仏教思想 V



 空観は絶対完全な智、即ち般若波羅密、を得ることであり、自性清浄心を明かにすることであると言われる。この自性清浄心が、即ち、根本心に外ならぬ。故に、空観は絶対智と絶対心とを得ることであるといえる。


 日常の修養は一種の厭世観を伴うものである。然し、この厭世観は現実を嫌悪し、避遁して、全く、世外的とならんとする意味を含ましめずに、むしろ、向上進展あらしめる基たる点を指す意味と解すべきである。日常心の現状に満足せずして、一歩たりとも、よりよき状態に進もうとする意味に於いての厭世観と見るべきものである。かかる意味に解しても、差支えないと考えられるが、この意味ならば、何人も厭世観を有せざるものはなく、又、この意味ならば、同時に、ある意味の現実否定でもある。同時に、優秀な現実の創造である。然し、宗教的に極めて謙虚な、そして、又、極めて真摯な、修行であるならば、謙虚であるだけ、又、真摯であるだけ、日常心を以て、自性清浄心より遠くして遠い看做さざるを得ぬであろう。これが仏教に於いての修行の道程を説くに、殆ど、全く、完成不可能というに若くはないと思われる程の、難行長時のそれを説く所以の一であろう。大乗仏教では、一般に、三大阿僧祇劫の間に五十二位を経て、絶対完全智を得、自性清浄心と成ると説くが、劫は極長時の意味で、実際は、無限数をいう時の単位の名、阿僧祇は一の大数の名ともいい、字義としては不可数量で、文字通りの無数の意味。


 仏教の全体は倫理であり、教育であるが、一般の倫理や教育と異なって、その根底に不動の信念を有する。この信念は、倫理も、教育も、凡て、悉く、聖数量に基き、仏陀から出づるものとなし、仏陀と相通ずる所に根差している。仏陀とは何をいうか。前述した絶対完全なる智そのもの、自性清浄心そのものを、仏陀となすに外ならないから、実は、自己そのものの真の声を聞くことであり、従って、これ心の修養としての心掛けの浄化が、修行の全体であるという意味になるのである。


 「声聞」は、元来は、仏陀の教えを聞いて修行する者の意味で、仏陀の弟子を指したに外ならぬが、一般的には、他の教に頼りて進み得る者、従って、独立的に、又は、独力で、自己教育をなす素質のなき者をいうのであり、「独覚」は、元来は、仏陀が自ら覚って、猶未だ、他を覚らしめる行に出でなかった間の仏陀を指したものであるが、一般的には、他の力に頼らずに、独立独力で、自ら自らを教育し、以て、目的を完成し得る素質の者をいうのであり、「菩薩」は、元来、仏陀の修行時を指した名であるが、一般的には、仏陀は自覚、覚他、覚行窮満で、絶対完全態の人格を指すに外ならぬから、この理想の実現に努力するものをいうのである。


 通常、声聞乗と独覚乗との二乗を小乗と称し、これに対して、菩薩乗を大乗と称する。かかる教を与えるものからいえば、三乗、何れも、絶対完全態の人格となり得る可能性を認めて居らねばならぬし、又、絶対完全態の人格となさねばならぬのであるから、一切のものに、所謂仏性を認める。


仏性は仏の性、又は、仏の性質、の意味ではなくして、実は仏たること、又は、直に、仏、ということであるし、理を指すに外ならないから、自性清浄心である。自性清浄心と呼ぶすら、既に、そこに清浄ならざるものを予想しているかの如き感を与えるが、実際は、そうではないから、直に、これを法身と呼んでもよいものである。然し、実践門でいう場合には、一種二元的に見ざるを得ないから、清浄ならざるものを認めて、法身はその不清浄の中にあると見る。かく在纏位の法身と見たとき、之を特に如来蔵と称する。従って、主として右の事と理との関係を説く説を如来蔵縁起と名づける。如来蔵の意味は、第一には、如来智の内に衆生が藏せられるの意味、衆生と如来と互に異なる所はないから、衆生がそのまま如来蔵であるとせられ、これを性同といい、第二には、如来が衆生の内に隠藏し存する意味、衆生は如来と同一ではなく、何時かは衆生内の如来が顕現すべきであるとせられ、これは修別の上でいうのであり、第三には果位としての如来の無量の功徳を、因位としての衆生が、藏して居るをいうとせられる。


 仏教に於いて殊に重要視せられることは、世界は、全く、道徳的世界、宗教的世界のみであって、道徳宗教の色彩のない自然的世界を認めない世界である。


 吾々は、もともと、如来蔵として、如来智の内にあるにも拘らず、自ら迷うて、自ら隔たると考えているに過ぎないのであるから、迷の迷たることを覚れば、そのまま、頓悟成仏であるからである。これ、禅系統のいう所であるから、然し、同時に、又、如来智の内にある吾々が自らを殺して、その力に投帰すれば、即得往生となるに相違ないのである。これ、浄土系統のいう所である。真に、吾々は極大であると共に極小である。


 涅槃は仏教最高目的を言い顕した語であって、仏教特有の語なるかに考えられているが、実は、必ずしもそうではない。古い記録から見れば、仏教の興起以前、又は当時、既に、仏教以外の諸派に於いて、用いられて居た語であって、恐らく、ある点では、この語によって最高目的を言い顕すのが、一般的であったが為に、遂に、仏教にありても、これを以て、その最高目的を言い顕すことになったものであろう。更に、一度仏教によって、かく用いられてからは、後世、又、他の学派に於いても、数々用いられるに至ったから、一層、普遍化せられた感がある。然し、仏教の勢力が強く、又、その伝播が広いが為に、現今に於いては、仏教特有の語の如くに見なされるに至ったものであるといえよう。


 涅槃はニッバーナの音訳である。印度語としては、俗語であって、それの雅語はニルヴァーナであるとせられている。前者よりも、後者の方が、よく知られているが、ニルヴァーナ印度最古の時代から用いられた語であって、字義としては、ニルは否定辞、ヴァーナは吹くことであるから、吹き消えたことを意味する。吹くというのは、元来は、風に関していわれたのであるが、然し、火に関することが多いが為に、従って、ニルヴァーナは火の消えたことを指すのが、むしろ、通常である。一般的に見れば、前述の如く、ニルヴァーナは、仏教に用いられるに至って、普遍的になった語であって、仏教としては、貪怒痴の如き、三毒の火の消えたことに適用する慣例であるから、語としても、火の消えた状態を表すと見るのが常である。


 仏教は、外形的には仏陀の教であって、同時に、内容的には仏陀に成る教であるから、仏陀に成ることがその目的であり、従って、涅槃は、内容的には、仏陀に成ることに外ならぬ道理である。然るに、仏教内に於いて、涅槃に対する解釈に、変遷を生じたが為に、仏教の何れの方面にありても、凡て、涅槃の内容が成仏と成っているというのではないが、本来の趣意よりいえば、涅槃と成仏とは同義とならなければならないものである。


 仏陀は、印度一般に考えていた宇宙の生起、又は構成に関する如き、形而上学的な考察を一切捨てて、直接当面の人生を対象として、観察考究した結果、一切が悉く無常に変遷極まりなきことを明かにし、そこに何等固定常住の実体の認められざるを説いた。


 仏教では、タンハー(愛)は、元来、渇の意味であるが、術語としては、固定対立を求めて止まない根本的欲望を指すのであって、希求を本質となすとせられている。例えば、必然的に、出生し、死滅する我々に、冀くは生、及び死の、全く、及び来らざらむには、との希求があるが、これが即ち愛に外ならぬと解釈せられる如きである。然し、一般的にいえば、固定不変化を希求することである。希求は、一種のはたらき、作用と認められるから、はたらき、作用の起るが為には、そこに主体が要求せられるのが通常であって、従って、固定不変化の実体我が規定せられることになる。故に、一般人の生活は、凡て、これ愛の上のそれであって、決して、無我無縁の人生となっているのではない。従って、愛の希求の達成せられる如きことは、到底、見られ得ることでない。愛に希求の実現しないことを苦と称するから、一切は皆苦であると言い顕わされる。この場合、苦は、決して、苦痛、苦悩の意味のみではなくして、逼迫の義といわれる如く、希求の実現せざることをいうのである。かかる皆苦の人生にあるにも拘らず、人は凡て愛を本質として、齷齪しつつあるに外ならぬから、その生活や、全く他律的であり、不自主であるし、而も、愛を基として起る貪怒痴の如き、煩悩悪徳に駆使せられている。この如き凡ての人を、教導するのが仏陀であって、仏陀は、その教えによって、人をして悉く仏陀たらしめんとするのである。

 仏教といえば、一般に、世外の教えであり、社会人生を無視するものであるかの如く考えられているが、仏教は、決して、かかる教ではなくして、全く世中の教であり、社会人生をして真の社会人生たらしめんとするものである。故に、凡ての人をして真の人たらしむるのが目的であって、真の人が即ち仏陀たるに外ならぬのである。然るに、真の人としては、決して、他律的不自主的の生活をなす如きものであるべき道理なく、却って、反対に、完全なる自律自主の生存をなすものでなければならぬ。他律的不自主的をして、自律的自主的たらしむるのが、仏教であるが、その方法は、一に愛の制御克服である。愛の制御克服は、必然的に、苦の滅を来たすが、苦の滅は、決して、人生の滅ではなくして、却って、他律的不自主的の人生が、自律的自主的のそれとして、実現することである。然るに、苦の滅は、同時に、必ず、愛の滅であって、従って、この滅が即ち涅槃である。蓋し、愛は一般の人の本質とせられているから、果して、これが、事実上、滅するや否やが、問題となるかも知れぬが、実際としては、滅は他律的が自律的に転回することを指すに外ならないから、愛は滅は愛の克服制御であるし、苦の滅は苦の克服支配である。故に、涅槃は全くこの転回に名づけたものと見るべきであって、従って、涅槃の実現は仏陀に成ったことであり、真の人たるを得たことである。然し、涅槃は、もともと、滅の意味であるから、かかる積極的の内容を含みながらも、これを涅槃寂静と謂い顕すのが常であることになっている。


 小乗仏教は、一般に、卑近の教とせられているが、然し、仏教一般からいえば、卑近と高尚とは、各の立場より見ることに基づく区別であるから、必ずしも、絶対的の区別ではない。のみならず、仏教は教であるから、必然的に、教えられる人々の素質機根の相異を認めているし、素質には、又、教養の深浅の程度の相異が加わるから、卑近と高尚とは、むしろ、適切と疎遠との相異に帰着する外はないであろう。故に、一般的に、卑近なる教にありても、若しそれが甲に適切であるならば、高尚疎遠なる教よりも、却って、選取せらるべきものである。即ち、仏教の価値は、一に、実践的方面に於いて発揮せられ得るものであって、単なる理論解釈は、存在の要がないとせられる。従って、実践的の努力に全価値が認められるのであって、実践者には、卑近と高尚との如きは、何等問題たるものでない。小乗仏教としては、涅槃は目的たるよりも、むしろ、単に理想であって、従って、その実現に努力する一歩一歩が、絶対の価値をもって居ったのである。涅槃の最後が空々爆々に帰するとせらるればとて、それが為に、未だ曾て実践の努力を放擲し去ったものあるを聞かない。


 空は一切のものの無自性、無実体をいい、又、無自性、無実体をば、これを縁起と称するから、空は即ち縁起である。


 心性本浄を認める大乗仏教としては、本浄の心性が理であり、自性清浄心であって、そこを涅槃となして来ることも、これ、必然の数である。かかる涅槃を本来自性清浄涅槃と名づけ、事、即ち現象、としての吾々に、本来具わって居ると見るのである。かく事の中にある理とみるときは、一方に於いては、煩悩塵垢と共なる清浄と見られ、他方に於いては、同時に、絶対に汚されることのない純粋性を保つ清浄と見られることになるが、ともかく、純粋清浄から見れば、一切は凡て清浄であるべきで、この点に於いて、衆生も、仏陀法身と、何等異相がないとせられ、これを性同と称する。


 たとえ自ら意識せずとも、自己の実践の完成が、そのまま、浄仏国土の建設となって居るものでなければならぬ。これ、一に、小乗仏教の実践に内容が、自利のみであるに依るとせられる所以であるが、これに反して、大乗仏教は、その実践の内容を利他となし、実践者としては自利を行じつつも、その自利の内容は利他であることになって居るものであるから、自利の完成は利他の完成に外ならぬとなすのである。


 日常生活は、凡て、この道理に則って居るのであり、治生産業は、決して、自利のみではないから、自利としての治生産業が、たとえこれをなす人に意識せられずとも、そのまま、利他である。従って、これは、単に心掛けの差のみに帰着することになるであろう。然し、既に、実践修行と見なす以上は、修行としては、先ず一応は、自利と見なすべきであるから、しばらく内容を問題とせずしていえば、自利の修行によって、それが遂に完成に達したとせば、自性清浄心に契当し、これを体現したことになる。この点を根本智に達したとなすが、いはば旅行の終極である。そしてこれを修行として見れば、これ即ち涅槃の證得と言い顕はさるべきことである。


 仏陀は、最初から、涅槃を證得し、而も、不死を得たといわれて居たにも拘わらず、遂に、八十歳を定命として、一般人と同じく、死滅に入ったことは、当時の仏教徒に、一大衝動を与えたものになることはいうまでもない。


 仏陀は、遂に、歴史性を離れて、純粋に、理としての仏陀、即ち法身、とせられるに至った。


涅槃は、元来、究極の心境を、消極的に、言い顕した語であった。仏教以外に於いては、これ以上の意義内容を含むには至らなかったが、独り仏教に於いてのみは、涅槃の教理の中心に置かれ、殊に、仏陀に対する理論的考察と離るべかざる関係に立って、遂に、涅槃は理とせられ、更に、理の妙用までも、涅槃の妙用とせられるに至ったから、消極的意味は、殆ど、全く失われた如き状態である。少なくとも、消極的方面は何等重大な問題とはせられなくなったのである。


 宗教家たるものは出家者であることが一般的であった。出家者としては、日常生産的の業務に従事しないから、その生活はすべて乞食托鉢に依る外は無い。比丘の名はここから起こるのであって、比丘は乞士の意味で、乞食生活者である。一般の人々からもかかる比丘に施食することを喜び、又は栄誉と考えて、その人の人格に接し、又その教えによって導かれた。かかる社会的の慣例が仏陀によっても遂行せられたのであるが、然し仏教の僧伽としては、林棲生活に入る方を採用せずに、専ら遊行生活をなすのみであったから、学生期の梵行者が直に遊行者になると、家長期頃のものが家を出でて遊行者になるとであった。従って、出家することと遊行者をなすこととは実際上同一である。この出家者たる比丘が専門的の宗教家であり、信者はその生活を支えその教えを受ける人々であるから、僧伽の中での中心と従属との関係は明かに理解せられ得る。然し、かかる関係にあるにしても、その間に共通点が存するので、相依って、同一僧伽を形成して居るものなるは、殆ど言うまでもない。


 悪人と名づけるには、少なくとも何等かの悪行為をなしたものを指すのであるから、必ず多少の悪行為がなされねばならぬとせられるが、善人と呼ぶときには、必ずしも善行為をなさずとも、悪行為だになされなければ、差支えなく善人と名づけている。


 唯独り禅宗のみが所謂清規なるものを作って、禅宗寺院内の生活の基準を与えたのが特例である。同時に、禅宗は戒を以て心地戒又は仏性戒となし、心性に戒そのものを見る解釈を取り、禅戒一致を説くが、実際は大乗仏教一般にもこの考えは存すべきものである。然し、この点が明確にせられたのは我国に於いて伝教大師のなした所である。伝教大師は既受の小乗戒を捨てて大乗戒のみを奉じ、而も戒そのものを自宗の教理に依って自性本具の無作戒となした。更に、親鸞聖人は絶対他力信仰によって持戒と否とは慈悲に関係なきことを許す点まで進んだ。然し、僧伽として見る時には、作善門に関する方面の欠けて居ることを感ぜざるを得ない点があると思われる。


 仏教では出家は遊行と同じであり、遊行は、印度一般としては、自利のみというべきであろうが、仏教としては、利他である。即ち、個人的であるのが、通常人には一般的であるのに対して、仏教では社会的であるといえるのである。故に、如何にも、この精神だに明かならば、出家の形を取らずとも可なるが如くである。然し、仏陀の当時としては、一般的にも、又歴史的にも、宗教家は出家たることが慣例であったものであるから、仏陀自身が既にこれに従って居たほどである。故に、既に、出家在家の別を立てる以上は、そこに何等か為すべきことの区別がなければならぬ。それは仏陀が六十人の弟子を巡遊布教に遺はしたことによって知られる如く、仏陀の正法の宣布の責任者となるのが出家の本務とせられるのである。


 支那に仏教が伝来して大なる発達をなしたことは事実であるが、然し、僧伽に関し、寺院について見れば、印度に行なわれたのと大なる差異はない如くである。唯、この間に於いて、特に目立つ点は、仏教と国家との結合せる点と寺院が社会事業に努める点とであると思われる。国家が仏教を用いるのは阿育王の時にもこれを認めるを得るが、支那としては一層密接な関係となり、国家の監督も厳重に行われ、官許によりて僧尼の出家するなども少なくなかった程となった。又、寺院としては官給によって立つもの、信者の施与によって生活するもの、自給自足によって生活するもの等があり、寺領財産を有し、直接に救貧、療病、治水、架橋、金融等の社会事業をなして、教化と相並び行なわれるに至った。従って、寺院と一般社会との接近もあったが、同時に殆ど全く世外的に別離して居る寺院もあったのである。支那仏教一般としては、殊に大乗仏教が盛んであったにも拘らず、戒も律も小乗仏教のものであって、大乗戒すら実際としては比較に遵奉せられなかったのである。


 我国にのみ特有なのは、徳川時代に一定した各宗の制度的別立と、寺院檀徒の固定とである。


 仏教は一の大なる教育説であって、而も、被教育者の素質に応じて、種々なる段階的の教相を分って、説き教えるから、上級教育の素質のものに対する教のみあらば、初級教育の教は無くとも可なりとはいえない。又、上級教育の教から見れば、初級教育のそれは不完全でもあり、不徹底的でもあるであろうが、然し、初級教育に相応する人々からいえば、決して、不完全でもなく、不徹底的でもなく、而も、却って、適当な効果を収め得るものである。従って、これを貶排せんとのみなすのは仏教の大趣意を穿違へることになる。


 一般に煩悩は心の汚れであり、本心を煩擾悩乱するものとせられて居るが、元来は心の作用に外ならぬものである。


 印度最古の時代に、三界というては居るが、これは天と空と地とを三界というたものであって、決して、欲界と色界と無色界とを指したものではなかった。


 何ぞ、今生に於いて、来生の準備として、知って置く必要があろうか。今生ですら、教の如くに実践することが到底出来ないから、むしろ、今生の努力に、一層の精進をなす方が、有意味であると考えざるを得ない。


 仏教は、この日常生活を、より善くする為のものであって、その外には何等の目的もなく、努力も要しないものである。このために、古来の仏教者が心血を注いだのである。また日常生活だに完全真実な域に達すれば、仏教はもはや必要なきものである。この点からいえば、仏教は必ずしも目的たるものではなくして、却って、目的を示す手段たるものとしての性質を有するものであるといえるが、然し、人生は絶対完全な域に達する性質のものでなくして、絶対完全態という理想を追って、無限の努力をなす所に、真意義を有するものであるから、仏教も、亦、その絶対完全態を明示して、そして、それに対する、この無限の努力精進を起さしめ、続かしめ、促進せしめる役目を演ずるものである。


 何ぞ、今生に於いて、来生の準備として、知って置く必要があろうか。今生ですら、教の如くに実践することが到底出来ないから、むしろ、今生の努力に、一層の精進をなす方が、有意味であると考えざるを得ない。


 仏教は、この日常生活を、より善くする為のものであって、その外には何等の目的もなく、努力も要しないものである。この為に、古来の仏教者が心血を注いだのである。また日常生活だに完全真実な域に達すれば、仏教はもはや必要のなきものである。この点からいえば、仏教は必ずしも目的たるものではなくして、却って、目的を示す手段たるものとしての性質を有するものであるといえるが、然し、人生は絶対完全な域に達する性質のものでなくして、絶対完全態という理想を追って、無限の努力をなす所に、真意義を有するものであるから、仏教も、亦、その絶対完全態を明示して、そして、それに対する、この無限の努力精進を起さしめ、続かしめ、促進せしめる役目を演ずるものである。


 苦諦を説くのは、決して厭世観たるを現すのではなくして、むしろ日常生活の現実態に満足せずして、向上心を起さしめるのを趣意とするものである。然らば、これ程、日常生活に適切なものは無いというべきで、これが、真に人生を意味付けるものであることは何人にも異論なかろう。而も、かかる我見貪怒を制御するのは、仏教一般としていえば、これ空観に徹する道程たるに外ならないのである。即ち小乗仏教と雖、空観に基かしむることによって、真の小乗仏教たり得るのである。


 完全に制御し得れば、他律的生活は、全く自律的生活となるのであって、それが滅諦涅槃である。滅諦は人生の絶対完全態であるから、事実上では、到底実現するを得ないものである。然し、実現するを得ないからと言って、これを放棄すべきではない。苦諦に於いて向上心を起したのは、この絶対完全態に対して、これを実現せしめる努力精進を為す決心をなしたことであるから、放棄はそれと矛盾する。たとえ、完全には実現するを得ないにしても、絶対完全態に対して、無限の努力をなすのが人生の意義であって、努力する所に、一歩一歩、実現せられつつあるのである。吾々の日常生活が、実際上、この如きものであって、吾々は意識するとしないとに拘わらず、理想の実現に努力しつつあるし、而も何人も、満足な状態に達せずに、ひたすら努力しつつあるのである。この無限の努力をなす所が即ち道諦で、従って、道諦は我見貪怒の制御の過程である。故に、人生の行路は、凡て、道諦に外ならぬというべきで、ここに七賢四聖が区別せられると見るべきである。


 仏陀の成道十二年、初めて、不邪淫戒を制したと伝説せられるように、十二年間は何等の禁止箇条も無かったのである。この如き性質のものであるから、禁止箇条の数の決定するのは、仏陀の入滅後となる道理である。或は、仏陀の晩年には、殆ど、もはや、禁止すべきことも起らなくなったと考えられるかも知れぬが、然し、六群比丘などを見ると、必ずしも、そうとのみは考えられない。従って、仏陀在世時に、既に、二百五十戒が決定して居たとなす如きは、全然事実に相違することである。


 犯行のあった毎に、仏陀によって禁止箇条が制定され、漸次、その数が増加し、それを人々が暗記して居て、布薩のたびに、人々の自省自粛の用に、供されて居たのである。従って、その数の中には、将来、必ず遵奉せねばならぬというほどで無いものも、含まれて居たと考えられる。即ち、それを省いても、必ずしも、缺ける所は無いといえる如きものも、あったであろうと思われるのである。


 通常、戒律と熟字して用いるが、細にいえば、律は広く、戒は狭い。律は止持門、即ち止悪門と、作持門、即ち作善門とを含み、戒は、主として、止悪門を指すのである。従って戒は禁止箇条で、それが、比丘には二百五十、比丘尼には五百、沙弥沙弥尼には各十、式叉摩那には特に六、優婆塞優婆夷には各五あって、所謂七衆戒となって居る。禁止箇条は、性質上、仏教者の為すべき中心的の行を、傍から、不正の域に逸せしめないように、規定するものであって、たとえ、その反面には、大なる積極的方面があるにしても、当面に於いては、全く、消極的のものである。不殺生戒は、その当面に於いては、単に殺生せざれ、ということであって、決して、不殺生を為せというのでは無い。勿論、慈悲に住して居るから、殺生をせずに居るには相違なく、又、慈悲を行ずるから、不殺生戒が持せられるのではあるが、不殺生戒の字義の当面には、慈悲を行ぜよという積極的の命令は無い。従って、戒は、表面上、一種の手段たるべきもので、目的たる性質のものでは無い。仏教者としては、単に戒を守ることに終始するよりも、むしろ、進んで、仏教者としての中心的の行の、実践に専念すべきである。即ち、戒によって定を深め、定によって慧を発し、定を慧の体、慧を定の用とし、定慧不二一体の所に至って、仏教者の中心的の行が完全するのである。


 仏陀は、その遺誡の中に、若し僧伽が欲するならば、既制定の中の軽小なる戒は、これを廃しても差支えないと言われたと伝説さられて居る。勿論、その趣旨は、瑣末な戒に拘泥するが為に、中心的の行の実践が、忽諸に附せられるが如きことなからしめる点にあったのである。然し、滅後、大迦葉は遺法の崩れんことを怖れて、既制定の戒は、凡て、遵奉することに決したという。凡ての戒を実行する厳粛さには、自ら頭の下がるものがあるが、仏陀の遺誡は、千古不朽の名言であると頂戴すべきである。これ等に、明かに、仏教の精神が表し出されて居るといえるのである。


 「心こそ心迷わす心なれ 心に心心ゆるすな」


 「活人剣」の中には、この歌を細に注釈して、次の如くいうて居る。「心こそ」の心は、「妄心とてあしき心也、我本心をまよはするなり」とし、「心まよはす」の心は、「本心なり、この心を妄心がまよはする也」とし、「心なれ」は、「妄心をさして、心なれと云也、心をまよはす心也とさしていう也、妄心なり」とし、「心に」は、「妄心也、この妄心にと云也」とし、「心」は、「本心也、心殿とよびかけて、本心に、妄心に心ゆるすなと也」とし、「心ゆるすな」は、「本心なり、妄心に本心をゆるすなと云なり」。以上は、殆ど、丁寧過ぎる程の、詳細な説明であるが、この意味を見れば、心ゆるすなは、剣を取った時にのみ、行なわれ得るといえるものではあるまい。兵法家伝書は、剣というよりも兵法といい、而も、これを治国平天下の法として見て居るから、明かに、これ、日常生活に於いて、心ゆるすなを実行する趣意であるといえよう。それと同じく、禅でいうても、亦、坐禅して居る間のみが、心ゆるすなを実行するを得るのではなくして、禅は行住坐臥、凡てが禅であると見られるから、心ゆるすなは行住坐臥に於いてである意味になるのであろう。


 「心ゆるすな」は無心と同趣意である。「心に心心ゆるすな」は、本心よ、妄心に汝自らをゆるすな、の意味で、本心が、自らを、妄心の蹂躪に委ねてはならなぬというのであるから、妄心を無くすることを目指していうて居るに外ならぬ。無心は遮詮で、その表詮が本心である。この意味を、また、他の語でいえば、己を虚しうすることでもあろうし、我を張らぬことでもあるといえるであろう。



(宇井伯寿)