< 煩 悩 >
<根本煩悩>
貪
貪とは何であるか。三界(欲界・色界・無色界)に属する愛着である。苦を生ずることを作用とする。
瞋
瞋とは何であるか。有情と苦と苦に順ずる諸法に対する恚りである。不安穏にあることと悪行とに所依(よりどころ)を与えるのを作用とする。
慢
慢とは何であるか。有身見を所依とすることによって、心が上昇することである。不敬と苦の生起に所依を与えるのを作用とする。
無明
無明とは何であるか。三界に属する無知(痴)である。諸法に対する邪まな決定と疑と雑染の生起に所依を与えるのを作用する。
疑
疑とは何であるか。四諦についての猶予である。善なる部類のものが起こらないことに所依を与えるのを作用とする。
<五 見>
有身見
有身見とは何であるか。五取蘊(色・受・想・行・識)を我とか我所であるとつぶさに見る者の認知・意欲・思考・観察・見解である。あらゆる悪い見解に趣くことに所依を与えるのを作用とする。
辺執見
辺執見とは何であるか。五取蘊を常住であるとか断滅であるとつぶさに見る者の認知・意欲・思考・観察・見解である。中道による出離を障げるのを作用とする。
見取
見取とは何であるか。見解と見解の所依たる五取蘊を最高・最上・卓越・最勝であるとつぶさに見る者の認知・意欲・思考・観察・見解である。不真実の見解に固執することに所依を与えるのを作用とする。
戒禁取
戒禁取とは何であるか。戒と禁と戒禁の所依たる五取蘊を清浄とか、解脱とか、出離であるとつぶさに見る者の認知・意欲・思考・観察・見解である。労あって報いなきことに所依を与えるのを作用とする。
邪見
邪見とは何であるか。因を謗ったり、果を謗ったり、作用を謗ったり、存在しているものを否定し、邪悪に分別する者の認知・意欲・思考・観察・見解である。善根を断ずることを作用とし、不善根の堅固たることに所依を与えるのを作用とする。不善として生起するのを作用とし、或は善として生起しないのを作用とする。
<随煩悩心所>
忿
忿とは何であるか。瞋に属するものであって、現前に生起した加害の相に対する心の憤怒である。刀剣を執持したり、杖を執持する等の暴力に所依を与えるのを作用とする。
恨
恨とは何であるか。これより後(忿より以降)では、瞋に属するものであり、恨は怨みを捨てないことで、不寛容に所依を与えるのを作用とする。
覆
覆とは何であるか。痴に属するもので、他より正しく指摘されたとき、自己の罪を覆い隠すことである。後悔と不安穏にあることに所依を与えるのを作用とする。
悩
悩とは何であるか。瞋に属するもので、忿と恨とを先行させるものであり、心の憤怒である。声高で、過度に荒々しい言葉に所依を与えるのを作用とし、非福徳を産み出すことを作用とし、また、不安穏にあることを作用とする。
嫉
嫉とは何であるか。瞋に属するもので、財産と栄誉に耽るものの、他人のすぐれた成功に対して耐えることのできない心の憤りである。憂と不安穏にあることを作用とする。
慳
慳とは何であるか。貪に属するものであって、財産と栄誉に耽るものの、生活必需品に対する心の吝である。厭き足らないことに所依を与えるのを作用とする。
誑
誑とは何であるか。貪と痴に属するもので、財産と栄誉に耽る者の、真実でない功徳を示すことである。邪な生活に所依を与えるのを作用とする。
諂
諂とは何であるか。貪と痴に属するものであって、財産と栄誉に耽る者の、事実なる罪過を保護することである。正しい教えを得ることの障碍となるのを作用とする。
驕
驕とは何であるか。無病とか、或は若さとか、或は長寿相とか、或は得らるべきいずれかひとつの有漏なる成就に依って、喜悦することである。貪に属するものであって、一切の煩悩及び随煩悩に所依を与えるのを作用とする。
害
害とは何であるか。瞋に属するもので、憐憫の情けのないこと、悲しみの情けのないこと、同情のないことである。傷害を作用とする。
無慚
無慚とは何であるか。貪と瞋と痴とに属するものであって、自ら過失を恥じないことである。全ての煩悩及び随煩悩の助けとなるのを作用とする。
無愧
無愧とは何であるか。貪と瞋と痴とに属するものであって、他人に対して過失を恥じないことである。全ての煩悩及び随煩悩の助けとなるのを作用とする。
昏沈
昏沈とは何であるか。痴に属するものであって、心の不適応性である。全ての煩悩及び随煩悩の助けとなるのを作用とする。
掉挙
掉挙とは何であるか。貪に属するものであって、好ましい相(浄相)に追従する者の、心の寂静ならざることである。止を障げるのを作用とする。
不信
不信とは何であるか。痴に属するものであって、諸善法に対して、心が明白に了解しないことであり、清浄ならざることであり、願わないことである。懈怠に所依を与えるのを作用とする。
懈怠
懈怠とは何であるか。痴に属するものであって、眠ったり、もたれたり、横臥したりすることの安楽によって、心は励まないことである。善なることを修することの障げとなるのを作用とする。
放逸
放逸とは何であるか。懈怠あること及び貪・瞋・痴に依って、諸善法を修さないことと、諸有漏法から心を護らないことである。不善が増大し、善が減少することに所依を与えるのを作用とする。
失念
失念とは何であるか。煩悩と相応した念である。散乱に所依を与えるのを作用とする。
不正知
不正知とは何であるか。煩悩と相応した慧であって、それ(慧)によって正しく知られざる身と語と心の行為が起こる。過失に所依を与えるのを作用とする。
散乱
散乱とは何であるか。貪と瞋と痴とに属するものであって、心の動揺である。それはまた、(a)自性散乱と(b)外散乱と(c)と内散乱と(d)相散乱(e)麁重散乱と(f)作意散乱とである。
(a)自性散乱とは何であるか。五識身である。
(b)外散乱とは何であるか。善を修する時、五種の欲望に対して、心が動揺することである。
(c)内散乱とは何であるか。善を修する時、心が沈んだり、うわついたり、享受したりすることである。
(d)相散乱とは何であるか。他人に尊敬されんが為に善を修することである。
(e)麁重散乱とは何であるか。私がという執着とか私のものとする執着とか我慢を助ける麁重さの故に、善を修する時、生起したあらゆる感受に対して、私はとか、或は私のものとか、或は私はあるとかいう執着と混乱と誤解がある。
(f)作意散乱とは何であるか。他の定に入りつつある時、或は他の教えに依存している時、動揺がある。離欲の障りとなるのを作用とする。
睡眠
睡眠とは何であるか。痴に属するものであって、睡眠の因相によって、心の縮小することである。睡眠には善なるもの、不善なるもの、無記なるものがある。応時におけるもの、或は非時におけるものがある。適切なるもの、或は不適切なるものがある。所作を遣り過ごすことに所依を与えるのを作用とする。
悪作
悪作とは何であるか。それは痴に属するものであって、意図せられた行為、非行為、意図せられざる行為、非行為についての心の後悔である。悪作には善なるものもあり、不善なるものもあり、無記なるものもある。応時におけるものもあり、非時におけるものもある。適切なるものもあり、不適切なるものもある。心の安住を障げるのを作用とする。
尋
尋とは何であるか。思によって、或は慧によって尋求する意のはたらきである。またそれは心の麁性である。
伺
伺とは何であるか。思によって、或は慧によって伺察する意のはたらきである。またそれは心の細性である。尋・伺は安穏・不安穏にあることに所依を与えるのを作用とする。
また次に諸善法の作用は自らの所対治を断ずることである。煩悩・随煩悩の作用は自らの能対治を障げることである。