< 温和にして静粛 >



 宗教の祖師が一たびその主義を唱導するや、永く影響を後世に及ぼし、到底磨滅すべからざるの痕跡を人類の歴史に留むるに至る。釈迦とイエスの如き、蓋しその最も顕著なるものなり。今吾人はこの如き宗教の祖師が如何にしてその功を奏するを得しかを考察するを要するなり。釈迦は二十九歳にして出家し、三十五歳にして成道し、成道後専ら衆庶を誘化することに従事せり。釈迦の年齢に就きて少なくも三種の異説あり。或いは彼、七十九歳にして入滅せりとし、或いは八十歳にして入滅せりとし、或いは八十歳以上にして入滅せりとす。然れども今しばらくその中間の説を取りて八十歳としてこれを考えるに、彼、実に四十五年間唯々布教をこれ事とせり。彼がこの如く長く延長せる歳月間に於いてその感化を及ぼすことを怠らざりしを以っての故に、彼が滅後に至りても遺存せる影響は少しも減少することなく、却って世と共に増大して遂に仏教と称する一大宗教となるに至れり。蓋し数千年の後に至るまで磨滅すべからざる痕跡を留めんには、これが原因となるに相当せる偉大の衝動を社会に与えざるべからず。もし一たびこの如き衝動を社会に与えんか、その結果は次第に増大して已むことなきものなり。然れどもこの如き衝動を社会に与えんには、長く延長せる歳月間に於いてその感化を及ぼすことを努むるより外これなきなり。然るにこれ実に釈迦の為しし所にして彼が影響の今日に存するもの、またその故なきにあらざるなり。然れども吾人はなお眼を転じてイエスの事蹟如何を顧慮すべきなり。彼は釈迦の如く長寿なりしにあらず。彼は僅々一年乃至三年の説法を為し、これに由りてキリスト教と称する一大宗教の祖師となるを得たり。彼は如何にして僅々一年乃至三年の説法によりて釈迦に劣らざる偉大の影響を後世に及ぼすを得たるか。吾人は初めより何等か特殊の原因ありてイエスの事蹟に存するを予想せざるを得ず。然るに吾人をして忽ち念頭に現出せしむる所のものは、イエスの言論行為の極めて激烈にして殆んど爆裂薬の爆裂するが如き状況ありしこと、是なり。これイエスの大に釈迦に異なる所なり。釈迦はその甚大なる度量、大海の如く衆多を容れて自家洪鑪中に於いて鎔鋳せり。イエスは微賤力なきを愛するは慈母の如しと雖も、適者に向いては峭刻峻氏A剣鋒を以て人の胸を刺すが如き危言をなせり。黄石子に曰く「山峭者崩」と。イエスの悲惨なる事変に遭遇し、非命に斃れたるも、またその性の然らしむる所なるを知るべきなり。遮莫一大事業を成すもの必ずしも長寿を要せず、何等の活発なる行為もなく、眠るが如くして長寿を有するも、その実初めより死せるに異ならざるなり。探求を主とする学者の如きは長寿を有せざればその事業を成すこと能はずと雖も、宗教家の如きは必ずしも然らず。短日月の中に激烈なる衝動を社会に与うるを得ば、これに由りてその功を奏することなきにあらず。イエス、実にその的例を示せるなり。釈迦の如き温和なる資性を有するものは長く延長せる歳月を要すると雖も、イエスの如き激烈なる資性を有するものは必ずしもこれを要せず。その胸中に鬱屈せるものを一時に射出して、社会を根底より改造するの端緒を開かば、その影響如何んして容易に消失するを得ん。宗教の持続し若しくは開展せる勢力は実に祖師の初め社会に与えたる衝動の影響の綿々として遺存せるものなり。然れども宗教の勢力の由りて来たる所を論ぜんにはなお他の方面より考察せざるべからずものなきにあらず。何ぞや、祖師の事蹟に関する同情、これなり。もし人類を困苦中より救い出さんとの好意を有する祖師にして、反対者の為に迫害されて非命に死する如きことあらば、その衆庶の同情を惹起すること蓋し少々にあらず。但々未だイエスの如く甚だしきものはあらず。頭に刺ある冠を戴かせされ、顔に唾吐き掛けられ、鞭打たれ、種々なる侮辱を受けたる後にGolgothaに於いて磔殺せらる。その磔殺せらるるや、彼は衣服を剥がれ、裸体のままにて十字架に上ぼせ、手足共に釘にて打付けられ、最後に槍にて突透されたり。彼この如き悲惨なる運命に遭遇し、彼が好意を知るものをして実に酸鼻に堪えざらしむ。これを以てその後世の同情を惹起するの度は何人も及ぶ能はざる所なり。蓋し祖師の受感したる苦痛と信者のこれに対して表する所の同情は殆んど比例をなすものの如し。キリスト教徒が如何にその祖師に対する同情の厚きかはこの点より考察すれば了解すること難しとせざるなり。然れども釈迦の場合に於いてもまた深く人の同情を引くものなきにあらず。彼、太子の位置にありしに、永遠にこれを捨てて、出家したるが如き、決して常人の為す能はざる所にして、如何にその意志力の強大なるかを指示すればなり。然れどもイエスが遭遇せし如き甚だしき災厄はかつて彼が身辺に迫らざりき。これ故に彼が後世に偉大の影響を及ぼしし所以は寧ろその長く延長せる歳月間に於いて繰り返し繰り返しその教義を説明し、到底忘べからざる所のものを衆庶の記憶中に留めたるに由るなり。これ故にイエスの如く極めて危激なる言論行為によりて悲惨なる運命を招き、これに由りてその影響を後世に及ぼしたると同じからざるものを知るべきなり。宗教家はその祖師を模倣するが故に、祖師の気風は自らその教徒中に遺存するを見る。キリスト教徒はイエスの如く、深厚なる愛情を具うと同時に危激なる言論行為なしとせず、もしキリスト教徒の歴史に徴せば如何に彼等が祖師に類せる惨劇を演せしかを見るに余りあらん。然るに仏教徒はこれと同じからず。多くは温和にして静粛なるの状あり。危激なる言論行為は決してその本色にあらざるなり。然るにこれ皆その祖師として模倣する釈迦彼自身の資性如何に本づくものなり。






< 三 毒 >



 釈迦曰く、「苦痛の原因は三毒に外ならず」と。三毒は貪・瞋・癡、これなり。世間の人この三毒を有し、これが為に自ら百般の苦痛を招集し、無限に輪廻して曉らざるなり。然れども単に三毒即ち苦痛も原因なりと云うを以て止むべきにあらず。なお更に一歩を進めて、その三毒は抑々何等の原因ありて起こるかを究明せざるべからず。これ故に彼、三毒の原因は我想を起し、我を以て本となすにありとせり。我とは何ぞや、これ他なし。所謂固体主義に外ならず。即ち人々個々己れを以て中心点とし、徒に己れに利益あることのみを希求して、他人に対するに不仁の情を以てするを謂うなり。もしそれその情態に放任せば人々個々唯々我さえ生存せば世界は滅するも可なり、と叫ばんとす。彼、この如き事実を看破して我想実に三毒の原因なりとせり。然れども我想は抑々如何なる原因にとりて起こるか、なお溯りて終局の原因を究明せざるべからず。彼蓋し無明即ち無識を以て終局の原因とし、我想は無明より起こるとせり。その「慧光生ぜざるを以ての故に、生死の黒障を滅すること能はず」と云うを以て知るべきなり。これに由りてこれを観れば、生老病死等の苦痛の本源は畢竟無明なり。無明さえ除去するを得ば、その結果は盡く消滅せざるを得ず。無明は如何にして除去するを得べきか、その方法は他なし。唯々真正の智識を得るにあるのみ。果して然らば真正の智識は如何んとしてこれを得べきか。唯々釈迦の教義を了解するによりて得べし。何となれば、彼独り真正の智識を畢波羅樹下に得たればなり。これ故に仏教にありては智識実に解脱を得るの関鍵なりと謂うべきなり。






< 仏教は科学 >



 釈迦のこの無常の考は今日の科学上より云うもまた真理たるを失わざるものあり。一切の現象は物質これが根底たり。我身の如きもまた然り。現象は種々に変化し、様々に遷流すれども、物質それ自身は曾て生滅増減せず。即ち不生不滅、不増不減、生滅増減するものは唯々現象のみ。現象は暫くも同一の情態を維持するを得ず。如何に静止するが如き現象も微細なる変化を為しつつあるなり。一切結合の変化を外にするも、なお空間的及び時間的の変化を免れざるなり。今吾人が己が身を以てこれ我れなりと思惟して我想に執着すれども、如何なる人の身も日夜変化して止まらず。すでに生じ、すでに長じ、またまさに老いんとし、遂にまさに死せんとす。例え身を組成する物質(即ち原子)は常住不滅なるも、組成の結果によりて成立する身は暫くも変化せざる時なきが故に真に無常なり。もし精密にこれを云わば、今年の我は去年の我にあらず、今日の我は昨日の我にあらず、この時の我はすでに彼時の我にあらず、時は推移して已まざるが故に。僅かに我に就きて思惟する時、初め思惟せんとする我とすでに思惟し得たるの我と同一ならず。過去は往いて返らず、未来は未だ現在とならず、現在は水の如く常に遷流しつつあるが故に。本とこれ即ち我なりと確執して一定の個体を成すべき根底あるなきなり。これ故に一切の現象の変化を免れざるを知らば、我身もまたその一部分たるの故を以て無常のものたるを知るを得ん。もし能く我身の無常たるを知らば、これに於いてか我想の迷妄なるを看破し、始めて我と我所とを離るるを得、もし能く我と我所とを離るるを得ば、苦の如何にして起こるかを知る。委しくこれを云えば、現象生ずれば苦これに由りて生ずるを知る。これに於いてかまた現象滅すれば苦これに由りて滅するを知る。果して然らば現象の差別相を離れて一転してこれより以上に上り、実在の差別別相に合するの要を知る。これに至りて、一切世間上の繋縛を離れて終局の理想たる解脱に到達するを得るなり。然るに世人が繋縛中に蠢動して終始苦を免れざるものは何ぞや。本来我及び我所なきに、無識の為めに倒惑想を生じ、倒惑相あるを以ての故に、彼等は妄断して我及び我所ありとなし、一意我想に執着し、差別相に拘泥す。これを以て貪・瞋・癡の三毒及びこれが応報を受くるを免れざるなり。然れども彼等がもし能くその倒惑想を断ずるを得ば、これに於いてか解脱に到達するを得べきなり。これを法本無我の説となす。





(井上哲次郎)








< ヨーロッパ思想と並べて >



 人類の偉大な哲学者たちの間において、ナーガールジュナ(2世紀に生れたインド仏教の僧)はいかなる位置を占めているか?これを指摘することは、かららずしもインド学者だけの仕事ではなく、同様に一般哲学史家の仕事である。しかし、そのテキストが理解可能な翻訳として、その哲学史家に入手できるようにならないかぎり、われわれは彼にわれわれの指導を期待することはできない。インド学者自身も、インドにおいて出会う観念とヨーロッパ哲学の広い分野において見出される同様な観念とを比較することによって、この仕事を自分自身で試験的にやってみなければならないことに気付いている。インドの哲学者を『虚無主義者(ニヒリスト)』、合理主義者、汎神論者ないしは実在主義者(リアリスト)等々と規定することの中に、すでに一種の比較は含まれている。エイ・バイト、イー・スナールその他のひとびとが、未熟な、人を誤らす比較に抗議をしているとしても、その唯一の理由は、インドの哲学者とその西洋の同僚との間に類似点よりも相違点を多く見出したからなのであるが、しかし相違を見出すことは、すでに比較を行なうことを意味しているのである。たとえばナーガールジュナを『虚無主義者』と規定することは人を誤らす比較を行なっていることを意味する。何となれば彼の論理排斥は彼の哲学の一部であって主要部ではないからである。ある哲学者を理解するためには、アンリ・ベルクソンによって提示され、かつ見事に適用された方法にまさるものはない。それはすなわち、そのひとを種々な部門・・・それだけではいまここに問う哲学者とはならないであろうが、それらを集積するとわれわれが彼を理解するのに役立つような・・・に分析するのである。


 インドの側についていえば、われわれは何よりもまず、ナーガールジュナとヴェーダーンタ哲学(インド哲学)とのほとんど完全な一致・・・それはおそらく彼がウパニシャッドの伝統を負っている結果であろうが・・・を指摘しなければならない。もしビー・キース教授や、エム・ワレザー教授が、ナーガールジュナは否定にとどまり、この世の経験的実在性をも否定した、とお考えになったとしたら、それはただ、彼の真の目的、彼の否定主義の積極的一面である法身と、梵との暗合がこのかたがたの注意をまぬがれたためにほかならない。この暗合からして、ドイッセン教授が事実発見し、また発見したと想像したショーペンハワーとヴェーダーンタ哲学との接触点のすべてが、ナーガールジュナにも同様にあてはまることになろう。この哲学はもっともはっきりと合理主義・・・人間の理性は事物を真実に、あるがごとくに認識するに耐えうると主張する、近代および古代の、インドおよびヨーロッパのもろもろの体系・・・に反対した。彼は、その不能なることを、さらに極点にまでおしすすめ、かつてのいかなる哲学者よりも強調して論理の要求に挑戦している。その他の注目すべき類同は、、ナーガールジュナが多元論を一元論に持って行った足どりを見ることによって摘り出されるであろう。およそ学問の体系は大別して二つである。第一の体系は、独立した一つの実体という考えを中心とする。そしてそれは、調和してはいるが個々別々な単子(モナド)の存在を仮定する。もう一つは、消滅変化する出来事の不断の流れを仮定し、次の段階において、それらすべてを抱擁する不可分なる実体を仮想する。これが上に見た大乗対小乗の位置である。ギリシャにおいては、これは、パルメニデス(ギリシャのエレア哲学の祖)対ヘラクレイトス(ギリシャのイオニア派の哲学者)の位置と並べられて来ている。この歩みは近代ドイツ哲学においてもくり返される。エィチ・ヤコービ教授はすでにエレアのツェノーン(イタリー、エレア派の哲学者)とナーガールジュナとの比較を暗示しておられる。われわれはこれに、その類似はその弁証法のみに限られない、と付け加えるべきであろう。ツェノーンは、今日知らるるごとく、運動の不可能なることを立証せんがためにまた世界を運動なき全体とみるパルメニデスの概念を支持せんがために、かの有名なる『詭弁』を考え出した人である。ついで非常に顕著なことは、ナーガールジュナの否定論と、ブラッドレー氏(イギリスの新カント派の哲学者)の、日常世界のすべての概念・・・事物と性質、関係、空間と時間、変化、因果律、運動、自我・・・に対する貶難との暗合である。インド人の立場から見れば、ブラッドレー氏は純粋な中観論者と規定することができる。しかし、これらすべての類似に先立って、われわれはおそらくさらに重大な、骨肉のごとき親近性をヘーゲルの弁証法的方法をナーガールジュナの弁証法との間に見出すであろう。ヘーゲルは彼の精神現象学の中で常識に挑戦し、われわれの経験において、それが何であるかがはっきりと知られている、ある対象を摘り出そうとしている。そしてその対象についてわれわれが真実に知っていることは、その『これなること』であり、その内容として存続するものは全て関係である、と述べることによってこの問題を解決している。これが大乗家の如性、即ち『かくあること』の正確な意味であり、また上に見て来たごとく、相対性が空性という術語の正確な意味なのである。さらにわれわれは、次のことを主張する上でこの空の方法が充分適用されることを察知する。われわれが或る対象を真に規定しうのは、それに対比される別の対象をはっきり考慮することによってはじめて可能なのであって、この対比が妨げられると対象はいかなる内容をも欠如することとなり、相反するこの両者は共にこれら両者を包括するさらに高度の或る総合のうちに冥合してしまうのである、と。事実はただ相関するものとしてのみ知られるのであり、相対性という普遍的原理は実在によって正しく意味づけられるものすべてのことにほかならない。両りの哲学者は共に確言する、『否定性(空性)は宇宙の魂である』、『否定性は世界の霊魂である』と。事実の世界を、すべてに普遍する相対性の領域に帰着させてしまうことは、認識しうるものはすべて誤りであり、一時的であり、幻覚的であるということを意味することになるが、実在の世界はまさにこの事実の上に立っているのである。最初は究極の実在のように見える感覚ないし感覚対象(色)でさえ、やがてわれわれは、これらのものが関係性・・・これなければこれらのものは無意味となってしまう・・・の中に立つものであることを徐々に発見する。相対性すなわち否定性は、まことに宇宙の魂である。


 さらにいくつかの類似点が、ナーガールジュナとあらゆる一元論者との間に容易に見出されるであろう。このことはさらに、彼とニコラス・クザーヌス(ドイツの神秘主義哲学者)、ジョルダノ・ブルーノ(イタリアのルネッサンス時代の哲学者)その他のごとく絶対を認識する上に否定的な方法を主張した哲学者たちの間において一層あてはまる。ブッダの宇宙身(法身)を唯一の実体と見る大乗家の概念が、スピノーザの、神を唯一の実体とみる概念、すなわち神のみ実体、神即自然という考えとまったく同じであることは否定しがたいところであろう。あらゆる個物を永遠の相の下に見るスピノーザの直観は知性の合理的能力と考えられ、ナーガールジュナの直観は神秘的と考えられるにもかかわらず、両者はともに同一の結果にいたる。


 これらいくつかの共通点は、当然のことながら、それにいかなる価値があるかが考慮せられねばならない。まずその一つとして、これらの事実はナーガールジュナに『虚無主義者』という性格を適用することを阻止するに違いない。彼と、ヨーロッパにおける一元論の上での彼の仲間との間に存する主たる相違点は、すくなくも実在それ自身が何であるかを認識する究極の点に対しては、彼は論理を信じなかったという点である。ヘーゲルもブラッドレーも自己の論理の有効なることを信じていたようにみえる。彼ら自身の結論に照らし合わせてみると、彼らの論理が捉えどころのないものになってしまうということに彼らは気づかなかった。ナーガールジュナは充分この事実に気付いていた。だからこそ彼はまったく論理を捨てて、絶対なるもの、すなわち”唯一にして無二なるもの”の直接的神秘的直観に身を委ねたのである。この、論理否定から直接知覚への歩み、ないし飛躍は多くの哲学者によってなされたところであるが、今日においてそれはアンリ・ベルクソン氏の人格の中にこよなく雄弁に顕現せられているのである。




(シチェルバトスコイ)