< 仏教活論序論 >
僕は早くから、仏教が世間で振るわないことを嘆き、その再興を自分の任務とし、独力で研究を重ね、既に数十年が過ぎた。最近になってようやく、仏教が西洋の科学や哲学の原理と一致することを発見し、これを世の中に示すことを目的として、ここに一大論文を著すことにした。その名を「仏教活論」という。まず第一に、、その端障を述べて、真理の性質と仏教の組織とを簡単に説明する。これを題して「仏教活論序論」という。本論に入る前の準備段階と言う意味である。本論は「破邪活論」「顕正活論」「護法活論」の三部に分け、いまから三カ月をかけて原稿を書き、その後、世間に示して世の人がどのように考えるかを試してみたい。
僕が仏教を論じるスタイルは、哲学の上から公平無私の判断を下すものであり、世間の僧侶たちの理解とは違っている。また、キリスト教者が見るものとも大いに違いがあるであろう。そもそも僕が仏教を助けてキリスト教を排除するのは、釈迦その人を愛するからではなく、キリストその人を憎むからではない。ただ僕が愛するのは真理であり、僕が憎むのは非真理である。今、キリスト教の教えには真理として採用できない部分があり、仏教の教えには非真理として捨てるべきではない要素がある。これが、僕がキリスト教を排除して仏教を助ける理由である。
僕がいう仏教とは、現在、日本に伝わっている仏教をいい、その教えの初祖を釈迦という。ゆえにキリスト教者の中で、インドには仏教の原書はない、大乗は仏説ではない、釈迦は現実には存在しなかったなどと云々する者がいるが、僕には何の影響も与えない。その人の伝記が詳細でなく、その教えの由来が明らかではないかといって、僕は伝記によってその教えを信じるような見識のない人間ではない。僕がそれを信じるのは、現在日本に伝わっているものが哲学の道理に合致するからであり、それを排除するのは哲学の道理に合致しないことによるだけである。
今、仏教は無知な民衆の間で行われ、無知な僧侶の手で伝えられているため、悪習がとても多く、外見上、野蛮な教えとなっている。そのために仏教が日に日に衰退している有様である。これが、僕が大いに嘆く点であり、真理のためにあくまでこの教えを護持し、国家のためにあくまでその弊害を改良しようと思うのである。だが、その護持と改良のやり方は、今の僧侶たちと一緒にやろうとしても無駄である。彼らの過半数は学識も気力もないからである。そのため、たとえ一緒にやろうとしても志を遂げられないのは必至である。そのため僕は、世間の学者、才子(智恵者)の中で、かりにも真理を愛し、国家を護る志をもつ者がいれば、彼らとともにその力を尽くすことを決意し、あわせて世間の学者、才子の方には、僧侶の世界の外に仏教の真理を求められることを望むものである。
僕は生まれながら性格が頑固で、みずから次のことを誓っている。人のために序文を書かない、人にお願いして序文を書いてもらわない、人のために文を飾らない、人にお願いして文を飾ってもらわない、ということである。そのため僕の文を見ると、通常の書物と性格が大きく違っており、読んだ人は僕が変わり者であることがすぐにわかるであろう。本書は、それを証明するものである。僕は貧しく病気がちで、権力や名誉には関心がなく、ただ一生、街中に潜んで真理を楽しみ、粗末な家に座して国家を思う赤心(まごころ)を持っているだけである。常日頃、口に発し筆で示すものも、またこの心の余滴に過ぎない。そのため、この論文も、みだりに人に序文、賛文を頼んで世間の虚名を釣ろうとせず、文の修飾を借りて読者の愛顧を引こうとせず、無味無色なままで僕は満足なのである。もし、この論文を一読して、幸いにも僕の思いを知り、ともにその力を尽くして、傾きつつある仏教を支えようとする人がいたら、どうか知らせてほしい。僕の喜びははかりしれないであろう。
伏して願うには、早く同じ考えの同士を得て、爽やかな風が吹く月の美しい夕べに、ともに仏教を護持する対策を講ずることである。これが僕の人生をかけた大願である。これが、僕がこの本を著した本志である。
人、誰か生まれて国家を思わない者があろうか。
人、誰か学んで真理を愛さない者があろうか。
僕は卑しい生まれで、田舎に育ち、才能も学問もないが、護国愛理の一端だけはしっかり持っている。朝の雨、暮れの風に接するごとに護国の情を動かし、春の花、秋の月に遇うたびに愛理の念を発し続けてきた。この情とこの念とが結合して、僕の一片の丹心(まごころ)となっているのである。僕はよくこの心を養い、この心が反対に僕を護っている。家が貧しく粗末な衣服は寒さを防ぐことはできないが、僕には幸いにもこの心があるから全身に暖かさを感じ、粗末な食べ物は飢えを支えることはできないが、僕には幸いにもこの心があるから全身、肥えるのを感じるのである。
ああ、僕を生かすのはこの心である、僕を活動させるのはこの心である、僕を笑わせ、僕を語らせ、僕を泣かせるのはこの心である。この心があって僕の身体がある。この心があって僕の生命がある。僕はどうして、この心を守らずにいられようか。僕はどうして、この心のために尽くさずにいられようか。
ああ、僕は真理を呼吸して生活するものである。
ああ、僕は真理を消化して生長するものである。
そのため僕は、真理のためにあくまで心を尽くし、あくまで力を尽くそうとするのであるが。これが僕の一生の願いである。思うに僕がこの世に生れてきた目的も、これに他ならないであろう。
生物の中で人類だけが真理を知っているとか、人類の中では学者だけが真理に通じていると考えるのは、もとより一種の偏見といわなければならない。もし、自分の説の他に真理はない、自分の法(おしえ)の他に真理はないというに至っては、偏見中の偏見というべきである。真理が、どうしてそのように偏ったものであろうか。僕が望むのは、ただ公平無私、普遍正大の真理を愛救することであり、不完全な真理を愛救することではない。ゆえに僕はあくまで偏った真理を退けて、無私の真理を開発しようと務めているのである。
古くから世間の中で、真理の考究を目的とするものはとても多く、どんな学術であれ真理に関連しないものは一つもない。特に宗教は、その目的が時代の古今、身分の上下を問わず、すべての人を、みな同じように感じられる安楽の地に永住させることであるから、しっかりとして動かず、一定不変の真理を主張するものである。
つまり学術上の真理は、場合によっては世の進歩とともに変更することを認めるが、宗教上の真理は古今東西において全く不変のものと確定するのである。ゆえに僕はさしあたり諸学術の真理を追究するのではなく、もっぱら宗教の真理とするものが果して一定不変の真理であるか、公平無私の真理であるか、を明らかにしていきたい。
そもそも僕が、完全な真理が仏教の中に存在するのを発見したのは、ごく最近のことであるが、その探索を始めたのは昨日今日のことではない。明治の初期の時からすでにこの気持ちを起こし、かつて一日たりともこれを忘れたことはなかった。
しかし僕は初めから仏教が完全な真理であることを信じたのではなかった。それがわからなかった時には、逆に仏教を非真理と信じて誹謗し排斥していたことは、一般の人と少しも違わなかった。
すでに哲学の世界に真理の明月を発見したわけであるが、ここで改めてそれまでの宗教を振り返ってみると、キリスト教が真理でないことはいよいよ明らかであり、儒教が真理でないこともまた容易に証明することができた。ただ仏教だけは、その教えが大いに哲学の原理に合致していたのである。僕は再び仏典を読み、ますますその説が真であることを知り、拍手喝采して叫んだ、「どうして知ろうか。ヨーロッパで数千年来、実究して手に入れた真理が、すでに東洋三千年前の太古に備わっていたことを」と。
僕が幼い時、仏門にありながら仏教の中に真理があることがわからなかったのは、当時の僕の学識が乏しく、これを発見する力がなかったからである。ここで僕は新たに一宗教を起すという思いを絶ち、仏教を改良してこれを文明開化の世界の宗教とすることに決めた。明治十八年のことである。これを僕の仏教改良の紀年とする。
全くもって今日の僧侶たちは、無資力、無精神、無学識、無道徳の極みに達したといってよい。およそ人たるもの、一志をもって護法(仏法を護ること)に立たず、一事をもって愛国に尽くすことがなければ、一体、何の面目があって、社会と相い対し、世間と接することができようか。これは実に国家の罪人であり、仏教の罪人である。このような僧侶たちによって仏教の改良を実行しようとするのは、山を挟んで海を超えるよりも難しいことだ。。もし仏教の改良をこんな奴らに委ねるならば、世間に比べるものなく、永遠に二つとない真理が廃れてしまうであろう。かりにも真理を愛する者ならば、これを深く嘆かずにいられようか。
それゆえ、僕は現在の学者才子とともに協力し、あくまでこの教えを日本に維持し、この真理を将来に伝え、後代に真理を求める者のために、その針路を学界の海の中に開くことを祈念し、あわせて東洋固有の文明、日本従来の思想を護持、拡張して、将来、永遠にわが国を西洋と張り合い、対立させることを切望してやまないのである。
僕はある日、病床にあって嘆きに嘆いて、次のように叫んだ。
『今、仮にも学識ある者は、みな仏教を忌み嫌い、僧侶を排斥しない者はいない。それなのに僧侶社会にあっては、専心鋭意よく護法愛国の志を立てるものは微々たるものであり、暁天の星のごときである。その他はみな無気無力で、心中に愛国の一片すら持たない連中で、つまるところ国家の有害物にすぎない。僕は病中にいるが、どうしてこれを黙って見ていられようか!』と。
近頃ようやく快方に向かい、いくぶん体力を回復すると、天がまだ僕を見捨てていないこと知って、心ひそかに喜んでいたが、僕の人生は本来、朝露の一滴を浮世の葉の上に結ぶように、はかないものであり、いつ忽然と空中に散ってしまうかもわからない。そもそも貧乏に生れて貧乏に死んでいくことは、僕は別に何とも思わないが、この赤心(まごころ)がありながらそれを果すことができないのは、死んでも決して眼を閉じることができない。
ただ次のようにも考えた。たとえ僕がその志を遂げることはできなくても、将来もしこの意志を継いで起ってくれる人がいれば、僕の心を慰めることができるであろうと。
ああ、仰いで仏典をうかがえば、真理の精気が書物の上に溢れるのを見、伏して仏理を思えば、真理の輝光が心の内を照らすのを感じる。実に仏教は前代未聞、世界不二の宗教である。実に完全無欠、万世不変の宗教である。僕はどうして真理のために、この教えを護持せずにいられようか。
世の中で仏教を評して、『一種の哲学である』というのは、仏教が情感の宗教ではなく、哲学上の宗教だからであることは明らかである。
僕は仏教を評して、『知力と情感とが両方完全な宗教である』といいたい。すなわち、知力をやわらげるには情感を用い、情感を導くには知力を用いる。このように知力と情感とが相互に助けあって両者を完全にさせるもの、これが僕のいう仏教というものである。
世の中がどれほど進歩しても、地上から愚かなものがいなくならないのは、僕はわかっているから、情感の宗教を全廃できないことははっきりしている。また人が知力の宗教だけを求めて情感の宗教を欠く時には大いに弊害があるであろうから、知力の宗教に伴って情感の宗教を保持しなければならないことはいうまでもない。
仏教には聖道と浄土との二門があり、聖道門は哲学の宗教であり、浄土門は想像の宗教である。語を換えていえば、一つは知力の宗教であり、一つは情感の宗教である。この二門を兼ね備えるから、仏教は下等社会に適用しても、上等社会に適用しても、智者学者に適用しても、無知愚民に適用しても、ともに相応の利益があるであろう。
実験の学問は近世になって初めて完全になったが、思想の学問は古代、すでにインドに完備し、今日の西洋の哲学であっても決してその右に出ることはできない。ただ、今日の西洋の哲学が優れているのは、科学の実験をもとに、その論理的な基礎を構成する部分だけである。しかし、その原理に至っては、釈迦が三千年前に定めたものと少しも違わないのである。この事実を、どうして驚かずにいられようか。
釈迦は三千年前の古代にあって、すでにある論理がその一端に偏る弊害があるのを見抜いて中道の妙理を説いた。そのいわゆる中道とは、「有でもなく空でもなく(非有不空)、有でも空でもある(亦有亦空)、中道であり、唯仏と唯心とを合わせた中道であり、主観と客観とを兼ねた中道であり、経験と本然とを統合した中道であり、可知境と不可知境とを両存した中道である。
真如は物であって物ではない、心であって心ではない。いわゆる「非物非心」でありながら同時に「是物是心」である。これを「非有非空」、「亦有亦空」の中道という。ゆえに僕は、ここで唯理論の名を使うが、だからといって理の一辺に偏るものではない。理と物心とが合して「不一不二」の関係をもつものをいう。これこそ僕が、これを名付けて中理論、または完理論と称する理由である。
僕たちの目の前に見る万物の実体を追求していくと、一つとして常に存在し、永く存在し続けるものはない。ゆえに、その実体はすべて空であるという。これを空諦(空という真理)という。しかし同時に、目前に見えている万物の現象は、現に存在するものであって空ではない。これを仮(け)という。すなわち万物は、その実体として空であるが、内外の様々な事情が合わさり、仮に目前で結合している諸現象としては有であって空ではないという。
このように、空であり有、有であり空であることを、ここで中というのである。これを合わせて空・仮・中の三諦という。この三諦の理が自分の心(一心)の中にあると観ることを「一心三観の法門」という。その自分の心(一心)の中に、本来的に千万の諸現象を具え、自他の現象世界を現わしていくことを、いわゆる「一心三千の妙理」という。
表裏はすなわち相対である。しかし表裏の本体は異なるのではない。一枚の紙がすなわちその本体である。
心鏡(鏡にたとえられた心)の表面に一点の妄塵もないことを空といい、その面に様々な像がはっきりと現われることを仮といい、鏡の本体を中という。この三者すなわち一、一すなわち三となるのを三諦円融の妙理という。
因とは原因であり、縁とは事情である。因と縁とが結合して生じるもの、これを果という。果とは結果である。もし人が本来的に仏性を持っていないのに、成仏の果があるとすれば、これは因がないのに果があることになる。もし本来的に仏性を持っているものが、成仏するための道を修めずに、その果を得たとすれば、これは縁がないのに果を得たことになる。
これをたとえると、もし氷の本体が水でなければ、これを溶かしても水となる道理はなく、またこれを溶かすべき事情を得るのでなければ水にならないのと同じである。成仏という果があるのは仏性を持っているからである。仏性を持っているものがすべて成仏しないのは、その道を修めないからである。これらはすべて因果の道理であり、一つの因があれば必ず果があり、一つの果があれば必ずその因があるという規則がこれである。ゆえに仏教が成仏を説くのは、全く因果の規則に基づくものと知るべきである。そして縁、すなわち事情は因を助けて果を生じさせるものであるから、果から見れば縁もまた一つの原因である。ゆえに、もし因を分けて内因と外因とする時は、内因はいわゆる因であり、外因はいわゆる縁である。このように理解してもおかしくはない。
ゆえに仏教が因果の規則に基づいて成仏の道理を説くのは、今日の科学の学説にぴったり合っているといえる。
そもそも事物の原因と結果がともに僕たちの知識内にある時は、これを必然といい、その外にある時は偶然という。すなわち必然とは、因があって果があるものに名付け、偶然とは因がなくて果があるものに名付けるのであるが、僕たちの生活の中で、因がなくて果があるのをみるのは、僕たちの知識の範囲が小さいからであり、その果だけを知って、その因を知らないだけであり、その因が本当に存在しないのではない。ゆえに、僕たちの知識の範囲が拡大していけば、偶然の事実というのは次第に減っていき、必然の道理に帰していく。
今日においても、昔は偶然と信じていたものが必然となったことがらは、どれだけあるかわからない。ここから考えて将来を予想すると、未来には、必ず世界の事物は全て必然の一理に帰する時があるであろう。それを要するに、真如の世界にはそれ自体が持つ因果必然の法則があって、その間に生存するものは皆この法則に従わなければならない道理なのである。ゆえに仏教では、因果の法則はブッダが作ったものでもなく、人間や天が作ったものではないと説いて、仏もその因を修めなければ、自分が必要とする果を生じることができないと説くのである。
そもそも釈迦は、人が世間の一方に偏るのを見て出世間の道を説き、人に世間を離れて修行を求めることを教えた。そして有と空とを説き終って中道に至ると、世間も出世間も一体となり、煩悩を離れて涅槃はなく、凡夫を離れて仏はなく、世法を離れて仏法はなく、この世を離れて未来はない、という道理を示すに至ったのである。
ここから見ると、釈迦の本意は、全く出世間の一道だけにあるのではないことが明かである。すなわち釈迦は表面に出世間を説き、裏面に世間を説くものである。そもそも釈迦の説に表裏の次第があるのは、時と人との事情によるだけである。もしその意図が出世間の一道だけにあるならば、どうして煩わしく中道の理を説くことを必要としようか。
表面を離れて裏面なく、裏面を離れて表面なく、その本体は同じである。これを平等という。この差別と平等とが合致するものを中道とする。
これは釈迦が、表面に知力の宗教を説き、裏面に情感の宗教を説いたことによる。
(井上円了)