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旧 伝承音楽
第十九回 三代目若松若太夫独演会
< 三代目 若松若太夫独演会 >
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〜 山口 巌 〜
1957年(昭和32年)
(無垢な顔)
(無邪気な顔)
(「夢」10代の顔)
(「デカダンス」20代の顔)
ライヴハウス「チャレンジャー」のマスター時代
(「音楽」30代の顔)
(「伝承」40代の顔)
(「庵」50代の顔)
2016年1月
(「清浄」60代の顔)
2022年2月
「顔は誰でもごまかせない。顏ほど正直な看板はない。顏をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも、化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出してしまうのが一番だ。それが一番美しい。顏ほど微妙に其人の内面を語るものはない。性情から、人格から、生活から、精神の高低から、叡智の明暗から、何から何まで顏に書かれる。閻羅大王の処に行くと見る眼かぐ鼻が居たり、浄瑠璃の鏡があって、人間の魂を皆映し出すという。しかし、そんな遠い処まで行かずとも、めいめいの顔がその浄瑠璃の鏡である。
寸分の相違もなく自分の持つあらゆるものを映し出しているのは、考えてみると当然の事であるが、又考えてみるとよくも出来ているものだと感嘆する。仙人じみた風貌をしていて内心俗っぽい者や、やはり仙人じみていて内心俗っぽい顔をしている。がりがりな慾張りでいながら案外人情の厚い者は、やはりがりがりでいて人情の厚い顔をしている。まじめな熱誠なようでいて感情に無理のあるものは、やはり無理のある顔をしている。お山の大将はお山の大将、卑屈は卑屈。争われない。だから孔子や釈迦やキリストの顔がどんなに美しいものであったかという事だけは想像出来る。
言う迄もなく顏の美しさは容色の美しさではない。容色だけ一寸美しく見える事もあるが、真に内から美しいのか、偶然眼鼻立ちが好いのかはすぐ露れる。
世間並みに言って醜悪な顔立ちに何とも言えない美しさが出て居たり、弁天様のような顏に卑しいものが出て居たり、万人万様で、結局『思無邪』の顔が一番ありがたい。自分なども自画像を描く度にまだだなあと思う。顏の事を考えると神様の前へ立つようで恐ろしくもあり、又、一切自分を投出してしまうより為方のない心安さも感じられる」
(高村光太郎)