々である。大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。ただ鍬の上げ下げでは、大地はその秘密を打明けてくれぬ。大地は言挙げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れて、みずからも大地となることができると、大地はその人を己がふところに抱き上げてくれる。大地は”ごまかし”を嫌う。農夫の敦厚純朴な実に大地の気を受けているからである。古典の解釈にのみ没頭している人は、大地の恵みと米の味わいとを観念的に知っているだけである。絶対愛の霊性的直覚はかくの如き観念性の下地からは芽生えせぬ。ことに日本的霊性は具体的事実のうえに育てられているのであるから、その事実の動かぬところでは働き出ないのである。日本人の霊性的直覚は文字や記録の詮索ではない。それから生れるものは知性的である。知性の大いに大事であることは、もとより疑いを容れないのであるが、知性は霊性的直覚の中から出てほしいのである。これを逆にして知性的言挙げを主として、それから直覚を引き出そうとしてはならぬ、実際はそれはできぬ相談である。情性的直覚を説くものも知性の言挙げを忌むが、それは霊性からするものと同一系列には属さないということを、深く記憶しておかなくてはならぬ。





(鈴木大拙)