< 本 性 清 浄 >




 我々の識作用が分別であり、意作用が執着となり、我々の心理活動が無明と渇愛を根本とする種々の煩悩的活動であることを見たのであるが、然らば我々が、かくの如き煩悩生活に満足しないのは何を意味するのであるか。そうして所謂、仏陀の善なるものを求める意志は、何処から生じて来るのであるか。出家とか修道とか、これらの比丘の行持は何を意味するのであるか。この現実の相反を考慮する時に、そこに心性浄説の生まれて来ることは至極当然であるといわねばならない。元来、印度に於いては、この心性本浄説は奥義書の正統派に依って唱導せられて来たものであって、「梵」又は「我」は本来清浄であるのに、無明と愛欲に汚されたというのがその主張であったのであった。仏陀の教えもこの点では正統派に乖くことなく、「我」の語に「心」の語を置きかえて、心性は本浄であるといわれてきたのである。尤もこの心性本浄説に就いては、正面からこれをいうものは原始経典に極めて少なく、僅かに、『比丘等よ、この心はもと清浄である。これは又、客塵の汚穢のために穢されているのである。比丘等よ、この心はもと清浄である。これは又客塵の汚穢より解脱したのである』、『比丘等よ、この心はもと清浄である。これは又、客塵の汚穢のために汚されている。それを聞いて凡夫は如実に知らない。それで異聞の凡夫には、心修習がないのであると私は云う。比丘等よ、この心は清浄である。それは又客塵の汚穢から解脱したのである。それを聞いて聖弟子は如実に知る。それで有聞の聖弟子には心修習があるのであると私は云う』とあるのみで、漢訳阿含には見当たらないのである。然し、順正理論七二に、分別論者の経證に就いて、『応知此経違 正理故非了義説・・・依何密意』というているから、この経文の存在は一般に容認せられていなかった訳である。これは仏陀としては斯くの如きことをいう必要がなく、修道する以上当然のことであり、ただその汚れた心の浄化のために専心せしめれば足る訳であり、又かくの如きことをいうために力を入れれば、そこに弟子の心を坐り込ましめる危険があるから、飽くまで実践的であった仏教々国には多くこのことに就いては語られなかったものであろう。然しこの意味は勿論あるべき筈であるから、有名な蟻垤経には次の如く記るされている。

 『或る人が夜に煙って昼に燃える蟻垤を見つけて、賢者にこのことを語ると、賢者は剣をとって深く掘れと教える。その蟻垤を掘ると始めに閂、次に水泡、刺叉、箱、亀、牛殺しの刀、肉が出て、最後に龍が出た。賢者は、それらのものを皆捨てて龍だけをそのままにして置け、龍を妨げるな、龍を拝めと教える』

この比喩は次の如く合法しているのである。

『蟻垤とは身体、夜煙るとは夜になって昼なした事を喜んだり惜しんだりする事、昼燃えるとは夜考えた事を実行する事、人とは修道者、賢者とは仏陀、剣とは智慧、深く掘るとは精進努力、閂とは無明、水泡とは怒りと悩み、刺叉とは躊躇と不安、箱とは貪瞋懶惰等、亀とは心、牛殺しの刀とは五欲、一片の肉とは欲、龍とは煩悩の尽きた心のことである』

この喩えの、龍をそのままにせよ、龍を妨げるな、龍を拝めとは、清浄心を見つけよということに外ならない。

 又、中部七経に十六垢を語り、この垢を離れれば清浄なることを云い、清らかな衣がいかなる色にも見事に染まりうることを喩説しているのも、この心浄説である訳であり、又、相応部六・三三に鉄・銅・錫・鉛・銀を金の五垢とし、この五垢を離れて金が清浄にして柔軟となる喩を以って、五蓋を離れて清浄な心とする経説、及び増支部三・一00の、鋳金者が砂金を、漸次に麁垢を去って純金となすが如く、心の修養も亦かくの如しとなす経説、雑阿含四七・六、七も皆この心性本浄説に基づくものといわねばならないであろう。

 それで部派時代には、心性本浄と非本浄の二説を生じ、有部は非本浄説を取っているが、他の部派ほ多く本浄説であったようである。


 それで若し我々の心性がもと清浄であるとすると、この清浄なる本心を知る、自覚すると云うことは、我々が自分自身を知ると云うことであり、我々は多く我々自身を知らないで、ただ自分の表相にかかわって苦悩の生活をしているのであるから、その自性清浄なる自分の心の本然を自覚するということが、宗教的大転回であることは申すまでもない。大乗諸経典の仏性説、如来蔵説は、みなこの我々のこの本性の自覚を促すものと見ることが出来るであろう。又般若経系の経典が心性の不可得を語るのは、我々が心の表相に関わって終始しているのを、弾呵しているものと見ることが出来るであろう。思うに支那禅が直指人心、見性成仏を談ずるのも、又この意味であって、人心とは所謂介爾陰妄の一心、平常心のその直下に性即ち本性を悟得せしめようとするのである。

『不思善不思悪、正当與麼時那箇是明上本来面目』

といわれているのは、即ちこの見性を語るものである。思善思悪は心の表相である。畢竟、誤謬の分別の下で善悪正邪の差別見を起して執着している姿である。それ故に、その善悪の差別見を裁断して善悪を思わず、善悪を離れたところに、本来の面目がきらりと輝き出る味があるのである。それを学的に体験せしめようとするのである。


 心性は寂然として深淵の如く、不思善不思悪であり、それが隅々客塵の煩悩のために染せられて、善悪・正邪・有無・損得の波瀾を生じ来る。而もその心を染するところの客塵は、東を西と思うが如きものに外ならないのであるから無体であり、客塵を無体と證れば又客塵なく、染心有ること無く、常恒不変であるというのである。

 この考察までを、更に振り返って考えて見ると、下の四段の変化を見ることが出来る。

(一) 第一段は凡夫の場合で、これは心の欲するところに従って何等の反省のない、煩悩そのままの生活をしている段階である。

(二) 第二段はここに反省を起して、煩悩のどす黒い相に驚き、我れとわが心に驚目して、煩悩と取り組み合いをしている段階である。この段階は主客の差を知らないから動ともすれば煩悩に敗れる。

(三) 第三弾は煩悩のどす黒さを反省しながらも、なお一歩進んで煩悩に覆われた心の明鏡をを見つけ、煩悩の客塵を払拭し去ることに心を用いている段階である。この段階は主客の差が認識されたのであるから、心軽く煩悩を取り扱う用意が出来ている。

(四) 第四弾は煩悩無体と證って、心機一転に依って、煩悩妄念が雲散霧消し、煩悩の氷が融けて、却って菩提の水となった境地である。

 上の四段の変化を、人の心の向上の途上に見ることが出来る訳であるが、支那禅第五祖弘忍がその法嗣を得ようとした時、その会下の秀才神秀は、

『身是菩提樹 心如明鏡台 時々勤払拭 莫使惹塵埃』

と心境を吐露し、これを見て慧能は、

『菩提本非樹 明鏡亦非台 本来無一物 何処惹塵埃』

と記して法嗣の地位を勝ち得たということであるが、これは今いうところの第三第四の段階を示している好例話であると考えられる。




 『阿難よ、汝等当に知れ、一切衆生、無始より以来、生死相続するは、皆常住真心性浄明の体を知らずして、諸の妄想を用いるに由る。この想真ならざるに由るが故に輪転あり。汝、今無上菩提の真の発明性を研かんと欲せば、応に直心を以って我が所問いに酬いよ』

といい、

『十方如来同じく一道なるが故に、出離生死は皆直心を以ってす』と教え給う。直心とはこれ正直の心、素直な心であって、法爾自燃に帰った心であるから、これこそ心の本性の如実の流露に外ならないのである。『直心を以って我が所問いに答えよ』 仏陀の善巧方便の手は、かくの如くにして巧妙にその本性の流露を促す様に下されている。仏陀は更に

『阿難よ、我今汝に問う。汝の発心は如来の三十二相を縁ずるに由る。まさに何の所見に誰か愛楽すと為んや』

阿難はこれに答えて

『愛楽は我が心と眼を用つてす。眼に如来の勝相を観見するに依り、心に愛楽うぃお生ず。故に我は発心して生死を捨てんと願う』

と云う。ここにかくして、見る目、知る心を引き出して、徐ろに表相の心から潜在する心性へと辿らんとするのである。仏陀はここに於いて、その見る目、知る心の所在を突き留めさせんとして、

『汝の云う如く愛楽は心目に依るのであるが、その心目の所在を知らなければ、塵労を降伏することを得ない。汝の心目の所在は何処か』

と問い給う。阿難はこれに答えて、

『目は面上にあり、識心は身内にある』

と云う。そこで仏陀はこの識心が果して身内に於いて所得であるかに就いて

『汝は今、如来の講堂に坐している。祇多林は何処にありや』

と尋ね給う。阿難は、この講堂は給孤独精舎にあるのであるから、祇多林は堂外に見得ることを申し上げる。ここに於いて今、堂内にあって眼を開けば先ず仏を見、大衆を見、次に窓外の林を見る事が出来る。これを我々の心の問題の方に移して

第一に、もし心が身の内にあるならば、何故に内なる肝臓肺臓を知ることが出来ないか。この理を推せば心は身内に不可得といわねばならぬ。

第二に、然らば反対に身外にあるとすれば、心と身とは別物になるから、心は外にも不可得といわねばならぬ。

第三に、それならば勝義根の裏にありとすれば、何故にその根たる眼を見得ないのであるか。これに依って根裏に在りということも出来ない。

第四に、次に身の腑臓中にあり、眼の竅穴ありとすれば、眼の穴を開いて外を見る、これは明を見ることであり、眼の穴を閉じて内を見る、これは暗を見ることになる。この場合眼を閉じて暗を見るとして、然らば暗は眼に対するとするか、対しないとするか。対しないとすれば見るとはいわれない。対するとすれば既にそこに内外が成じて内を見るとはいえない。又、眼を開いて明を見るとして、然らば何故に面を見ることが出来ないのか、面を見ることが出来ないのであるから、腑臓の内に心があると云われない。これによって心は内外の何れにありともいわれない。

 これは金剛経の三世心不可得というのと同巧の意趣である。が然し、仏陀は常に『法生じて心生じ、心生じて法生ずる』と仰せられている。そこで阿難は、

『我常聞開示四衆 由衆生故種種法生 由法生法種種心生 我今思惟即思惟体実我心性 随所合処則随有 亦非内外中間三処』

と答える。ここに於いて仏陀は先ず『合する所有りて有るもの』なれば、それは無体性のものでなければならぬと、心の体性を奪って仕舞われる。進んで仏陀は、

『一切の衆生が無始より以来、業に繋がれるは二つの根本を知らないからである。一には生死の根本である妄心を自分の本性とすること。二には覚の本体である清浄の本体を知らぬことである』




 人間は不思議なことに、最も自己に対面しにくいものであって、自分を最も愛し、最も大事にし、最も強く執着するに拘わらず、一番自分を見つけ得ないでいるものである。或は嗔恚の炎に焼かれて自己を失い、或は愛欲の水に溺れて自己を殺し、或は愚痴の暗に彷徨して、自己を滅ぼしているのである。支那の苦力は、弾丸の飛び交う戦場へ平気で出歩いて薬箱を拾って、自らその弾丸に当たって死ぬことを顧みないということであるが、この苦力の愚は実に殆ど総ての人々が犯しているところでないであろうか。眼前の興味に引かれて飛び出して行く。僅かな金銭に目が眩んで自己の操守を換える。巷に右往左往する大衆の姿は、殆どかくの如しといっても敢て過言ではあるまい。自己を是とし他を非とし、他の違えるを怒っている時も、自分から遠く離れているのであり、過ぎ来し方を顧みて、悔に沈んでいる時も、未だ来らない先を案じて心配している時も、甚だ遠く自分から離れているのである。省みてしんみりと自分を掻い抱いていたわり慈しみ愛するということがない。一体我々は俺が俺がというて我執に囚われているけれども、この我執の囚となっている時は、最も自分に遠い時であって、我々が仏陀の慈光に目覚め、仏陀の大心に包まれ、帰依信順して自己を捨てた時に、初めて自分に立ち帰って、自分自らに対面し得るのであって、我の世界にあっては我は得られず、無我の世界に入って初めて我が得られるという不思議があるのである。




 私は既に、原始仏教以来心性本浄説が仏教の心性に関する定説であることを説いたのであるが、大乗仏教の仏性説、如来蔵説も、この定説の上に建立されるものであり、これは最も理解し易い事であって、我々が静かに自己を省察して見ればそのことは彷彿として感得し得る。勿論、この省察のそこには、云うに言われない悪徳の跳梁跋巵するのを見るのであるが、然しながら悪は実際に於いて快からず、善は為し難くして而も快いのは何故であろうか。現実を厭離し、理想を欣求する心持のあるのは何故であろうか。我々の生活に於いて、悪に対して快からず、善に対して快いのは、微弱であっても微弱であるということで、その意味を無にすることは出来ない。この微弱ながら心の底に根を張る善心は何であるか。更に我々の心の底を掘り進んで行くと、他に善い意味で働きかける思いがある。我執強く我利を骨張するその心の底に、他なしには居られず、他を抱かずには居られない心持のあるのは何であるか。若し仏が善そのものであり慈みそのものであるならば、我々のこの心この思いもまた、仏であり得ないであろうか。これが『無量煩悩所纒如来蔵』と云い、又、『是の如く法身の煩悩を離れざるを如来蔵と名づく』と勝鬘経に云われ、『修多羅の中に説く、如来蔵は本性清浄にして常恒に断ぜず、変易あることなし、三十二相を具して一切衆生の身中にあり、蘊処界の垢衣に纏はわれ、貪恚癡等の妄分別の垢の汚染する所なり、無償の宝の垢衣の中に在るが如し』と、大乗の楞伽経に云われているものである。




 因縁の上に自己を見るのが如来蔵説であり、因縁観なしに自己を見るのが外道の我論であることを忘れてはならない。




 仏陀は除糞人尼提を教化して弟子となされた事がある。尼提が、その下賤を恥じて仏陀を避けんとするのを逐うて、その前に立ち、出家する心がないかと尋ね給い、驚いて見上げて、『私の如きものがあなた方の仲間に入れますか』と尋ねたのに対し、『誰でも心さえあれば出家することを得る』と教えて、出家修道せしめ、證悟を得しめ給うたのであるが、仏陀は、先ずその下賤を恥じる尼提に、自尊の心を与え給うたのである。自己を見出さしめ給うたのである。




 猶、浄土教に於いては、絶対の自己否定に入らない限り本願の旨趣を受得することの出来ないものであるから、衆生本来清浄の心あることなく、虚仮不実なることの痛感がなければならず、心性本浄説、仏性説を実際上否定するのであるが、この煩悩具足の自分が仏陀大悲の正客であることの、即ち、仏陀先手の信に動かされる喜びに、信仰の樹立のあることは前にいう所と同じであるわけである。

 猶、進んでここに一言この仏陀の心に関する観方に就いて言って置かねばならない事がある。それは心と物との関係に就いて、その究極の重点を何れの方に置くかということである。このことは今更申すまでもないことであるが、然し猶一応確かめて置かねばならない。既に仏教概論の方で唯心・唯識の章下で言い尽してあるから、ここでは側面からこのことに関説して置く程度に留めて置きたいと思う。

 一体我々の生活は初めにも言ったように、物と心との関係であるとも言えるであろう。赤ん坊が生まれさえすれば直に乳を求める。親は衣物を着せる。既に生れてきた以上衣食住はその必須の生存条件となる。彼は生きんが為に求める。求めて得られれば和み、求めて得られなければ泣く。その生活はかくして全く物質の得不得であり、物質に支配されているといわねばならないものである。大人が子供の生長したものであり、その質に於いて異ならないものである限り、大人の生活も亦得不得であり、物質に支配されているものであるということも、又一面から見て諾はれねばならない真理であると思われる。見よ。我々の心が如何に外物に着いて走り回るか、外物を追いかけまわしているか、何人でも静かに自分の心を振り返ってみたならば、この外物に支配される如実の姿を見て、心霊の自由だの、尊厳だのいう語は使えなくなるであろう。仏陀はこれを六獣の喩に依って示し給う。六獣とはこれを五欲徳及び法境に喩え、五欲徳及び法の境に対し我々の心が縛られ囚われていることを示し給うのである。仏陀はこれを魔釣と呼び、六内賊と呼び、『如癩病人、四体瘡壊入茅萩中、為諸刺葉針刺所傷、倍増苦痛、如是愚痴凡夫、六触入処受、諸苦痛亦復如是』と教え給う。追っかけまわした外物を得た場合、それは楽しいようであって、実は渇して盥水を呑むが如く、畢竟苦痛を伴い、急走急作して、ただ徒らに苦患を増すのみである姿を示し給うものである。

 ここに於いて何人でも真に自分をいたわり、自分の生活を重んずるものならば、ここに踏みとどまって、かかる心の姿を見返らねばならない訳であり、仏陀が根を守れ、根を制御せよ、六境の過患を観よと教え給う教説に従わなければならない訳である。

 外物は生活の必需品である。これなくして我々の生活はあり得ないのであるから、これを求めることは至当のこととして、ただこれを求める余り、これに縛られ囚われることを避けなければならない訳である。伝える所に依れば、昔阿修羅と帝釈の戦に於いて、諦釈天は大勝利を得て、阿修羅王・毘摩質多を生擒し、五繋縛という縛り方をして天宮に伴い、正法殿上に置いて天の五欲を与えた。阿修羅王が我見を起し自分を善とし天を悪とし、自分の宮殿に帰ろうという心を起すと五繋縛が現われて、天の五欲が姿を没し、その我見を捨てて謙虚になり,諸天を善とし、天宮に留まろうという思いを起すと、五繋縛は消えて天の五欲が現われたという。外物を追求する場合、誤った態度を取れば、それは繋縛となり苦痛となり、正しい態度を取れば、自分を育てる必需品となる意味を示すであろう。従ってここに心と物との関係に於いて、心主物従の正しい関係が認識せられねばならぬことを教えるものと見ることが出来る。従って仏陀は、外物を、修道の法器を育てはぐくみ、寒暑蚊虻を防ぐためのものとして受用しつつ、誤って外物に囚われないように、外物の過患を見、離脱を知るように教えられたものである。

 既に心主物従であり、断じて物主心従ではない。そうするとここに明らかなことは、我々が外物のために一喜一憂することは甚だ謂れないことであり、その一喜一憂するときには、我々にとって最も大切な猛反省を要すると云うことである。思うにこの反省と、そうしてこの心主物従の正しい認識とは、我々が嘗て野蛮未開の時代の、極めて反射的な心の機能しか持たなかった、従って外物の有無に我々の生活を支配されていた長い夜からの黎明であり、この心の黎明からこそ、文化の華が咲き初めて来るであろう。長い間外物の桎梏下にあったこの心の反逆こそ、心の王国の創造時でなければならない訳である。勿論一面から云えば、我々の心は外物の有無に左右されるには相違ない。又、我々の心理が客観の状勢に支配されることは申すまでもない。然しそれは無制限にではない。或る程度を超せば不可思議な心はここに敢然として、その自由を取り返さんがために立ち上って来るのである。その自由があってこそ、その自由を取り戻そうという意志があってこそ、我々の心なのだと私は言いたい。そうしてこの自由に目覚め、自由を取り返し、外物の有無に左右されず、客観の状勢以上に我々の心が超出した時、初めて物心一如、内外一枚の法悦境が顕現して来るものであることは疑われない。それは決して具合の悪い時の負け惜しみではない。窮迫した時の痩せ我慢ではない。それであるから求めるものを得て満足する方面に努力することを止めて、求めるものを得られないでも苦しまない心境を得るために勤めねばならないのである。外物を逐う道は窮極がないから、結果は苦悩であり、心境の開拓は無限であるから光輝が生まれて来るのである。仏陀が一切は識によって立つといい、世間も人間も心の所作なりと教え、意を法本と為すと示し給うたのは、もとより縁起観の結論として、当然の理論的根拠があったものであることはいうまでもないが、又今いうが如き外物に追従する生活より目覚めて、心境開拓の向上の一関を示されたものと出来るのである。

 それであるから仏徒の道は脚痕下に大道の坦々たるものがある訳であって、苦痛の中に平安があり、苦痛の底に歓喜が湧き出づるのである。苦難が寄せて来ても、痛苦が攻めかけて来ても、心の城はこれがために敗られること無く、その苦難痛苦を却って素材として法悦境を打出すのである。仏陀はこれを、

『専修於正法 遠離不善業 是漏尽羅漢 嶮悪世平等』

と教えて給うのである。平かならざる道をその儘に平かに歩く。これこそ言うべからざる妙境であって、仏徒の真の生活でなければならない。平かな道ならば誰でも平かに歩く。平かならざる道をその儘に、平かに歩き得なければならないのである。入菩提行に『天下の道を一度に平かにすることは出来ない。けれども我が脚に靴を履きさえすれば天下の道を平かに歩くととが出来る』と教えてあるのも亦、この道理に依るものであって、かくて我が心に靴を履かせて、天下の嶮をその儘に平かに踏破しうるようにあらねばならないのであり、かくあることを己事了畢の人と呼ぶのである。楞厳経に

『当平心地 則世界地一切是平』

というのもこの味を示したものであり、為山・仰山の師弟の問答に、『高きは之を高きに於いて平かにし、低きは之を低きに於いて平かにす』とあるのも、この平かになし得た心境を示しているのである。然しここに一言注意を要することは、仏教は単に己事了畢のみを目的とするものでなく、己事了畢は畢竟他の證悟のためであり、常に他を先とするものであるから、平かならざる儘に平かに歩き得て、それで一切が畢ったのではない。先ず平かならざるを平かに歩き得るようになって、他をして同じく平かならざるを平かに歩き得るようにならしめ、その平かならざるを平かならしめるように働き抜くのである。これが成就衆生、浄仏国土の大乗菩薩の行願と呼ばれるものである。

 以上言うが如く、我々凡人の生活は、物主心従であり、従って物に役せられて喘ぎ喘ぎ生活するのであるから、ここに、この生活に反省を得て、心主物従に転倒することが仏教の正しい生活の第一歩であるということが出来ようと思う。

『風吹刹幡 有二僧対論 一云幡動 一云風動 往復曾未契理 祖云不是風動 不是幡動 仁者心動 二僧悚然』

この六祖慧能の語は実に仏教生活の第一歩を語るものと云うべきである。

 先に云うが如く、かくの如き仏祖の語は、すべて縁起観より流れ出づる唯心論の理論的根拠を有するものであるが、唯心論のことは仏教根源論に譲ってここには云わない。唯、その仏教の唯心論が決して心外の法を否定して、唯心のみの存在を肯定しているものでないことだけは注意して置く必要があると思う。仏教の唯心論は物心二元論をその儘に肯定して、その上にその相互関係を見、その相互関係に依って心主物従の建て前で唯心を語っているのである。伝習録に云う所の

『爾未看此華時 此華与汝心同帰於寂 爾来看此華時 此華顔色一時明白起来 便知此華不在爾的心外』

の語は王陽明の唯心義が仏教のそれに似ていることを示しているのである。



(赤沼智善)