< 徒然草と仏教 >




 お坊さんくらい・・・誰の眼からも・・・羨ましくないものはあるまい。「人からは木の端のように思われることさ」と、清少納言が枕草子に書いているのも、ほんとうに尤もなことだ。高官に昇った坊さんが威勢よく威張り散らしているのにつけても、偉いとは見えない。・・・そうした坊さんは・・・あの増賀上人が言ったとかいうように、名誉・外聞にあくせくするようでみっともなく、仏さまの御教えにも背いているのではないだろうかと思われる。・・・こうした坊さんに対して・・・すっかり世間を捨ててしまった人は、却って望ましい点もあることだろう。



 後世を願うことを心に忘れないで、仏道に疎遠でないのはおくゆかしい。



 不幸のために悲歎にくれている人が、剃髪したりするように、この世を儚いものと悟って仏道に入ったのではなくて、いるのかいないのかわからないくらいに門を閉じて、何をあてにするともなく日を送っているのは、それはまたそれとして望ましいことだ。

 顕基の中納言が言ったとかいう、「流されたところで見る月を、罪もない身で眺めよう」という気持ちは全く尤もなことと思われそうだ。



 あだし野の露のように、人の命は儚いものだが、その命の消える時がなく、また鳥部山には火葬の煙が立ち通しであるが、その煙のように立ち去らないで永久にこの世に住み通す習いであったら、どんなにか物の情趣などというものはないことだろう。人の生命などというものは、いつ死ぬかわからないように、定めのないのが却っておもしろいものだ。



 世の人の心を迷わすことでは、色欲にまさるものはない。人の心なんていうものは、全く馬鹿なもんさ。



 たったひとり、燈火の下で書物をひろげて、昔の人を友とするのは、この上もなく、心の慰めとなることだ。



 山寺に籠って、仏様に供養を申しあげると、つれづれの感じもしないし、心の穢れまで洗われるような気持ちがする。



 人間として、自分の身持ちを簡素にし、贅沢をさけて財宝も持たないで、この世に利欲に執着しないのが、立派だといえるのだ。昔から賢い人で富貴になっていた人は稀だ。



 何のなにがしとかいった世捨て人が、「この世に何の執着を持っていない自分にも、ただ四季の風物の移りかわりに対する惜別の情だけはとても抑えられない」といったのは、いかにもそう思われそうなことだ。



 何ごとにつけても、月を眺めることによって感興は深くなるものである。或る人が、「月ぐらい趣の深いものはあるまい」といったのに対して、また一人が、「いや、露の方がしみじみとした感じは深い」と争ったというのもおもしろい。その折に相応したなら、どんなものだって趣の深くないことがあろうか。



 世間の名利や利益にあくせくさせられて、静かにおちついた暇もなく、一生涯を苦しんで暮らすのは、馬鹿げたことさ。



 真に至った人は、智もなく徳もなく功もなく、名もない。



 或る人が法然上人に、「念仏する時、睡けがさして来るために、念仏修行を怠ることがありますが、この障碍をどんな風にして矯正したものでしょうか」と申上げたところが、「目のさめている間念仏をなさい」とお答えになったのは、全く尊いことだった。また、「極楽往生はきっとできると思うとできるものであり、またできるかできないかわからないと思っていると、どうなるかわからないものだ」とおっしゃったそうだ。これも尊いお言葉だ。「往生ができるかどうかを疑いながらも、念仏していたら必ず往生する」ともおっしゃったそうだ。これもまた尊いお言葉だ。



 柳原の辺に強盗法印という坊さんがいたそうな。何度も強盗に遭ったので、こんな名前をつけたんだそうだ、という話。



 老年が来てから、はじめて仏道修行をしようと考えて、年をとるのを待っていてはならない。古い墓は、多くは年が若くて死んだ人のだ。思いがけなく病気にかかって、急にこの世を去ろうとする時に、はじめて過去の誤っていたことが思い知られるというものだ。その誤りというのは他のことでもない、早速にしなければならないことをゆっくりし、ゆっくりしていいことを急いで暮らした過去のことが後悔せられるのだ。その時になって後悔しても、何の甲斐があろうか。

 人はただ、死が迫っていることを、心にしっかりと持って、わずかの間も忘れてはならないのだ。そうした心掛けを持っていたら、この世の濁を受けることも多いことがどうしてあろうか、また仏道修行の心もまじめになれないことがどうしてあろうか。

 昔の高僧だった一人の方は、誰かがやって来て、自分や他人の要事を喋る時、答えていうには、「目の前に至急を要することがあって、既に朝夕に迫っている」と、こういって、耳を塞いで念仏しながら、とうとう往生を遂げたそうだと、禅林寺の永観の著した往生十因に記してござる。また心戒とかいった高僧は、余りにもこの世のはなかいことを考えて、じっと尻をおちつけて坐っていることだってなく、いつもしゃがんでばかりいたそうだ。



 「仏道を修行しようという心がありさえすれば、どんなところに住んでも道は得られるだろう。例えば家の中にいて他の人と付き合っていても、後世の往生を願うのに、差支えのあることがあろうか」というのは、全く後世を願うという意味のわからない人だ。ほんとうにこの世をつまらないものと悟って、必ず生死を超越しようと思うなら、何のおもしろいところがあって、朝夕主君に仕えたり、家計を営むのに気が進むなどということがあろうか。心は環境によって変わるものだから、心が平静の状態にあるのでなくては、仏道は修行しにくい。

 その器量が昔の修行者にとても及ばない以上は、山林に入っても、飢えをしのぎ嵐を防ぐ手段がなくては生きて行くこともできないわけで、従って慾ばって俗世に執着しているように見えることも、場合によっては、どうしてないことがあろうか。だからといって、「そんなことでは世を捨てた甲斐もない。そんなくらいなら、何故世を捨てたのか」などというのは、むちゃな理屈だ。何といってもやはり、一度仏道に入って、俗世を厭い離れようという心掛けのある人なら、たとえ欲望があっても、権力のある人の慾の深いのには、較べられるものではない。紙の夜具や麻の着物、一鉢の食物、藜の汁、これくらいの欲望は、世間のどれだけの費用になろうか。だから、求めるものは簡単に得られ、その欲望は早速に満足するに違いない。また自分の僧形に対しては自制するところもあるから、世間に求めることがあるからといって、悪に遠ざかり、善には近づくことばかりが多い。

 人と生まれている甲斐には、どんなにしても俗世を遁れることが望ましい。ただ一途に欲望を満たすことにあくせくして、仏道の正しい悟りに至ろうとつとめないのでは、いろいろの畜生と変わるところがありそうにもないといっていいだろうか。



 仏道修行という一大事を決意する人は、棄てにくく、常に心にかかる目的を達しようなどとしないで、思いきってそのまま棄てなくてはならないのだ。「暫く、このことをしをえて」、「同じことならあのこともきまりをつけておいて」また、「こんなことをしておくと、人から嘲りを受けるかも知れない、だから将来困らないように処理しておいて」「この年頃こうして暮しても来たのだから、それらのことを処理するまで待っていても、大した時間はかかるまい。慌てないように決意しよう」などと考えていたら、どうにも避けられないことばかりが愈々重なって、事の終る際限もなく、決意する日もあるはずのものでない。大体世間の人を見ると、少しもののわかった程度の人々は、皆この予想で、一生涯は暮れてしまうようだ。



 書写山の性空上人は、法華経を読誦した功徳が積もって、六根清浄にかなっている人だったそうだ。旅宿にお立ちよりになった時に、豆の殻を焚いて豆を煮る音が、”ぶつぶつ”と鳴るのをお聞きになったところが、「今更他の者でもない縁つづきのお前達豆殻までも、恨めしくも豆である自分らを煮て、辛い目に遭わせることだなあ」と聞こえたのだそうだ。焚かれる豆殻の”はらはら”と鳴る音は、また「自分らの本心から、こんなひどいことをするものか。焼かれるのは、どうにも辛抱ができにくいだろうけれども、力も及ばないことだ。そんなに恨みなさるな」という意味に聞こえたそうだ。



 まだ仏道の悟りを知らないにしても、心を乱すかかりあいから離れて、身を静かにし、世間の事に関係しないで、心を安らかに保っていたら、それが即ち、暫くでも、この世を楽しむこととなるともいうことができよう。「生活・人事・技能・学問など、こうした修行の邪魔になりそうなかかりあいから手を切れ」と、摩訶止観にもありますことじゃ。



 世間からの評判を受けることも高く、勢力のある家に、悲しみごとや喜びごとがあって、大勢の人の訪問する中に、坊さんがまじって案内を乞い、門のあたりに佇んでいるのを見ると、そんなことまでしなくてもよさそうなものだのにと思われる。

 それ相当な理由があっても、坊さんは世間の人との交際は疎遠であった方がいい。



 誰も彼も、却って自分には関係の薄いことばかりが好きなものだ。例えば坊さんが武芸の道に身を入れて稽古したり、逆に武士の方が弓を引く術を知らない癖に、仏法を知った顔をしたり、連歌をしたり、音楽を嗜んだりしている。しかし、それは身を入れない、自分の下手な専門の道に対して侮られるよりも、一層ひどく、世間の人からはきっと、侮られるにちがいない。



 法顕三蔵が印度に渡って、故郷漢土製の扇を見ては悲しみ、或は病気で臥して漢土の食事がしたいとお願いになった話を聞いて、或る人が、「それほど修行をつんだえらい人が、何と心の弱い様子を、しかも外国でお見せになったことだ」といったところが、弘融僧都が「何ともいえないほど情味のあった三蔵だなあ」といったのは、坊さんくさくもなく、おくゆかしく感じられたことだった。



 高僧のいいのこしておいたことを書きつけて、一言芳談とか名づけた書物を見ましたところ、なるほどなと思われたことは

 一、したものかしらん、しないでおいたものかしらんと思うことは、大抵はしない方がいいんだ。

 一、死後の幸福・・・極楽往生・・・を願うものは、糠味噌桶一つでも持つのはけしからんというものだ。いつも携えるお経にしても、毎日拝む仏像に至るまで、いい物を持つのはつまらないことだ。

 一、俗世を遁れて仏道修行をする人は、何はなくても不自由を感じない方法を考えて暮らすのが、一番いい暮らし方なんだ。

 一、位の高い人は低い人の心になり、智のある者は愚かな者の心になり、金持ちは貧乏人の心になり、才能のある人はない人の心になるのがいいんだ。

 一、仏道を願うということは特別のことではない。暇のある身になって、俗世のことを心に掛けない、これがまず第一の方法だ。

 この外にも、いろいろあったが、記憶していない。



 高野の證空上人が京へ上がった折に、細い道で、馬に乗った女が上人と行き逢ったが、その女の乗った馬の口取りの男が、手綱を引き損って、上人の馬を掘りへ落してしまった。

 上人は大変に腹を立てて叱りつけて、「こんな乱暴ってめったにない。お釈迦さまの四部のお弟子に中ではな、比丘よりは比丘尼が劣り、比丘尼よりは優婆塞が劣り、優婆塞よりは優婆夷が劣っている。その一番劣った優婆夷の分際で、比丘を掘りへ蹴入れさせるとは、前代未聞の悪行だ」とおっしゃると、口取りの男は、「何とおっしゃるのやら、承ってもとんとわからない」いうので、上人は一層息まいて、「何というか、この無学文盲の奴め」と荒々しくいって、さて余りにもひどい悪口を放ったと思いついた様子で、馬を引き返して逃げておしまいになったそうだ。

 実に尊かった口論だったに違いない。



 謝霊運は、法華経の翻訳を筆録したほどの人だったが、心には常に好機を掴んで一旗挙げようという考えを懐いていたから、慧遠は彼に白蓮社の交りを許さなかった。暫くでも時間を惜しもうという気持ちのない時は、死人に等しい。何のためにわずかな時間を惜しむのかというなら、内にはつまらないことに心を使うこともなく、外には世事の煩わされることもないような時を得て、満足する人はそれでよし、またそうした時に、更に進んで仏道修行をしようとする人には、大いに修行しろというわけなのだ。



 お寺の名号でも、或はその他すべての物に名をつけるのにも、昔の人は少しもこだわらないで、ただありのままに気軽につけたものだ。ところが近頃は深く考え才覚を見せようとしたように聞こえる名をつけるのは、随分嫌味なものだ。人の名でも、わざと見なれない文字をつけようとするのは、役にも立たないことだ。



 是法法師は、浄土宗の中で、誰にも劣るところのないほどの立派な学者だが、学僧ぶらないで、いつでも念仏をするだけで、心静かに世を送る有様は、ほんとうに望ましいことだ。



 賢そうな人も、他人の身の上ばかりかれこれ推量して、却って自分のことは知らないものだ。自分を知らないで、自分以外のものを知るという道理は、あるはずのものでない。だから、自分を知っているのを、物を知っている人といわなくてはならない。自分の顔つきがみっともなくても知らないし、心の愚かなことも知らないし、芸のまずいことも知らないし、自分の卑しいことも知らないし、年をとってしまっていることも知らないし、病に犯されることも知らないし、勿論、死の近づいていることも知らないし、行う道の未熟なことも知らないし、自分の欠点も知らないとなると、自分に対する世間の悪評を知らないのも当然だ。但し、顏つきは鏡でわかり、年は数えればわかる。自分のことは知らないではないが、知っていても、どうにも方法がないから、知らないのと同じだといったものだろうか。

 しかし、みっともない顏つきを改めろ、とった年を取り返して若返れというのではない。自分の拙いことを知ったなら、どうしてさっさと身を引かないのか。年を取ったと知ったなら、どうして隠退して安楽にしないのか。修行がまだ至らないと知ったなら、どうして注意を集中して勤めないのか、・・・と、いうのだよ。・・・



 自分の死んだ後に財を遺すことは、智慧のあるもののしないことだ。くだらないものが蓄えて置いてあるのも、みっともないし、いいものだったら、こんなものに心を惹かれていたのだろうと、はかない感じがする。そんなものが、うるさいほど多いのは、愈々以て情けない。「自分が貰っておこう」などいう奴がいて、死後で争っているのも、体裁が悪い。死後誰それにやろうという積りのものでもあったら、生きているうちに譲ってやるはずのものだ。朝夕なくてはどうにもならないものは仕方ないが、その外のものは何も持たないでいたいものだ。



 人の死にぎわの有様の立派だったことなどを誰かが話すのを聞いて、ただ、静かで取り乱さないといっておけば、それだけでおくゆかしく感じられるはずのものだのに、愚かな人は、不思議な、そして普通と違った有様をつけたして話し、死にぎわにいった言葉も動作も、自分の好む方に話を作って誉めたてるのは、死んだ人の平常の志でもないだろうと思われる。

 この死という一大事だけは、仏の化身のような尊い人でも、必ず立派だとはきめられないし、博学の人も前以てどんな死に方をするかは予想することもできない。ただ自分さえ道にはずれたところがないなら、それでいいので、誰が何と見ようが聞こうが、かまったことはないというものだ。



 栂尾の明恵上人が道を通っていらした時に、河で馬を洗う男が、「あし、あし(足)」といったので、上人は立ちどまって、「ああ、尊いことだ。前世の功徳が現世で現われるといった、えらい人だな。阿字阿字と唱えているぞよ。どんなお方の馬なのか。余りにも尊く思われることだ」とおたづねになったから、「府生殿のお馬でございます」と答えたそうだ。するとまた、「これはまた結構な。阿字本不生なんだなあ。嬉しい仏縁を結んだことじゃ」といって、感涙をお拭いになったという。



 春が来て夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春はそのまま夏の気を生み出し、夏から既に秋の気が通い、秋はそのまま寒くなるが、十月はいわゆる小春日和の天気で、草も青くなり、梅も蕾を持つようになる。木の葉が落ちても、落ちてから芽が出るのではない。下から芽ばえて来て、それがつつ張るのに堪えきれないで葉が落ちるのだ。変化を迎える気が、下に待ち受けているのだから、変化を待ちうける順序も頗る早い。生まれ、年をとり、病に罹り、死ぬ、これが移って来るのは、これ以上に早い。四季はそれでも一定の順序に従っている。死ぬ時期は順序を待たないで来る。死は、前から来ると限ったものではない。予め背後に迫っている。人は皆死の来ることを知っていながら、しかも急にやって来るとは思っていないうちに、実に突如として来る。沖の方まで干潟になって広々している時には、いつ潮が来るとも思われないが、突然に磯の方から潮が満ちてくるのと同じようなものだ。



 関東の人が都の人に交わり、都の人が関東に行って立身出世したり、また本寺本山を離れて他宗に変わった天台・華厳・浄土の各宗、更に真言宗の僧など、すべて自分の本来の持ち分から離れて、他人と交際しているのは、みっともない。



 人がそれぞれやっていることを見ると、例えば春の日に雪仏をこしらえて、そのために金銀珠玉の装飾を作り、それを納める堂を建てようとするようなものだ。その堂のできあがるのを待って、果して雪仏を安置することができるかどうか。人が生きていると思う間に、下の方から段々消えて行くのは、まるで雪のようにはかない。その一生の間に、あれこれと計算し将来を期待することが、また何と多いことか。



 或る人が自分の子どもを坊さんにして、「学問をして因果の理法をも知り、説経などして、世を渡るための手段にもしろ」といったので、子供は親のいいつけ通りに説経師になろうとするために、まず馬に乗る稽古をしたそうな。どうせ輿や車を持たない自分などが、導師として招待せられる場合、馬など迎えによこしたりした場合、尻が落ちつかなくて落ちでもしたら残念なことだろうと思ったからだ。次に仏事の後で、酒などをすすめられるようなことがある場合に、坊さんとして芸のないのは、施主も興ざめに感じるに相違ないというので、早歌ということを習ったそうな。この乗馬と早歌の二つが次第に上達の境地に達したので、もっともっと上手にしたく感じて、力を注いでいるうちに、とうとう大切な説経など習う暇もなく、年をとってしまったそうな。

 この坊さんだけでなく、世間の人々にも、一般にこれと同じことがある。若い頃は、何ごとにつけても立身出世し、立派な道をも成し遂げ、芸能も身につけ、学問をもしようと、将来遠く先の先まで計算しているいろいろなことは、心には掛けながらも、一生は長いものだと怠りなまけて、まず直面している目の前のことにばかりまぎれて月日を送るので、どれもこれも成就することもないうちに年をとってしまう。結局は何の名人にもならず、予期したように立身出世もせず、後悔しても齢は取り返しのつくものではないから、例えば坂を走って下る車のように、さっさと老衰して行く。

 だから一生うちに、主としてこんな風にしたいと思う多くの事がらの中で、どれがまさっているかをよくよく考え比較して、自分にはこれが第一と考え定めて、その外は思い切ってしまって一つのことに精進しなければならない。一日のうち、一時のうちでも、後から後から起って来る沢山の仕事の中で、少しでも為になりそうなことに従事して、その他はすっかり捨ててしまって、大切なことを急いでしなければならない。どれもこれも捨てないようにと、執着していたのでは、一事も成就するはずはない。



 一体人間は欲望を成し遂げようとして財宝を求めるのだ。金銭を財宝とすることは、それで以て欲望をかなえることができるからだ。欲望は起こってもそれを満足させることができず、銭はあっても使用しないなら、全く貧乏人と同じだ。そんなことで、何を楽しみにするのか。この金持ちの掟は、全く、世間的な、人間的な欲望を切り捨てて、貧しさを悲しんではならないという意味にもとれる。欲望を満足させて楽しみとするよりも、寧ろ金欲のない方がいい。廱や疽を病むものは、それを水で洗って楽しみとするよりも、いっそのこと、そんな病気に罹らない方がいい。こう考えて来ると、貧乏も富裕も区別はない。要するに、悟りは迷いに等しい。大欲は無欲に似ている。



 十五夜の月の円かな姿も、暫くの間でもその情態を続けることはなく、さっさと欠けてしまう。気をつけていない人には、一晩のうちに、これほど変わるのが見えないのだろうか。病気の重くなるのも、暫くでもじっとした情態に落ちついているのでもないのだから、早速死期が近づくのだ。しかし病勢がまだ進まないで、死期の近づかないうちには、世間は常住で人生も平穏といった考えに馴れっこになって、丈夫な間にできるだけ沢山の仕事を仕上げて後、閑かに仏道修行でもしようと思ったりするが、その間に病気に罹って死の門に臨んだ時、願ったことは一つもかなわず、不甲斐なく感じ、この長の年月の怠りを後悔して、今度もしも病気がなおって、命を取りとめることができたら、日夜の別もなく、この事もあの事も怠らず成し遂げようと願を起こすようだが、そのまま病気が重くなってしまうと、正気も失せて取り乱して死んでしまう。この種類の人が世間には多いことだろう。まず人々は何ごとよりも先に、この死の一大事を心にとめておかなければならない。

 願いごとを成し遂げてから、暇でも見つけて仏道修行をしようと思ったら、願いごとは果てるはずのものでない。幻のような一生の間に、何ごとをしようとするのか、すべての願いごとは、悉く妄想に過ぎない。願いごとが心に起ったら、これは妄想が自分を惑わすのだと悟って、一つのことでもしてはならない。ただちに一切を放擲して仏道修行に専念する時、何等の障碍もなく、また何等の言動の必要もなく、心身ともに永く安らかなのだ。



 八つになった年、おやじに尋ねていうには、「仏とはどんなものなんでしょう」というと、おやじの曰く、「仏には人がなったのさ」。再び、「それでは、人はどうして仏になるのですか」とたずねると、おやじもまた、「仏の教えによってなるのだよ」と答える。また、尋ねて、「その教えてござった仏に対しては、どんな仏が教えなさったのでしょうか」と。その答え「それもまた、前の仏の教えによっておなりになさるのさ」と。尋ねて、「その教え始めでござった最初の仏は、どんな仏なんでしょう」というと、おやじ、「天から降ったか、地から涌いたかだろうな」といって、えへへと笑う。おやじも「子供に問いつめられて、返事もできなくなっちまいました」と、大勢に話しておもしろがった。



(吉田兼好 1283〜1350)