< 人類の歴史の憶測的な起源 >




 ところで憶測のうちにおぼれてしまわないためには、人類の理性によっては、先行する自然の原因から導きだせないものに歴史の起源を定める必要がある。すなわち人間の歴史は、人間の存在という事実から始まるべきなのである。しかも母親の援助を必要とすべきではないので、成人した人間の存在を想定する必要がある。また子孫を繁殖させる必要があるので、夫婦でなければならない。しかも人間がすぐに戦争を始めることのないように、この夫婦はただ一組の夫婦でなければならない。見知らぬ人間が近くに住んでいると、すぐに戦いになるからである。また別の理由としては、自然が複数の夫婦による異なった血統の存在を認めたならば、人間の使命の最大の目的である社交性を発揮させるための賢明な準備を怠ったとして非難されることになりかねないからである。これについては家族がただ一組であり、そこからすべての人類が誕生したとするのが最善の配置であるのは確かだからだ。


 さてこの夫婦を、猛獣の攻撃から守られ、すべての食料が自然によって豊富に与えられる場所に、すなわちつねに温暖な風土にある”園”に住まわせることにしよう。さらにこの夫婦が自分の能力を利用する熟練度において、すでにきわめて進歩しているとみなそう。だから夫婦の本性は、まったく粗野な状態にあるわけではないと想定する。というのは、粗野な状態から熟達の状態に移行するにはきわめて長い時間がかかるものだから、この移行について詳しく述べようとすると、わたしの憶測はやりすぎだと思われるだろうし、確からしさに欠けると感じられるはずだからである。


 こうして最初の人間は立ち、歩むことができた。話すこともできた。それだけでなく論じること、すなわち連結された概念にしたがって会話することができた。だから思考することができた。ただし熟練だけはみずから獲得する必要があった(生まれつきのものだとすると遺伝するはずだが、経験からこれは否定されるのである)。わたしは最初の人間の行為における倫理的なものの発展だけについて考察しようとするのであり、これはこうした熟練を必要とするものであるために、最初の人間はすでに熟練をそなえていると想定する。





 新たに生まれるこの夫婦を最初に導いていたのは、本能とすべての動物が聴きしたがう”神の声”であったに違いない。神の声は夫婦にいくつかの食べ物を許し、いくつかを禁じた。しかしそのために、夫婦がいまはすでに失われた本能にしたがっていたと想定する必要はない。ある食べ物が食するのに適しているかどうかをあらかじめ感じとる能力があるためには、臭覚の感覚があり、それが味覚の感官とある親和性をそなえ、よく知られているように、味覚は消化器官と共感しているだけでよいのであり、現在でも人間にはこうした知覚があるのである。しかも最初の夫婦においては、こうした感覚が現在の人間よりも鋭かったと想定する必要はない。感覚だけで生きる人と、感覚だけではなく思想の活動に従事する人、そのために感覚には背を向けがちな人とでは、知覚の力にどれほどの違いがあるかは周知のことだからである。





 まだ経験のない人間がこの自然の呼び掛けに聴きしたがうかぎりは、それでよかったのである。しかしやがて理性が働き始め、本能とは結びついていない器官、たとえば視覚の器官が、まだ食べたことのない食べ物と、かつて味わったことのある食べ物との類似を思いうかばせる。そして人間はこの二つを比較するようになり、食料についての知識を本能による制限を超えて拡張しようと試みたのである。このような試みは、本能が勧めないまでも反対しないものであれば、偶然によってうまくいったかもしれなかった。しかし理性には、欲望の実現をめざす自然の衝動が”ない”ときだけでなく、自然の衝動がそれに”反対する”ときでさえも、想像力の助けを借りて、さまざまな欲望を作り出すことができるという性質がある。


 この欲望は最初は渇望と呼ばれたのであるが、この渇望の力で、やがて無益であるだけでなく、自然に反する多数の嗜好が次から次へと生み出され、これが”奢侈”と呼ばれるようになる。自然の衝動に背こうとするきっかけは、ごく小さなものでよかったのである。しかし最初の試みが成功し、人間が自分の理性はすべての動物に加えられている制限を超えることができるとこを認識したことは重要であり、人間の生き方にとって決定的な意味をもつものだった。


 ここに一つの果実があり、その外見は、かつて食べたことのある別の美味な食物を思い浮かばせて、食べてみたくなったとしよう。そこに蛇がやって来てその果実を食べるという手本を示してみせた。この動物にとってはこの果実を食べることはふさわしいことだったが、人間にとっては有害なことであり、自然の本能はこれを食べることに反対した。蛇の示したこの手本が、理性が自然の声にさからい、自然の声が反対するにもかかわらず、自由な選択をする最初の試みをするきっかけとなったのだった。


 この最初の試みは、おそらく期待にそぐわない結果となったに違いない。それにこの試みから生じた害も小さなものだったに違いない。しかしこのことによって、人間の目が開かれたのである。人間は、自分のうちにみずからの生き方を選択する能力があり、ほかの動物のように、生まれつきの生き方に縛られていないことを発見したのである。


 人間は自分のうちにこのような利点があることに気づいて、一瞬は満足を感じたのだが、すぐに不安と憂慮が生まれたはずである。物の特性も、遠い将来に発生する結果も何も知ることのなかった人間は、新たに発見したこの能力をどう働かせればよいか、分からなかったのである。人間は深淵をのぞきこんだのである。これまでは本能が欲望の対象を指示してくれたのだが、いまや欲望の対象が無限になり、何を選択すればよいか途方にくれたのである。しかもひとたびこのような自由を享受したあとでは、本能に支配された隷属状態に戻ることはできなかった。





 自然はそれぞれの人を食物の選択に関する本能によって養うが、つぎに重要なのは、すべての種を維持する”生殖本能”である。そしてひとたび目覚めた理性は、この本能にも影響を及ぼさずにはいなかった。人間はすぐに次のことを悟ったのである。性的な刺激は、動物にあってはほぼ一定の周期にしたがう一時的な衝動によるものであるが、人間は想像力によって性的な刺激を長引かせることも、さらには増やすこともできるのである。欲望の対象が感官のもとから失われても、想像力が働いて、たとえその刺激の力は弱まるとしても、それを長続きさせ、均質に働かせるのである。


 そしてたんなる動物的な欲望であれば、満たされるとすぐに飽きてしまうが、人間の欲望はそうはならないのである。だからいちじくの葉というのは、理性の発達の第一段階であるよりも、理性の偉大な現れを示すものにほかならない。というのは欲望の対象が知覚から隠されると、それにたいする好みはますます内的で、持続的なものとなるのである。ここに理性が衝動を支配するという意識がすでにみられる。


 最初の段階では、理性は多かれ少なかれ衝動に奉仕する能力だったが、いまやそのような能力ではないことが明らかになったのである。拒むことは、たんなる感覚的な刺激を観念的な刺激に変え、たんなる動物的な欲望を次第に愛に変えるための技巧だった。この愛によってたんなる快適さの感覚から、美を好む趣味が生まれる。最初に人間は、人間たちの美しさだけを好んでいたが、やがて自然の美にも目を開くようになる。


 礼儀とは、軽蔑の念を招きかねないものを隠すという善き作法であり、他者の尊敬をみずからに集めようとする傾向であり、すべての社交の本来の基盤である。これが人間を倫理的な被造物として育むための最初のきっかけとなったのだった。これは小さな始まりではあるが、人間がみずからの思考をまったく新しい方向に向けたという意味で、一つの画期をなすものであり、その後につづく果てしのない文化的な拡大よりも重要な意味をもつものだった。





 理性はこのように、食料と性という直接的な必要性に介入した。次の第三の歩みは、熟慮をもって将来の事柄を予期することだった。これは、たんに目の前にある生活を享受するだけでなく、これから来るべき時間を、しかもきわめて遠い将来まで、まるで現在のようにありありと思い浮かべることができる能力である。みずからの使命にしたがって、遠く離れた目的にあわせて調整することができるのは、人間の決定的な長所である。しかし同時にこの能力は、ふたしかな未来について思うことで不安と憂慮を生みだすいわば(組み尽くすことのできない泉)でもあり、ほかのいかなる動物にもそなわっていないものである。


 夫は、みずからと妻を、そしていずれ生まれてくる子供たちを養わねばならないこと、自分の労働がますます辛いものになることを予測した。妻は、自然から与えられた子供を産むという女性の労苦と、自分よりも力の強い夫から与えられる苦しみを予測した。夫も妻も、このように生涯の辛い生活を思い描いただけでなく、この生涯を描いた一枚の絵の背後に、さらに死を予測して恐れおののいた。いかなる生き物にも死は避けられないものではあるが、ほかの動物たちは死を恐れることを知らないのである。最初の人間たちは、理性がこのようにあらゆる悪をもたらすのをみて、理性を使用することを避け、それを罪とみなしたようである。夫婦の唯一の慰めは、子孫に囲まれて生きることだった。子孫たちはもっと幸福に生きるだろうし、家族の力で苦しみが軽減されるだろうと考えたのである。





 人間を動物の仲間から際立って高い地位に上らせるために理性が進めた第四の歩み、そして最後の歩みは、人間はみずからが自然の目的そのものであり、これについては地上のほかの動物は人間に伍することができないことを(おそらくぼんやりと)理解したことである。人間が羊に向かって初めて「お前が身につけている毛皮は、自然がお前に与えたものではなく、わたしのために与えたものだ」と言って、毛皮を羊から奪い、自分の身にまとったとき、人間は自分の本性を理解し、すべての動物よりも高い地位についている特権を認識したのである。こうして人間はもはや動物たちを、同じ被造物の仲間とはみなさず、みずからの意志で自由に使うことのできる手段であり、道具であるとみなすようになったのである。


 この考え方は(ぼんやりとではあるが)、その反対の命題を含むものだった。人間はほかの人間にはこのように語ることはできず、ほかの人間を自然の賜物を平等に分ちあう仲間とみなさなければならないということである。これは理性が、いずれ人間の意志に課する制約の前触れのようなものであり、人間は自分の仲間たちに配慮することを求められるのである。これは好みや愛よりも、社会の設立のために必要なものなのである。





 こうして人間はすべての理性的な存在者と対等なもの(ほかの理性的な存在者の地位の問題は別だが)となったのである。すなわち人間はみずからが自然の目的そのものであれという要求にしたぐ者として、ほかのいかなる存在者からも自然の目的として尊重される者となった。人間はごくわずかでも、ほかの目的の手段として使われてはならないのである。人間が、自分よりも上位の存在者とも無制限に平等であることの根拠はここにあるのであり、人間が理性をもつ存在者だからではない。理性とは、さまざまな好みを満たすための道具にすぎないのである。人間よりも上位にある存在者は、自然の素質においては比較にならないほどに優れているかもしれないが、そのことのために人間を自分の好きなように処理し、管理する権利はないのである。


 この最後の歩みは、自然という母の懐から人間を解放することと結びついていたのである。これは人間にとっては栄養のあることではあるが、同時に危険な変化でもあった。人間が、調和のとれた安全な幼児の保育段階から、すなわち苦労せずに生活することのできる<園>から、憂慮と苦労と、未知の悪が待ち構えている広い世界へと追いだされたということでもあった。


 人間はやがて生活の苦労のあまり、天国を思い描くことになるだろう。これは人間の想像力の産物である。天国では人間は穏やかで安楽な暮らしと、揺らぐことのない平和のうちに、夢のごとき生活を送り、無為のうちに過ごすのである。しかし人間がこのように夢想した安らぎの生活と現実の生の間には理性が介在し、人のうちにそなわるすべての能力を発展させるために弛みなく働き、人間が追いだされた未開と素朴の状態に戻ることを許さないのである。理性は、人間が忌み嫌う労苦へと駆り立て、人間が軽蔑する虚飾の品を追い求めさせた。こうして人間は死を恐れおののきながらも、さまざまな些事を失うことを恐れるあまり、死をも忘却するにいたるのである。





 人間の歴史の端緒についてのこうした記述から明らかになることがある。人間は理性によって最初の滞在場所として指定された<園>から外にでたが、それはたんなる動物的な被造物としての未開な状態から人間性へと進み、本能という歩行器に頼らずに理性に指導されるようになること、すなわち自然が後見する状態から自由な状態へと移行することだった。この変化が人間にとって利益となるものだったか、それとも損失となるものだったかは、人間の使命を考えて見れば、もはや議論の余地はない。人間の使命とは、完成に向かって進歩することにあるのである。この目的のために、人類は一つの世代から次の世代へと、長い連鎖を結びながら試みをつづけているのであり、最初の試みが失敗したからといって、問題ではない。


 このプロセスは、人類にとっては悪しき状態から善き状態への進歩であるが、個人にとってはそうではない。理性が目覚める前には、命令も禁止もなかったので、侵犯というものはなかった。しかしまだ微力ではあるとしても理性が働き始めて、動物性と全力で闘うようになると、そこに諸悪が発生する。さらに悪いことには、理性が開化されたものとなると、無垢の状態ではまったく知られていなかったさまざまな悪徳が生まれるようになるのである。だからこの無垢な状態から脱出する最初の一歩は、道徳的には堕落であった。そして自然という側面からみると、この堕落から、それまで知られていなかった生活における多数の悪徳が生まれたのであり、これは人間に与えられた罰である。


 このように自然の歴史は善から始まる。それは神の業だからである。しかし自由の歴史は悪から始まる。それは人間の業だからである。個人は、理性を行使する際にはみずからの利益だけを考えるのであり、この移行は個人にとっては損失であった。しかし類としての人間を目的とする自然にとっては、この移行は利益であった。個人としての人間には、自分のこうむるすべての悪と、自分の行うすべての悪を、みずからの責としてひきうけるべき理由がある。しかし全体の(類の)一員としての人間には、自然の配置の賢明さと合目的性に感嘆し、称えるべき理由があるのである。





 このように理解すれば、誤解されることの多い有名なJ・J・ルソーの主張も、それが一見してたがいに矛盾しているようにみえるとしても、理性と一致させることができるのである。ルソーは学問の影響と人間の不平等を論じた著作において、人間の本性と文化が対立するのは避けられないものであることを説いているが、これは正しいのである。ここでルソーのいう人間とは、自然的な類としての人類のことであり、すべての個人は類としての人間のうちでみずからの使命を実現すべきなのである。


 しかし「エミール」と「社会契約論」などの著書でルソーは、困難な問題にふたたびとり組んでいる。これは道徳的な類としての人類の素質が、人間の使命に適った形で発展し、道徳的な人類が自然の人類ともはや対立しないようにするためには、文化はどのように発展すべきかという課題である。人間の生活を圧迫するすべての悪と、人間の生を汚れたものにするすべての悪徳は、この対立から生まれるのであり、人間と市民を育む教育の真の原則にしたがった文化は、まだ完成していないどころか、おそらくまだ始まってもいないのである。


 ところでこのような諸悪や悪徳へと促すものを人々は非難するのだが、これはそれ自体では善であり、自然の素質として目的に適ったことなのである。ただしこの素質は、たんなる自然状態にあわせて作られたものであり、新たに形成される文化によって毀損されたり、反対に文化を阻害したりするものとなることがある。これは文化がふたたび自然そのものとなるまでつづくのである。文化が自然となること、これこそ人類の道徳的な規定の最後の目的にほかならない。


 人類は、道徳的な使命を果たそうと努力する一方で、粗野で動物的な状態を維持するために本性のうちに定められた法則を実行することをやめない。ここで、この対立の実例を示そう。


 人間が成熟して、子孫を産むという衝動と能力をそなえる時期は、自然によって十六歳から十七歳と定められている。これは少年が粗野な自然の状態において、文字どおりの意味で男性になる年齢である。この年齢に達すると、みずからを養い、妻に子供を産ませ、子供と妻を養う能力を獲得するからである。欲求するものが簡素なものであれば、これは容易なことである。しかし文化の進んだ段階では、生計を立てるためのさまざまな手段が求められるようになり、熟練においても、外的に好ましい状況においても、多くのことが要求される。だから成人する時期は、少なくとも市民社会では、これよりも十年は遅くなるのである。


 しかし自然は、社会的な洗練の進展に合わせて人間の成熟に時期を変えることを拒み、動物の一員としての人類という種の保存の法則をかたくなに維持しつづけている。このために自然の目的が道徳によって損なわれ、道徳が自然の目的によって損なわれることになるのである。自然の人間はすでに一定の年齢で男性になっているが、市民としては(市民となってもまだ自然の人間であることに変わりはない)、いまだに少年であり、ときにはまだ小児である。市民的な状態であっては、その年齢では、たとえ子供を産ませる衝動と能力をそなえていて、子供を産ませよという自然の呼び掛けにこたえるとしても、まだみずからを養うことはできず、ましてや子孫を養うこともできない。


 自然が生物に本能と能力をさずけたのは、これと闘うためでも、これを抑圧するためでもない。生物の自然的な素質は、礼節のある状態にふさわしく考えられたものではなく、動物としての人類を維持するためである。そして人類の礼節のある状態が、動物としての人類を維持するためである。そして人間の礼節のある状態が、動物としての人類の維持と対立するのは避けられないことである。完全な市民的体制だけがこの礼節のある状態を作りだすことができるのであり、文化の究極の目的は、この完全な市民的体制を構築することなのである。現在はまだ動物としての人類の状態と完全な市民的体制の確立の中間段階にあり、こうした段階につきものの悪徳とその帰結、すなわち人間の多様な悲惨が支配しているのである。


 自然は動物としての人類を維持することと、道徳的な類としての人類を維持することという二つの目的を実現するために、人間に二つの素質を与えておいたのである。この主張の正しさを証明するために、別の例をあげよう。ヒポクラテスの「芸術は長く、人生は短い」という言葉である。学問や技術に従事するのにふさわしい人がいて、この人が長期にわたる修練と、獲得した知識に基づいて、円熟した判断を下せるようになったとしよう。この人が次々とつづく学者の世代の全体よりも優れた判断を下せるようになっていて、精神の若々しい力をもって、学者の世代に与えられた時代を生き抜いたとしたら、どんな学者よりもすぐれた成果をもたらすことができるだろう。


 ところが自然は、科学の要請とは異なる視点から、人間の寿命を決めている。このように聡明な人も、その修練と経験の力で期待しうる最大の発見をしようとする間際になって、すでに老衰が始まるのである。この人は頭が鈍くなり、文化の発達のために貢献すべき時間を、次の世代に委ねなければならないのである。


 そして次の世代は白紙の状態からやり直し、前の世代が歩んできたすべての道程を、ふたたびたどり直さなければならないのである。人類が自分の使命を実現するために歩む道程は、このようにたえず中断され、最初の粗野な状態に戻る危機性につねに脅かされているようである。ギリシアのある哲学者は人がそもそもどのように生きるべきかを理解し始めるそのときに、もはや死ななければならないのはいかにも残念なことだと語ったが、まことにそのとおりなのである。


 第三の例としては、人間の不平等をあげるべきだろう。それも自然が与えた不平等や幸運による不平等ではなく、普遍的な人間の権利の不平等である。この不平等についてはルソーが告発しており、この告発はじつにもっともなことである。しかしこうした不平等は、文化が計画もなしに進展するかぎり避けられないものであり、長い年月のあいだ、文化は計画なしに進展せざるをえないのである。


 この不平等は自然が人間に定めたものではない。自然は人間に自由と理性を与えたのであり、この自由は、理性が定めた普遍的で外的な合法性(これは公法と呼ばれる)によらなければ制限されないのである。人間は自然の素質にしたがってすごす粗野な状態から自力で脱出すべきであるが、みずからを改善する過程において、自然の素質を傷つけることのないように注意すべきなのである。しかしこのように繊細な注意を払うという技は、もっと後の段階になって、しかも多くの失敗を経験した後になってから初めて獲得できるものである。それまでの過渡期においては、人間はみずからの経験のなさのために招いた諸悪にあえぐしかないのである。





 これにつづく時代は、人類が安逸と平和を享受する時期から、労働と不和の時期に入ったときに始まる。これは同時に社会を設立して結合する時代の到来の前触れでもあった。ここでもわれわれは大きな飛躍をしなければならない。人類は一挙に、飼って育てた家畜と、種を播いたり植えつけたりして栽培した野菜を食料として所有する段階へと進むのである。野獣を狩猟する最初の段階から、家畜を所有する第二の段階への移行、あてどもなく草木の根を掘り、果実を集める採集段階から、野菜を栽培する第二の段階への移行は、ゆっくりと時間をかけたものだったに違いない。


 この段階で、それまでたがいに平和に暮らしてきた人々の間に対立が生じたはずである。その結果として生活方法に違いが生まれ、人々は地球上に分散して生きるようになったのである。牧畜生活は安楽であるだけではなく、まだ人々の居住していない広い地域さえあれば飼料に不足することがないため、確実な生計の手段でもあった。これにたいして農耕や栽培はきわめて辛いものであり、不安定な天候に左右され、不確実なものだった。そして一か所に定住して土地を所有する必要があり、所有した土地を防衛するために十分な力をそなえる必要があった。牧畜者たちは、土地の所有者がいると自由に放牧できなくなるために、土地に所有者がいることを憎んだ。このように牧畜生活のほうが有利であったために、農耕者は牧畜者のほうが天から恵まれていると妬んだようである。


 実際には、農耕者の近くにとどまるかぎり、牧畜者は農耕者にとってきわめて邪魔な存在だった。草をはむ家畜は、農耕者が栽培している野菜も食べてしまうからである。しかも牧畜者は、家畜が野菜を食べてしまったあとで、群れとともに遠くに去ってしまい、いかなる損害賠償もまぬがれるのは簡単なことだった。そしてその土地を立ち去る際には、どこででも手にはいるものしか残してゆかないのである。だから暴力を必要としたのは農耕者の側であり、とくに禁じられているとも感じずに行われる牧畜者の侵害に対抗するためだったに違いない(そしてそのきっかけがなくなることはなかっただろう)。あるいは長い労苦の産物を、このような形で失いたくなければ、できるかぎり牧畜生活が営まれる場所から離れたところに移らざるをえないだろう。この分離が第三段階の始まりを画するのである。





 農耕生活では、土壌を耕し、野菜を栽培し、とくに果樹を植樹する必要があるため、定住する住居が必要となる。そしてこうした栽培地をさまざまな損害から防衛するには、たがいに助け合う人々の集まりが必要となる。こうして農耕生活にあっては、人々はもはや家族単位で分散して居住するのではなく、集まって村落を作る必要があった(これはまだほんらいの意味での都市ではなかった)。農耕者たちはこのような方法で、粗野な狩猟者や牧草を求めて放浪する牧畜者たちから、所有物を防衛しなければならなくなった。生活のさまざまな必需品を生産するためには、最初はさまざまに異なる生活様式が必要であり、やがてたがいに交易によって必需品を取得できるようになった。こうして文化が生まれ、技芸が始まった。気晴らしのための芸術と、勤労のための技術である。


 しかし何よりも重要なことは、こうして市民的体制と公的な正義のための手立てが準備され始めたということである。これはもちろん凶暴な暴力行為に対処するためであった。しかしこうした暴力に対する報復は、野生の状態のように個人の手に委ねられるのではなく、全体を総括する合法的な威力に、すなわちある種の統治機関に委ねることが必要になったのである。そしてこの統治機関にたいしては、いかなる暴力も行使されなくなった。


 この最初の粗野な状態から、次第にさまざまな人間的な技芸が発達することができたのだが、そのうちでも社交性と市民性の技術がもっとも有益なものだった。やがて人類はその数を増やし、中心となる巣箱から分封して増えていくミツバチの群れのように、すでに発達した技芸をそなえた人々の群れを移民として送りだし、どこまでも広がっていったのである。この時代にはまた人類のうちに不平等が発生し、さまざまな悪の源泉となったが、同時にこの不平等はすべての善の源泉でもあり、その後はますます大きなものとなっていった。





 遊牧する牧畜者たちは、神だけを自分の主人として認めたが、都市の住民と農耕者たちは、一人の人(首長)を自分たちの主人と仰いだ。ところで牧畜者たちが都市の住民や農耕者たちの周囲に群がって住んでいるかぎり、すべての土地所有者の敵として立ち現れ、憎まれるのであり、この両者のあいだでは戦争が跡を絶たず、少なくともつねに戦争の危険性がやむことはなかった。


 しかしこの二つの民は、その内部では自由という貴重な善を享受することができたのだった(現在でも戦争の危険性は、専制的な支配を緩和する唯一の手段である。国家が力をもつためには富が必要であり、富を生み出すことのできるのは仕事熱心な人々であり、それは自由なしではありえないからである。貧しい国では公共体を維持するために人々が協力しなければならないが、そのためには国民がみずからを自由だと感じていなければならないのである)。


 やがて時が立つとともに、都市の住民が次第に贅沢になり、とくに人々の心を惹く技術が発達してくる。そして都市の女性たちはこの技術をつかって、汚れた野育ちの娘たちをはるかにしのぐ魅力を発揮したのであり、これが牧畜者たちを誘惑する強い力を発揮したに違いない。こうして牧畜民も都市の住民と交わるようになり、うわべは輝かしいが実際は悲惨な都市の生活にひきこまれる結果となったのだった。


 このように、それまでは敵対していた二つの民がともに暮らすようになると、いかなる戦争の危機性もなくなり、それとともにすべての自由も失われた。一方では専制的に支配する暴君が登場し、他方ではまだ文化は始まりかけた段階にすぎないところで、きわめて忌まわしい奴隷状態において、魂を奪われた人々が贅沢にふけるようになり、未開の状態におけるあらゆる悪徳と混ざりあった。こうして人類は、善を好む素質を完成させるために自然が人類に示した進路から、いやおうなく逸脱することになったのである。人類はもともとは、獣のように快楽を享受し、奴隷のように仕えるべき存在ではなく、地上を支配すべき存在であるのに、この使命にふさわしくない存在になったのである。





 もの思う人間は苦悩を感じる。これはものを思わぬ人は知らない悩みであり、あるいはこの苦悩から道徳的な堕落が発生するのかもしれない。この苦悩は、世界のすべてを支配している神の摂理に満足できないために生まれるからだ。それに諸悪が襲いかかり、人類を悩ませていて、いかなる改善も期待できない(ようにみえる)からだ。しかしわれわれはこの摂理に満足することは、きわめて大切なのである。この摂理がたとえ人間のため日常で辛苦の多い道程を定めていたとしてもである。これはこうした艱難のうちでもつねに勇気を失わないでいるためであり、またこれらの悪を運命の責任に転嫁しないためでもある。これらのすべての悪の責任は人間だけにあり、人間がその唯一の原因なのである。われわれはみずからを改善すべく努め、諸悪に対抗するための工夫を怠ってはならないのである。





 戦争という最大の悪が、道徳的に開花された民族を苦しめているのはたしかである。しかもわれわれは現実の戦争や、かつての戦争そのものよりも、将来の戦争にそなえる準備のために苦しめられている。この戦争のための軍備はやむことがなく、しかも絶えず増大するばかりである。この目的のために、国家のすべての力が、偉大な文化の創造のために使えたはずのすべての果実が、浪費されているのである。そしてさまざまな場所で自由が抑圧される。国民に母親のような慈愛を向けられるべきところで、過酷なまでの厳しい要求がつきつけられる。そしてこの過酷さも、外国からの戦争の脅威という名のもとに正当化されるのである。


 それでもまだ文化が残っているのは、共同体のさまざまな身分の人々が緊密に協力して互いの福祉を改善しようとしているには、厳しい制約を加える法律のもとでもまだ国民のうちにある程度の自由が残っているのは、こうした戦争の脅威のために、国家の元首たちが人間性を尊重せざるをえないからではないだろうか。たとえば中国では地理的な位置のために、予想外の来襲をうけることはあるかもしれないが、いまのところは強力な敵の攻撃を恐れる必要はない。そのためこの国では自由は跡形もなく根絶されているのである。


 こうしてみると、人類がいま到達している文化の水準では、戦争は文化をさらに進歩させるための不可欠な手段となっているのである。永遠につづく平和がわれわれにとって幸福をもたらすのは、文化が完成された後のことであり(それがいつのことになくかは、神のみぞ知る)、文化が完成されなければ、永遠につづく平和はありえないのである。だからこの戦争と平和という問題については、戦争の惨禍をひどく悲嘆しているわれわれこそが、その責めを負うべきだということになる。聖書では、まだ文化が始まったばかりの段階で、さまざまな民が宥和して一つの社会にまとまり、外的の危険性から完全に守られると、それがその後の文化の発展を阻害し、癒すことのできない堕落へと落ち込むことを描いているが、それはまったく正しいのである。





 人間が嘆いている第二の不満は、自然が人間の寿命を短く定めたことである。しかし人が、自分の人生がもっと長くなるべきだと望むとしたら、人間は人生の価値の評価の仕方を知らないと言わざるをえない。寿命が長くなるということは、ひたすら辛苦と戦う日々がつづくことになるからである。しかし人間が生を愛することなく死を恐れ、一日一日を何とか満足して生きることすら難しいのに、このように苦労を繰り返す日々がまだ足りないといって嘆くとしても、それはたんに判断力が子供じみているからだと済ませることはできない。考えてもみよう。これほど人生は短いというのに、日々の糧をえるためにいったいどれほどの労苦が費やされていることだろう。たとえごく短いあいだしかつづかないとしても、将来の享楽を期待して、どれほどの不正が犯されていることだろう。だから理性的に考えるかぎり、次のように思わざるをえないのである。もしも人間が八百歳以上の寿命をえたとすると、たとえ親子であっても、兄弟や友人のあいだであっても、もはや生命の保証をすることはできなくなるだろう。そしてこれほど長く生きる人類の悪徳の大きさを考えると、世界を覆う洪水によって地表から一掃されるのが、人類にはふさわしい運命と言うべきだろう。





 人間がいだく第三の望みは、詩人たちがあれほどに賛美する黄金時代への願望であるが、これは望みというよりも、空しい憧れのようなものだ。この願望がその一部でも実現することがありえないことは、だれでもが知っていることだ。この黄金時代が訪れれば、贅沢さのために人間が背負い込んでいるすべての要求から解放されて、自然の求めるものだけに満足し、だれもが完全に平等になり、人間のあいだに永遠の平和がつづくとされているのである。要するに、労苦のない生活を怠惰のうちに夢見るように享受し、子供の遊びのうちに日々を無駄に過ごす時代が到来することを考えるのである。


 ロビンソン・クルーソーの物語や、南国の小島への旅行がわれわれを魅惑するのは、このような憧れのためなのだが、これは思慮のある人々が文明的な生活を送るうちにつねに感じざるをえない倦怠の気持ちの表れなのである。こうした人は文明的な生活の価値は享受だけにあると考えていながら、生活に価値を与えるのは行動であることを理性の力で思いだすと、ふだんの怠慢な生活の反動として、倦怠を感じるのである。


 しかし原初の黄金時代についてのこうした思い込みを考えてみれば、人間がこのような純真で素朴な時代にもどりたいという願望はまったく空しいものであることがはっきりしてくる。人間はこのような状態にとどまることはできない。それに満足できないからだ。そしてふたたびこの状態にもどりたいと願うこともない。だから現在のような労苦に満ちた状態にいるのは、人間がみずから選んだことなのである。





 このように人間の歴史の端緒を描くことは有益なことであり、人間に教訓を与え、改善させる役割を果たすのである。歴史の端緒が教えてくれたのは、人間をおし潰そうとする諸悪を、神の摂理のせいにしてはならないこと、そしてみずから責を負うべき悪事を、先祖が犯した原罪のせいにしてはならないことである。先祖の原罪のために、子孫であるわれわれに、罪を犯す同じような傾向がうけつがれたのだと考えてはならない。人間がみずからの意志によって行ったことに、遺伝的なものが伴うことはありえないからだ。人間はみずからの行為には、完全な責を負うのである。そして自分の理性の誤用によって生じたすべての悪について、そのすべての責をひきうけるべきなのだ。考えてみればわかるように、理性を最初に利用するときにわれわれがもしも同じような状況に立たされたならば、祖先と同じようにふるまったに違いない。そしてアダムやイブと同じように、自然の教えに反して、理性を誤用したに違いないのである。責任の所在についての道徳的な問題さえ是正されていれば、自然の諸悪などというものは、その功罪を差し引き計算していくらも好ましいところが残っていないとしても、問題ではないのである。


 これが哲学的に考察した人間の原初の帰結である。われわれは摂理に満足し、人間の進歩のすべての過程に満足すべきなのである。人間の歴史というのは、最初に善の状態があって、これが脱落して悪に落ち込んだのではない。反対に悪しき状態から次第に善き状態へと発展していくものなのである。自然が人間に与えた使命は、各人が分におうじて、できるかぎりの力を発揮しながら、この歴史の発展に貢献することなのである。




(カント)