< 不作為の責任 >




 先日私は、『ロベレ将軍』というイタリー映画を見ました。ごらんになっている方も多いと思いますが、第二次大戦中のドイツ軍占領下のイタリーを背景にとりまして、抵抗運動のあるエピソードを取り扱ったものであります。もちろんここでストーリーを詳しくお話しすることはできませんが、私がそのなかでとくに印象づけられた場面の一つとして、刑務所のなかの場面であります。そこでは戦争中闇商売をやっていた男が、抵抗運動者やユダヤ人といっしょにつかまって、今やまさに処刑されようとしている。死刑になるか強制労働にやらされるか、あるいはドイツに送られるかという瀬戸際のところであります。その闇商売をやっていた男は恨めしそうに、同室の囚人たちに対して、さかんにこういうわけです。自分は何もしなかったのにこういう目にあった、ユダヤ人でもない、抵抗運動もしたことはない、それなのにこんなにひどい目にあういわれはない、私は何もしなかった、何もしなかったと、ヒステリックに叫びます。それに対して元銀行員であったところのレジスタンスの指導者が静かにこういいます。「私はあなたのいうことを信ずる。しかしまさに何もしなかったということがあなたの罪なのだ。なぜあなたは何もしなかったのか。五年も前から戦争が行われている。そのなかであなたは何もしなかったのです」。これに対してその男が「それじゃあなたは何をしたのですか」と聞くと、そのファブリチオという抵抗者は、「私はとるに足らない仕事をしました。ただ義務を果たそうと思っただけです。もしみんながそれぞれ義務を果たしていたならば、たぶんわれわれはこんな目にあうことはなかったでしょう」ということを語ります。


 ここには私の先ほどから話していた問題の核心が、非常に短いが鋭い形で触れられていると思います。つまりそれは不作為の責任という問題です。”しない”ことがやはり現実を一定の方向に動かす意味をもつ。不作為によってその男はある方向を排して他の方向を”選びとった”のです。ついでながら私がこのやりとりに感銘しましたのは、銀行員あがりの抵抗者が、自分の命がけの行動について、何らヒロイックな陶酔に陥っていないで、自分はじつにつまらぬことをしただけのことだ、平凡人が平凡な社会的義務を遂行したにすぎない、といっていることです。


 今日は、もちろんその映画の背景になっているような時代ではありませんし、私たちのおかれている環境もその苛烈さにおいては到底ああした異常な状況と比べものになりません。しかし今私が簡単に述べましたようなテーマは現代に生きる人々すべてに、多かれ少なかれ突きつけられている問題だと思います。ああいう文字通り毎日毎日が死に直面した抵抗運動でさえ、平凡な社会的義務の遂行であるならば、われわれがいろいろな現代の問題に対して、日々なしている決断や行動などは、その何万分の一にも当たらないつまらないことです。しかもその何万分の一にも当たらないつまらない社会的義務というものを、もし私たちがしないなら、その不作為の結果が積もり積もったところでは、やはりあの映画に劣らないところの悲劇が生まれて来ないとは必ずしもいえないのじゃないかと思います。


 たとえば最近の請願ということにしましても、一人一人の請願などということは、なんにもならない、そんなことではとても現代の大きな政治は動かないというようなことを耳にします。なるほど請願を一人がするという、そのこと自体の比重はきわめて軽いかもしれない。しかしそんなことをしてもつまらないと考えて結局みんながなんにもしなかったら、逆にそのなんにもしないという現実がどんどん積み重なって、それ自体社会を一定の方向に押しすすめてゆきます。大きなこと、つまらないことといっても、私たち個人個人の行動などは、とてつもなく巨大な、国際的規模にわたった今日の政治的現実に対してはいずれにしても大した違いはありません。しかしどんな微細なつまらないと見える事でも、できるだけ多くの人がそれをするかしないかはやがては非常に大きな違いを生んで行きます。習慣の力というものはそうしたものです。


 政治行動というものの考え方を、なにか普通人の手のとどかない雲の上の特殊なサークルで、風変わりな人間によって行なわれる仕事と考えないで、または私たちの平凡な日常生活を断念してまったく別の世界にとびこむことのように考えないで、私たちのごく平凡な毎日毎日の仕事のなかに”ほんの”一部であっても”持続的に”座を占める仕事として、ごく平凡な小さな社会的義務の履行の一部として考える習慣・・・それがどんな壮大なイデオロギー、どんな形式的に整備された制度にもまして、デモクラシーの本当の基礎です。ギリシャの都市国家の直接民主政の伝統といったものは、あるいは私たちの国に欠けているかもしれません。しかし私たちの思想的伝統には「在家仏教」という立派な考え方があります。これを翻訳すればそのまま、非職業政治家の政治活動という考え方になります。政治行動というのは政治の世界に「出家」しなければできないものではありません。もし政治活動を政治家や議員のように直接政治を目的とする人間、あるいは政党のように直接政治を目的とする団体だけになったら、その瞬間からデモクラシーというもは死んでしまいます。ちょうど宗教が坊さんだけの事柄ということになったら、宗教の生命力が失われるのと同じです。デモクラシーの発展ということは、この観点から見ますならば、つまりそれは職業政治家によって構成されている特殊の世界、俗にいわれる政界によって政治が独占されている状態から、それがだんだん解放されてきた過程であります。ということは、デモクラシーというものは一つのパラドクスを含んでいるということです。つまり本来政治を職業としない、また政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーはつねに生き生きとした生命を与えられるということであります。議会政治もまた決してその例外ではありません。議会政治とは決して議員政治という意味ではありませんし、いわんや国会の立派な建物が厳然とそびえ立っていることが議会政治の健在の証明でもありません。デモクラシーのなかった戦争中にも、国会のなかで翼賛議会は毎回開かれていました。


 エドマンド・バークという思想家をご存じだと思いますが、これはイギリスにおける保守主義の典型的な思想家・政治家であります。私は間違えていっているのではありません。保守主義の哲学者であり、政治家であります。彼はこういっております。


 「もしこれらの代議士たちが、何らかの目に余る悪名高い法令とか、重大な改革によって、法の棚を踏みにじり、勝手に権力を行使するように見えたときは、いつ何どきたりとも、人民という団体自体(The body of the people itself)が介入しなければならない。それ以外に代議士たちに、いつも公共の利益に対して、相応の考慮を払う態度を維持させる方法というものを、私は見出すことができない。こういう人民の直接介入ということは、じつはもっとも不愉快な救済策である。けれども、それ以外の方法では、憲法の真の原則を保持することができないようなことが明瞭であるような場合には、それは許されて然るべきことである」


 イギリスの議会政治の基礎づけをした、保守主義の思想家によってそういうことがいわれている。これがつまり議会政治のコンモンセンスであります。人民が「何どきたりとも」そういう行動をとるということは、突然できることでなく、人民が日々に、寸暇を割いても、自分たちの代表者の行動を監視しているという前提があってはじめてできることです。毎日毎日をとってみれば、きわめて小さな関心と行動がじつは大きな制度の生命を動かしているわけです。繰返し喩えていえばお葬式のときだけ思い出すような宗教は死んだ宗教であり、そういうお寺は民衆の日常生活と隔絶した特殊地帯にすぎません。


 今日は憲法記念日であります。憲法擁護ということがいわれますけれども、憲法擁護ということは、書かれた憲法の文字を、崇拝するということではありません。憲法擁護ということが政治的イッシューになっているということはどういうことか。この状況のなかで、私たちはどういう態度決定というものを迫られているか。憲法擁護ということが、書かれた憲法というものをありがたがることでなく、それを生きたものにするということであるとするならば、それを裏返しにしていえば、憲法改正ということ・・・よく改悪といわれますが法律的には別に正ということはいいという意味ではないので正といっておきます・・・、憲法改正ということは、政府が正式に憲法改正案を発表したり、あるいはそれを国会にかけるその日から始まるわけではありません。ちょうど日本国憲法が成立した瞬間に、その憲法が現実に動いているのではないと同じように、憲法改正もすでに日々始まっている過程であります。この日すでに進行している過程のなかで、私たちが憲法によって規定されたわれわれの権利というものを、現実に生きたものにしていくために日々行動するかしないか、それがまさに憲法擁護のイッシューであります。


 われわれはどちらにコミットすべきなのか、憲法の九七条には御承知のように「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」とあります。今日何でもないように見える憲法の規定の背後には、表面の歴史には登場して来ない無名の人々によって、無数の見えない場所で積み重ねられていった努力の跡が蜿蜒と遥かにつづいています。私たちはただこの途をこれからも真直ぐに堂々と歩んで行くだけです。短い時間で意を尽くしませんがこれで私の話を終ります。




(1960年7月 丸山眞男)