<怨みは怨みによりて消すを得べからず>




「仏陀は不平な連中に長苦王の物語、即ち勢力のある隣国の梵授王のために己の国を追われ、あらゆる所有を奪われた長苦王の話を語って聞かせたのである。

それによれば敗王は乞食僧に身をやつして妃と共に故郷を逃れ、敵国の首都ベナレスに紛れ入って隠れていた。

この隠れ家で王妃は一人の男児を生んだ。

名付けて長生という。賢い子で、年と共に百枝に長ずるに至った。

然るに、或る日のこと、昔の宮臣の一人が長苦王を見つけ、王の隠れ家を梵授王に密告した。

そこで国王は直ちに命令を下して長苦とその妃とを捕縛させ、市中を引き廻した後に郊外で四つ斬りに斬らせることにした。

長生は父と母とが縛られて市中を引き廻される有様を見ていた。

やがて、父の側へ近寄って行った、その時に父はその子にこう言ったのである。



我が子よ、長生よ、長を見る勿れ、短を見る勿れ。


我が子よ、長生よ、怨みは怨みによって消すを得べからず


我が子よ、長生よ、忍辱のみ能く怨みを消すを得ん。



やがて長苦王とその妃とは殺されてしまった。

そこで長生は死骸の番をしていた番人共に酒を飲ませ、番人共が眠りこけている間に二人の死骸を荼毘に付し、積み重ねた薪のぐるりを合掌しつつ三度廻った。

それから長生は森の中へ行き、心ゆくまで泣き悲しみ、やがて涙を拭いて都へ出て、国王の象舎で働くことにした。

その歌う声が如何にも美わしかったからして、長生は梵授王の寵愛を得、遂には国王の親友として扱われる様になった。


或る日、長生は国王と連れ立って狩りに出かけた。

彼等は唯だ二人きりになった。

長生のはからいで他の従者達は別の道を取ったのである。

そのうちに国王は疲れたと見え、長生の膝を枕としてすやすやと眠ったのであった。


『その時、童児長生の思へらく、このベナレスの王梵授は我等に多くの禍害を加えたり。

彼は軍隊、輜重、国土、財宝、並びに貯蔵を我等より奪い、我が父と母とを殺したり。

今こそ我が怨みを晴らすべき時なれと。かくして彼は剣を鞘より拂いぬ。

然るにこの時童子長生の心中にこの念を生じき。

我が父、その死に赴ける時、我に此く語りき、我が子よ、長生よ、長を見る勿れ、短を見る勿れ、我が子よ、長生よ、怨みは怨みによりて消すを得べからず、我が子よ、長生よ、忍辱のみ能く怨みを消すを得んと。我れ今我が父の語を犯すは正しからざらんと。

この故に彼はその剣を再び鞘に収めぬ。』


復讐欲が三度長生を襲ったが、長生は三度とも父の最後の言葉を想い起こして瞋恚の焔を消した。

その時に、国王も眠りから覚めた。

悪夢が国王を呼び覚ましたのである。

長生が剣を抜いて国王の生命を奪おうとしている所を夢に見たのである。


『その時、童子長生は左手を以てベナレスの王梵授の頭を把え、右手を以て剣を抜き、ベナレスの王梵授に言って曰く、王よ、我れこそコオサラ王長苦の子、童子長生なれ。

汝は我等に多くの禍害を加えたり。

汝は軍隊、輜重、国土、財宝、並びに貯蔵を我等より奪い、我が父と母とを殺したり。

今こそ我が怨みを晴らすべき時なれと。

その時、ベナレスの王梵授、童子長生の足下に伏し、童子長生に言って曰く、我が子よ、長生よ、我が生命を助けよ、我が子よ、長生よ、我が命を助けよと。

童子の曰く、王よ、我れ如何にして汝の生命を助くるを得んや。

王よ、汝こそが我が生命を助けざるべからざるものなれと。

国王の曰く、さらば、我が子よ、長生よ、汝も我が命を助けよ、我れもまた汝が生命を助けるべしと。

此くして、ベナレスの王梵授と童子長生とは互いにその生命を助け、手を握り、互いに害悪を加えざるを誓いたりき。


ベナレスの王梵授は童子長生に語りて曰く、我が子よ、長生と、汝の父は死に臨みて汝に告げにき、長を見る勿れ、短を見る勿れ。怨みは怨みによりて消すを得べからず、忍辱のみ能く怨みを消し得んと。これ蓋し何の意ぞや。

答えて曰く、王よ、我が父が死に臨みて我れに長を見る勿れ、短を見る勿れと言いしは、これ即ち怨みを長く胸に宿さざれの意なり。

死に臨みて長を見る勿れと言いし時、我が父の意はここにありき。

王よ、我が父が死に臨みて我れに短を見る勿れと言いしは、これ即ち早計に汝の友と違うなかれの意なり。

死に臨みて短を見る勿れと言いし時、我が父の意はここにありき。

王よ、我が父が死に臨みて我に怨みは怨みによりて消すを得べからず、忍辱のみ能く怨みを消し得んと言いしは、これ即ち次ぎの意なり。

王よ、汝は我が父と母とを殺したり。

王よ、我れ今汝の生命を奪はば、王よ、家臣は我が生命を奪うべく、我が家臣は汝の家臣の生命を奪うべし。

即ちこの如く我等の怨みによりては遂に消すを得べからざるなり。

然るに、王よ、汝は今我が生命を助けにき、王よ、而して我れもまた汝の生命を助けたり。

即ちこの如く忍辱のみ我等の怨みを消し得たり。

死に臨みて怨みは怨みによりて消すを得べからず、忍辱のみ能く怨みを消し得んと言いし時、我が父の意はここに在りきと。

その時、ベナレスの王梵授思へらく、奇なる哉、奇なる哉、童子長生の真に甚だ賢なる、その父の此くも簡に述べしことの意を此くも詳に説き得んとはと。

かくして国王は長生にその父の有したりし軍隊、輜重、国土、財宝、並びに貯蔵等の悉皆を与え、且つ己が王女をこれに嫁せしめたり。」





 仏教は自分に加えられた不義を宥せよと説いているが、併しその教えの中には世間の取り引きでは宥恕や和睦の方が復讐よりもずっと有利な政略だという思想もちょいちょい顔を出していることをも見逃してはならぬ。怨みは怨みによりて消すを得べからずという法則の真理であることは賢童長生によって非常に分かり易く説かれてあるが、長生の宥恕は両親を殺した敵に対してすら平和と友情とを約するまでに進み、生命を失う代わりに王国を得、その上になお王女を妻に貰ったのである。



(「仏陀」オルデンベルグより)