< 宗教と政治 >




 宗教と政治との関係は内と外との関係なり。神と形との関係なり。一国の社会的制度はその国民の宗教的観念の表題にして、その政治組織は常にその信じ来たりし宗教に原因す。いはゆる政治一致なるものは、国民統制の必要より来たりし便宜上の一致にあらずして、二者の根源的関係より来たりし生体的一致なり。政は教の表彰にして、教は政の動機なり。同一の天則、外を治むるにあたりてこれを政と称し、内を修むるにあたりてこれを教と言ふ。まづ教を布きて、しかる後に政に及ぼす、これ順道なり。まづ政を施して、しかる後に教を吹入す、これ逆道なり。前者は自然的国家建設法にして、その成功の遅々たると同時に、その結果ははなはだ健全なり。後者は人為的建設法にして、あるいは迅速の成功を奏せざるにあらずといへども、これに伴ふの危険はなはだ多く、その結果たるや、早熟者の羸と弱(羸弱=るいじゃく:からだが非常に弱いこと)とをまぬかるるあたはず。


 宗教者は最も大なる政治家なり。彼らは政治上の成功はこれを千百年の後に期するがゆえに、彼らの存命中に政治を語らず。彼らは単に生命を社会に注入するをもって職とし、民衆の改善を真理そのものの行動に任して逝く。彼らはいはゆる革新事業なるものに干与せず。しかも最も効力ある革新家は彼らなり。もしその結果より算すれば、キリスト、釈迦にまさる政治家のあるなし。前者は、彼の教訓に成りし政治、法律、習慣をもって、彼の死後二千年の今日、文明世界のほとんど全部を支配し、後者は、彼の教義によりて、大王大帝にまさる威力をもって、彼の死後二千五百年の今日、東洋五億人の争ふべからざる主宰なり。同一の理由をもって、パウロはシーザーよりも大なり。親鸞は義時・泰時よりも大なり。日蓮は時宗よりも大なり。アウガスチンはシャーレマンよりも大なり。ノックスはクロウェルよりも大なり。天を論じて地を論ぜざる宗教家はついに天国を地上に来たす者にして、経論を地上に布くをもって唯一の目的とする政治家は、ただに地をも改良開発し得ざる者なり。


 政治家の大は、徳教に与へし彼の注意の強度に比例す。道徳的に小なりしナポレオンは、欧州全土を席巻せしも、政治家としては最も小さき者なりき。宗教的に大なりしクロンウェルは、英の一国を治めしにとどまりしといへども、彼の行績は英国今日の強大をいたすの基礎を造り、彼の理想は、彼の本国においてはおこなはれざりしも、太西洋の彼岸において適用せられ、世界最大の共和国は、彼の立案に成りし制度にのっとりてその国是を定めたり。アウガスチンの神学書をもって、彼の政治的教科書と定めしシャーレマンは、中古最大の統治者として知られ、フランスのルイ十一世は今なほフランス国の有せし、最善最大の為政者としての認めらる。「政治の目的は、善をなすに易く悪をなすに難き社会を作るにあり」とは、故グラッドストン氏の言なり。マシュー・アーノルド氏いわく、「人生の四分の三は正義なり」と。倫理を離れて政治は論ずべからず。政治を政策と同視する者は、いまだ政治の神髄を知らざる者なり。


 ゆえに、最も小なる政治家は、政治を先にして道徳宗教を後にし、政治をもって国家的存在の基本なりと信じ、政策の配合によりて属衆を済度せんと夢想する者なり。フランスのナポレオン三世、オーストリアのメテルニヒ、あるいは多くの東洋の政治家なる者はみなこの類なり。彼らは策の富饒をもって誇り、策をもって国家を土台的に調理し得るものなりと妄想す。彼らはすなわち手品師の政治家と変化せし者なり。彼らは宇宙を、からくりと信じ、歴史を劇場のごとく見なす。処世は、彼らにとりては技芸の一種なり。彼らはすなわち浮虚空耗の人にして、国家を調理し得ざるのみならず、厨房をも整理し得ざる者なり。政教一致して健全なる国家あり。政治、宗教を離れて、国家やぶる。ゆえに、国家を改造せんと欲せば、まづその宗教より改造せざるべからず。自由制度は平等主義を宗とする国民の上にのみ施くを得べし。自由慕ふべし。されども自由ならざる民に自由の付与すべきなし。まづ霊性において自由ならざるよりは、権利上の自由はこれを享有するを得ず。すでに自由制度あり。しかしていまだ自由宗教あるなし。すでに開進の機関のそなはるありて、これを動かすの動機あるなし。英国にウィックリフ、ノックスなくして、クロンウェル、ピット起こりしとせんか、欧大陸にルーテル、カルビンなくして、オランダのウィリアム、スエーデンのグスタフ起こりしとせんか、余輩は固く信ず、彼ら政治家の業は徒労に属し英国は今なほシナ的頑冥のうちにありしなるべし、オランダとスイスとは今なおペルシャ、トルコと類を同じうするなるべしと。いかに大策士の手腕をふるふこともあるも、自屈の民よりは自由の民を作るは得じ。自由によって来たるや深遠、これを一朝の政変、または一夜作りの法文において求むべからざるはもちろんなり。




(1898年7月 内村鑑三)