< 不 浄 >
誰にても清浄にして、自身の清浄なることを知り、自身の清浄なることを知って快しとするものは不浄と化し、不浄の思いを抱いて死し、
誰にても不浄にして、自身の不浄なることを知り、清浄にならんと勤むるものは、清浄の思いを抱いて死すべし。
by仏陀
もし心の清浄なことを見守れというなら、われわれの本性ははじめから清浄である。
妄念によって真なるものが隠されているだけである。
妄念とは無関係に、本性は清浄である。
本性がはじめから清浄であることを知らないで、心を起して清浄なものを見守ると、今度は清浄という妄念を生みだす。
妄念には根底がないのだから、見守ることの方が妄念であるとわかる。
清浄には形がないのに、かえって清浄という形をおしたて、手がらであると考える。
こんな考え方をする奴は、自分の本性をさまたげて、自分の方から清浄に縛られているのである。
もし動かぬものなら、どんな人の過失も目に入らぬのが、本性の動かぬところである。
自分を見失ったものは、自分から身体こそ動かさないけれども、口を開けばすぐに他人のよしあしを問うて、道に背を向ける。
心を見つめ、心の清浄を見守るのは、かえって道をさまたげる原因である。
by慧能