< 道元と親鸞 >



~ 禅(自力)と念仏(他力) ~




彼此俗姓の比較的相違


親鸞の俗姓は天児屋根尊の苗裔藤原家であった。


道元の俗姓は村上天皇の子孫久我家であった。




求道の比較的相違


親鸞は下山すると同時に吉水に走って道を恩師源空に求められた。


道元は下山すると同時に建仁寺に走って道を栄西和尚に求められた。




聖徳太子観の比較的相違


親鸞は太子に就き無限の信念を懐き奉讃の誠を尽くされた。


道元は親鸞と相反し太子に就いては殆んど無関係であった。




信仰本位行持本位の比較的相違


親鸞は比較的に信仰本位の人であった。


道元は比較的に行持本位の人であった。




越後下向越前移転の比較的相違


親鸞の越後下向は念仏停止の法難に由っての事である。


道元の越前移住はその表面行持の為であった。




愚禿及び仏法房の比較的相違


親鸞は非僧非俗を以て理由となし愚禿の称号を用いられた。


道元は出家の理想を標榜せんがため仏法房の称号を設けられた。




僧侶本意と在家本意の比較的相違


親鸞は出家の僧侶よりも在家の俗人教化を以て本とせられた。


道元は在家の俗人よりも出家の僧侶教育を以て本務とせられた。




京都隠栖と越前隠栖との比較的相違


親鸞は関東の開教地を棄てて京都の市街に隠栖せられた。


道元は宇治深草の開教地を棄てて越前の山中に隠れられた。




山と海と両思想の比較的相違


親鸞は多く里に住し且つ海の思想に富んだ人であった。


道元は多く山に住し且つ山を愛し海の思想に乏しかった人である。




長寿と短命との比較的相違


親鸞は九十歳の天寿を保たれた人である。


道元は不幸にして五十四歳の短命を以て終られた。




誕生の時及び処の比較的類似


親鸞は平安朝の末運に至って京都に生まれた人である。


道元も親鸞と同時代に同處に生まれた人である。




貴族出身に就いての比較的類似


親鸞は最高貴族の藤原家に生まれた人である。


道元もまた同じく最高貴族の久我家に生まれた人であった。




出家の動機に就いての比較的類似


親鸞は早く孤児になられしを動機としての出家であった。


道元もまた早く孤児の身となれるを動機としての出家であった。




出家得度の比較的類似


親鸞は初め比叡山に登り天台宗に於いて出家得度の式を挙げられた。


道元もまた初め比叡山に登り天台宗に於いて出家得度の式を挙げられた。




下山改宗の比較的類似


親鸞は後ち比叡山を下り遂に天台宗の服を改められた。


道元もまた後ち比叡山を下り遂に天台宗の服を改めた人である。




新宗教創設の比較的類似


親鸞は恩師源空の教示を仰ぎ特に新宗教を開立せられた。


道元は如浄大和尚に嗣法し来たって新たに曹洞宗を興された。




祖号辞退の比較的類似


親鸞自身は宗祖の名を辞し恩師源空に譲られた。


道元自身は宗派を否認すると共に宗祖たることを許されなんだ。




女性観に就いての比較的類似


親鸞は宗教上に於いて男女両性の別を認められなんだ。


道元も宗教上に於いて男女両性の別を認められなんだ。




最後帰郷及び京都遷化の比較的類似


親鸞は最後には帰郷し京都に於いて遷化せられた。


道元も最後に京都に帰り終に京都の土になられた。




諡号宣下の比較的類似


親鸞は明治天皇よりして諡諡号宣下の恩命に浴せられた。


道元もまた明治天皇よりして諡号宣下の恩命を蒙られた。




菩提心要不要の比較的相違


道元は菩提心を以て宗教の根本精神と見られた。


親鸞は発菩提心を以て不可能と共にまた不必要のものとされた。




出家本位在家本位の比較的相違


道元の家風は出家本位の上に成立す。


親鸞の家風は凡て在家本位の上に成立す。




受戒必要不必要の比較的相違


道元は出家と共に受戒を以て最必要条件とせられた。


親鸞は出家と共に受戒を以て不必要のものとせられた。




規律的行持不規則報恩の比較的相違


道元の家風は凡て規律的である行持本位である。


親鸞の家風は不規則的報恩主義の上に成立するものである。




難行道易行道取捨の比較的相違


道元は易行道を排斥し専ら難行道に依られた。


親鸞は難行道を棄てて自ら唯易行道に依られた。




正像末三時観の比較的相違


道元は正像末の三時を以て一途の方便説とせられた。


親鸞は正像末の三時興廃説を以て事実とせられた。




宗教的本体の比較的相違


道元の宗教は坐禅を以て本体となすのだ。


親鸞の宗教は念仏を以て本体となすのだ。




宗名成立不成立の比較的相違


道元は宗名を成立することを承認せられなんだ。


親鸞は好んで宗名を成立せしめた人である。




面授付法教相判釈の比較的相違


道元の宗教は連綿たる面授付法に依って成る。


親鸞の宗教は精細なる教相判釋に依って成る。




釈迦教弥陀教の比較的相違


道元の宗義は釈迦教の上に成立せしものである。


親鸞の宗義は弥陀教の上に成立せしものである。




三世因果説信仰の比較的類似


道元は三世因果説を信じこれを習うを以て禅学の基礎とされた。


親鸞もまた三世因果説を深信これを以て本願力を信ずるの動機とせられた。




教行證の三名目応用の比較的類似


道元もまた仏教を概括するに教行證の名目を以てせられた。


親鸞もまた仏教を大観するに教行證の三段名目を以てせられた。




道徳上善悪観の比較的類似


道元は不思善悪を以て坐禅弁道上一の要件とせられた。


親鸞も不思善悪を以て信心を得るの要件とせられた。




不染汚及び清浄真実の比較的類似


道元の理想は不染汚というところに存するのだ。


親鸞の理想は清浄真実というところに存するのだ。




莫図作仏説と称名報恩説との比較的類似


道元は成仏を以て目的となすところの坐禅を忌避せられた。


親鸞は往生を以て目的となすところの念仏を忌避せられた。




不思量底と不思議との比較的類似


道元は不思量底を思量するを以て坐禅弁道の要術とされた。


親鸞は不思議を信ずるのを以て念仏往生の要義とさられた。




諸仏同證と与諸如来との比較的類似


道元は坐禅の功徳を説いて諸仏同證の者とせられた。


親鸞は念仏を信ずる功徳を説いて与諸如来と言われた。




身心脱落と信心歓喜との比較的類似


道元の所謂身心脱落もまた大安楽の意味である。


親鸞の所謂信心歓喜もまた大安楽の人になられたことである。




自力有能無能の比較的類似


道元もまた時に自力無能の意味を唱えられた。


親鸞は他力主義高調の反動として自力無能を極説せられた。




現世祈祷禁止迷信勦絶の比較的類似


道元もまた現世祈祷を嫌い且つ迷信的所業を禁止せられた。


親鸞もまた現世祈祷を厳禁すると共に迷信の流行を痛歎せられた。




(村上専精)