< 仏教無神論 >
神の存在を否定し、精神(我)の存在を否定する宗教が、最多数の人々に、歓迎せられ信奉せられたということは、非常に不思議に思われる。仏教が星学、鬼神崇拝、妖術、「タントラ」信仰、または呪術などの名の下に、自然の勢力を崇信した所謂多数者の信仰でないことは誰でも明了に認めるところであろう。仏教の一派は後世、仏教の神話を発展せしめて、西暦十世紀十一世紀頃には、仏教の形而上学から一歩離れた人格的第一原因を唱道するようになったが(恐らくキリスト教の影響を受けたのであろうが)、支那仏教徒は、この一派を目して外道とし、錫蘭仏教徒も、この派の神話全体を非難している。しかし、古阿育王時代の最純なる仏教徒の信奉しているものは、「業の教理」であって、この「業」は味方に依っては、「精神」(我)と、大に類似している点があり、また他面から見ると、宇宙に動きつつある道徳の力に与えられた名称とも、見える。それ故この「業の教理」の見方からして異なった信仰の生じて来るのも無理はない。
しかしながら、かくの如き特種の信仰の有無は、仏教の発展にさしたる、大影響を与えたものではなくして、大にその発展に與かつて力あったのはその教団の組織である。もし、仏陀が、単に哲学を教えられた許りであるならば、単にコントの如き小なる後継者を持たれたに過ぎなかったであろう。人民の間に於ける釈尊の勢力は、その当時の乱俗の間に立って、奮闘にたぢろぎ給わぬ実際の、博愛の精神から起こっているのである。仏教の平等的傾向が、群衆を大に引きつけたのである。釈尊の手に依って、実際に階級の桔梏が破られたのであるから、釈尊がひとたび心理説にせよ、唱出し給うや否や、その教は、決して、一派という様な、小さいものではなく、直に世界的宗教となって仕舞うのである。しかし、釈尊は、決して、自分が一の宗教の創立者となるという様なことは、初めも終りも、一向自覚せられなかったのである。釈尊は、新しい酒を古い壺に盛らんことを望み給うた様に見える。即ち釈尊はその新しい教に導かれて、婆羅門始めすべての人々が、古代の正統の信仰に帰らんことを望み給うたのである。印度諸哲学の相互の関係が、今後の研究によりて、如何様に決せられ様とも、またその中、何れの教学が、仏教の先駆者であり、他は先駆者でないということがわかっても、それに拘わらず、群衆の実際的信仰と両立せないでも、単に哲学的に教えられてあるものならば、決して反対を招くものではない。また仏教の道徳の教は、他の憤怒、嫉妬、驚愕を起こす程の性質のものではない。思うに釈尊が実際的の効果を挙げんために採用し給うた手段が、一時の成功を招き得たけれども、最後に、印度から排斥せられて仕舞う原因となったので、この最初釈尊の宗教に非常の力と甚速なる発展を与え後に婆羅門教徒の反感を招いたのは教理ではなくして、教団であったのである。釈尊の宗教上の信仰に依れば、精神生活の進歩は、地上の歓楽の欲望を、極端に滅殺した隠退生活に相応するものであるということが、論理上の結論として、出て来るのであるから、釈尊は自らこの隠退生活を営まれたのみならず、他の熱心なる弟子にもこれを強いられたのである。釈尊はキリスト教国に、見るが如き僧俗間の区別を見ず、また常に、苦行には、積極的の効果のないということを主張して居られたけれども、家族的関係を持ち、権勢富貴を持続するということは、事物に対して誤りたる評価を続け、罪悪の本源たる渇愛着生を続けることになるからして、精神的自由境に入らんには、先ず第一着手として、浮世の生活を見捨てねばならぬと教えられたのである。
その後、次第に機会の在る毎に、釈尊は、益々高上する弟子等の保護のために、種々の規則を設けられた。これに従って、その教団は、漸次変化をして、その後西洋に起ったキリスト教の僧団のような風をおびる様になった。しかし決して、当時の教団は僧侶的のものではない。その団員は、勝れたる智慧と真聖とを要求したけれども、決して精神上の権力を要求する様なことはなかった。而してこの教団の戸は出入自在に開かれて居った。また仏教にては、造物主を云々する教ではないから、僧侶が、人間と造物主との間の、唯一の仲保者となる様な訳がない。また彼等は、かの印度教の一時的の神格を有し、人間と同等の力しかない諸神の激怒を和めるために、祈祷してくれと頼まれる様なこともない。且つ、救済は自己の苦行精進に依りて、性格の根本的変化を起し、その上に起るものであると信ぜられて居るから、僧侶が地獄と極楽の鍵を専有して居る訳がないのである。
ところが釈尊の滅後、引き続いて諸王や酋長が盛んに、僧団に生活の資糧(金や銀ではないが、生活の資糧の中には土地や家屋も含んで居る)を寄付する様になってから、漸次に教団は、徳義の道場、知識の淵叢ではなく、価値のない惰けものの集合所となったのである。しかし教祖の時代には、疑もなく、清浄なものであって、中には多少の例外はあっても、教祖の保護の下に、仏教の知識と道徳とを以て、自信を訓練せんと熱望する人達ばかりであったのである。
(リス・デイヴィス)
印度の正統思想は、前後を通じて有神思想であり、多神教的思想であったことは云うまでもなく、今日、阿含尼柯耶に反映しているところから見ても、当時いかに多くの神々が、地界天界に住むと考えられていたかを想察することは決して困難ではないのである。釈尊及び釈尊の後継者が、この天部の説を採用せられたことは、阿含尼柯耶の記録に依って明かなことであるが、その採用の態度がいかなるものであったか、態度に入って調べて見ると、実は却って神々の否定にあったことを知ることが出来るのである。釈尊当時、民間に於いて最も広く信奉され、従ってまた最も多く仏教経典に反映したものは梵天であるから、ここに梵天に就いて少しく調べて見ようと思う。この梵天のことの就いては、既に宇井博士の周到な研究が発表せられているが、梵天は印度正統婆羅門の信仰の主神であり、一般市民に広く信奉された神であり、六師外道や順世派は真っ向からその存在を否定し、仏教は正面から否定せずに、その信仰に依って、人々を誘引し、人々を神々以上の世界に引き上げようとしたものである。
現存の阿含尼柯耶は悉くこれを釈尊に帰する訳には行かないものであるが、また全く直接に釈尊に関係するところのないものだと云うことも出来ない。それと同じように、阿含尼柯耶中に含まれている梵天に関する資料も、全部釈尊から出たものとすることが出来ないと共に、また全部釈尊の関知せられないものとすることも出来ないものである。経典として纏められた形では釈尊に関係のないものでも、その形になるまでの資料の中には、釈尊に関係あるものも多いに相違ないと思われる。私は次に挙げる如き形の資料はこれを釈尊に附し得るものであると思う。
一、梵天の存在問題は、そっとその儘にして置いて、その梵天界に生まれる修行を精神科内面化したもの。これは梵天上生に就いては、第一に念誦とか、常供食とか、或は血なまぐさい供犠があり、また四無量心の修行があるが、この四無量心の修行は、仏教の道の精神に契うものであるから、この四無量心の修習を、梵天上生という一つの方便に結びつけて勤めるということは、暫定的に差支えないことであり、これから仏教の精神を体得することが出来るのであるから、梵天ありと信ずるものには信ぜしめて置いて、この四無量心の修習をすすめたものである。
二、釈尊に対して、直接に、梵天は存在するものか、存在するとせば、この世に下降するものであるかと尋ねたものも実際にあったに相違ないから、これに対する答えとして、もし存在するとせば、無恚にして清浄なるものと云われたもの。これも梵天の存在非存在には触れないで、存在するとせば清浄にして無恚であり、一切を制する主であるというのである。
三、また梵天信仰を持つものの誤った考を破るために、その信仰を挙げて置いて、梵天が最上の神であり、その世界が常住であると考えるが、実はそうではない。梵天そのものが、それよりも上の光音天から下降したものであって、変化するものであるという。一応その存在を許して置いて、その無常を示したものもあったであろう。梵動経の六十二見の第五見に、一分常住論を挙げたのなども、この意を示すものと見ることが出来る。
四、それから、上に挙げた三種の態度は、梵天の存在を肯定したものではないから、もしその人が進み得るならば、梵天を超えて、真の仏教的涅槃に進ましめたいのであるから、梵天帝釈のいかなる世界にも心を動かざず、願わず、涅槃を求める、という教説は必ずあったに相違ない。有名な摩訶那摩に対しての教の如きそれである。
五、それから、更に、もし執拗に梵天信仰を主張し、その信仰から他を批評し、他の思想を否定せんとする所謂正統派の婆羅門に対しては、時としてその立場を失わしめんがために、語を強めて、梵天の存在の証明出来ないことを云われたであろう。これは長尼柯耶長阿含に含まれている資料の示すものである。
以上の五つの形の資料は、現存の阿含尼柯耶の中に保存せられているものであるが、これ等は、釈尊に直接関係あるものと考えて一向差支えないものと思う。それは一言にして言えば、梵天の存在の否定を含みつつ、その信仰を善用せんとしたものである。
この釈尊の態度からして進み得る道が二つある。一はその梵天の否定を強調するように行く道と、一は梵天を存在するものとして行こうとする道である。釈尊の継承者は後者の道を取り、その三界説に於いて、梵天の存在を確保せしめたことは人の善く知るところである。即ち三界説に於いて、色界の十六天乃至十八天中、既に三十三天があれば、それは帝釈が実在の神として考えられたことを示し、他化自在天があれば、魔王の存在は考えられ、梵衆、梵輔、大梵天があれば、梵天は実在するものとして考えられた訳である。これらの神々を実在者とすることは、少なくとも釈尊の真意に反するものであるが、しかし表面上は、釈尊が神々の存在を否定せられない限り、仏教の教理に矛盾するものではなく、仏滅後の弟子達は、第一に證悟の段階を実在的に細かに分けて見て行く必要上、第二に輪廻の世界を、これも実在的に見て行く必要上、その他の理由に依って、当時の知識や信仰を集めて、この三界の組み立てをしたものである。このために神々の数が非常に多数になっているが、この神々の中に仏教者の創造した神があるかと云うに、そうではなく、統べて当時考えられ信ぜられていた神々の中から集めて来て組み立てたものであろう。何故なれば少なくとも釈尊の無神論の真意は、その遺弟達には十分に了得せられていたと信ぜられるからである。
それで梵天始め、いろいろの神々は、このようにしてその実在性を仏教界に得たものであるが、仏教内に於いて、神々が実在するという意味は、今云うように、その神々を信ぜんがためではなくて、第一には、功徳の果報として考えられ、第二には仏教の法が正法なるが故に、その法を悟られたのが仏陀であるが故に、真理に服従する意味で、神々は仏陀に仕え、正法を護持するものと考えられたのである。この第一の功徳の報果と云う方面は、四無量心を修すれば梵天界に生れるとなすものが、皆その色彩を有するのであるが、また別して護卑(Gopi)が女でありながら三十三天に生れたに拘わらず、他の人々は同じく道を修めながら、健闥婆に生れただけであるとするのに依って、はっきり知る事が出来る。後者の仏陀に事へ正法を護持するものとしての方は、最も多いのであって、梵天で云うと、その説法勸請から仏滅の時の挽歌に至るまで、皆この意趣を持つものである。仏と法に関する讃歌ももとよりこの種に属するものであり、この点では悪魔の妨害と相対比するものである。この形式のものはすべて梵天の出現、従ってその実在が表向きに云われているものであることは云うまでもない。かくの如く梵天初め多くの神々は、仏陀に供奉し、正法の守護をなすものであって、この意味に於いて、仏陀以下のものであることは明らかになっているが、更にもっと強く梵天すらも仏陀以下のものであり、従って仏陀に事へねばならぬ地位のものであり、その果報も仏教の最後のものでないことを顕わすのが、梵天の邪見を示す経典である
これを要約して云えば、仏滅後の弟子達は、釈尊の表面的ならざる否定を承けて、神々の存在を肯定し、その神々を仏陀の會下に参ぜしめ、仏教をして、当時の一般信仰宗教の上にあらしめんとしたのである。この釈尊及び釈尊の後継者の神観が、現存阿含尼柯耶の中に混在しているのである。
それ故に釈尊の後継者は、神々の実在を許したとは云え、その神々が絶対者に非ず、常住者に非ざるを説いて、その神格を奪い去ったものと見ることも出来る。神格を奪われた神は神でないから、神の否定にもなる訳である。かくて仏陀の宗教は、『個人の犯すべからざる神聖』を主張するものであり、人間以外に、法以外に、別に神聖を仮定しないものである。『仏教の要諦』の著者が云うように、実際、究極すれば、宗教の目的は、実に神ではなくして人生、豊な大いなる、満足の多い人生であろう。人間は愚かにして、長い間、自分を苦悩と死から救うために、神と霊魂に願った。然も、それが人間の慰めであったと共に、また人生の破壊でもあった。釈尊はこれらの、想像を許さず理性と一致せず、冷静な考察の光に堪え得ない教權を退けた。人間は飽くまで銘々の建築家でなくてはならず、救済者でなくてはならない。没批判的な盲目的意向を退け、いかなる外の権威にも信頼せず、自己の正しい精神、正しい努力に依って、生活の中から生まれ出て来る指導原理たる法に、自己の生活を合致せしむるよう教えられた。釈尊がその入涅槃の直前に教えられたという、『自帰依自燈明、法帰依法燈明』及び、『僧伽は我れに何を待つか、我れは僧伽を率い、僧伽は如来に頼るとは思わない』という語は、軽率に取り扱ってはならないものである。
(赤沼智善)
仏教の中にもいろいろの形があるが、しかし仏教の窮極の在り方は、有神論でなくしてむしろ無神論である。そして、その無神論が単に有神論に対して人間中心主義的というのみの無神論ではなくして、単なる自律を超えた自律という意味での宗教である、と考えることが出来はしないか。仏教において、証とか、覚とか、般若とかいう智的な言葉によって言い表わされているものは、言わば単なる自律を超えた自覚体を言うことになり、かかる自覚体の外に、実は仏教の仏はない。そこに甦った人間が仏であって、その外に真の仏とすべきものはないわけである。仏教において「自仏是真仏」とか「即心即仏」とか「是心是仏」とかいう言葉に依って言い表わされているものは、そういうものである。
それで、甦った人間はどこまでも仏を全体的に自己自身に覚証しているものと言わなければならない。自己自身に覚証しているという意味は、仏が信仰の対象であるというのではなしに、証せられるものであるという意味である。証せられるとは、この場合何か対照的に証せられるとか、対象的に体験されるということではなくして、どこまでも自覚である。自己自身が自己自身を覚するという意味において証しているのである。そこには証するものと証されるもの、覚するものと覚されるものとの差はない。全く能所不二、能所一体である。
そういう点で、普通の宗教において、神は知られることは出来ない、証せられることは出来ない、信ぜられるほかはないということ、非常に違ったことになる。そこで宗教の形として、「真の宗教」と「覚の宗教」との二つが考えられる。有神論の場合、どうしても信仰という宗教的アクトによって神に接し、神と関係することが出来るわけであるが、覚の宗教の場合には、神に接するということではなくして、全く神が全体的に自己自身に証せられることになる、すなわち神の全体が知られるという意味を持っていると言わなければならない。
この場合に、単なる人間と仏との間に、懸絶関係はないわけである。人間から人間を超ゆるものへということが、何か他へ、人間を捨て去って神へとか、此処を捨てて彼処へということではない。たとえば此処を捨てて極楽へとか、天国へとかいうのでなくして、此処を捨てずに此処を転ずるということになる。それで超えるということが、むしろ超えられるものを転換するということになるわけである。
仏教において、「色即是空」とか、「生死即涅槃」、「即事而真」、「諸法実相」とか言わるるものは、やはりそのままを転ずるという意味であると思う。自を全く否定してしまうとか、此処を去ってしまうというのではなく、自をそのままに転ずることになる。単なる自律と、それを脱したものとは、全く相覆うものと言わなければならない。その意味で、此処において此処を離れる、此処において此処を脱するということになる。普通は「捨此往彼」ということが、現実から彼土へというふうに考えられる。実際にまた宗教にはそういう形をとっているものが多い。それで、普通は、此処が否定されることは、どうしても此処にとどまることが出来ない。何処か時間的空間的に違った所へ往くことになる。そして、往くことにおいて、此処は往ったものから捨てられて、全く顧みられないことになる。仏教においても、そういう場合がある。つまり”往ききり”である。仏教ではこれを小乗的なものと言わなければならない。
”往ききり”でない場合、つまり向うからこちらへということが言われる場合にも、それが懸絶的な向うからこちらへである場合がある。この場合には、こちらから向うへも、向うからこちらへも隔絶的である。そして有神論の場合は、神のみが向うからこちらへということになる。こういう形をクリスト教の神や浄土真宗の弥陀がとっているわけである。向うからこちらへは神のみである。したがってそれはアガペー(Agape)的である。神のみに、向うからこちらへがあって、人間はこちらから向うへだけであると考えるならば、それは有神論になって来るほかない。クリスト教には、人間が向うからこちらへということがあるだろうか。
浄土真宗には、われわれがこちらから向うへ往って、其処から還って来るということがある。いわゆる往相と還相がある。言わば、人間が単にエロース(Eros)的だけでなくして、アガペー的でもあるわけである。しかし浄土真宗では、弥陀の廻向によって衆生が往還するのであるから、そこに他者的なものが見られる。しかしたとい他者的な弥陀によってであるにせよ、往還する二相がわれわれ人間にも備わっているわけである。ゆえに、真宗でも単に此処を捨てて彼処へ往くというのではなく、此処を捨てない意味がある。つまり此処を捨てて彼処へ往くということが単に向うにとどまらないで、再び此処に還って来るというところに、此処を捨てない意味があるわけである。
そこに、われわれ人間にもアガペーが可能である。アガペーは単に神のみのことではない。そしてこの場合のアガペーはすべての人に平等であって、神や弥陀に限られたものではない。いわばアガペーの一般化、普遍化ということが言えるわけである。そういう意味において、クリスト教の隣人愛と仏教でいう還相とは全くその性格の異なったものであると言わなければならない。クリスト教における隣人愛は。やはり唯一の神の唯一のアガペーに基づく隣人愛という性格を持ったものである。ところが仏教においては、唯一の神に基づく愛ではなくして、すべての人間に自主的自発的に起ってくるアガペーである。ゆえにクリスト教における神のアガペーに相当するものが、すべての人に成り立つということになる。
もっとも、浄土真宗では、弥陀の廻向として還相が成り立つとされる限りにおいて、あたかもクリスト教の隣人愛とその成り立ちが同じように考えられるのであって、仏教においても、元来その点についていろいろの考え方があるわけであるが、仏教の勝義としては、自発的な往相還相がむしろ本来的であると言わなければならない。往相還相において、往還する主体の他に実は仏はないわけである。弥陀によってそれが成り立つ前に、さらに根元的に往還二相が成り立っている主体が仏である。ということが根元的なことである。したがって、あらゆる人間が往相還相の主体であることが出来る。またアガペーの主体も唯一神のみではなく、一切の人間がアガペーを行じうるのである。人間自身が行ずるアガペーが真実のアガペーであって、廻向の主体たる弥陀は、かえってそれから言えば、方便的なものになって来るわけである。
したがって、衆生はすべて仏である。仏になることが出来る。一仏を建てるということは、仏教においてはむしろ方便的なことである。したがって、人間を超えた世界と人間的な世界との関係が、実は浄土真宗の往相還相とは違った関係になるわけである。浄土真宗も究極的にはそうであってはならないのであるが、普通には、極楽と穢土とが懸絶的に考えられている。したがって、往相がどうしても捨此往彼ということになり、彼土は時間空間的に懸絶したものとなるほかはない。つまり、現実に対し全く否定的となり、厭世的になる。そこに、ややもすれば、小乗的な捨此往彼に堕して来て、還相にない往相、ただ此の世は厭わしく極楽に往生して楽を得ん、而も其処を究極的として其処にとどまって了う、という小乗的な弊が出てきがちになる。
しかし、浄土真宗においても、本当はそうではなくして、彼土へ行けば必ず此土へ還って来ることになっている。其処に、懸絶が単に向うへ行ききってしまうことにはならず、向うからこちらへの還相として、そこにやはり”つながり”があるわけである。しかし、さらに根本的な向うへと、こちらへとの関係というものを考えて行くならば、此処を離れて別に浄土があるのではない。此処を離れずして、此処を脱する、つまり、穢土を転じて浄土にするということになって来なければならない。此処に穢土と浄土は一であり、浄穢不二であるという関係が本来の両者の在り方でなければならない。
単なる自律はやはりどこまでも穢土である。転ぜられた穢土というものにして初めて自律を超えたものとなる。そこに単なる自律と、自律を超えた自律との関係があるわけである。また、「色即是空」ということも、色を滅せずして、しかも色が空である。滅せずして空であるような在り方が、色の本来の在り方である。色が単なる色でなく、空なる色に転じた時に、色が本当の色になる。その場合、空が主体的になって来なければならない。しかもその主体はどこまでも色を脱した空としての色である。しかし、脱したということは、色が本来の色の在り方の色になったというだけであって、色が全く無くなるというのではない。かえって色が空によって本来の在り方になって行く、色が否定されることによって本来の在り方になって行くわけである。そして、その場合の否定はありのままで否定するという意味でなければならない。かく色と空は決して矛盾し、あるいは隔絶する如き関係ではない。色が否定されるということは、色の真の自律が成り立つということである。結局、死ぬことによって甦る、死んで他へというのではなくして、死んでそれ自身に甦る、そして其処が本来であるということになって来なければならないと思う。
(久松真一)