我国の佛教



 我国の佛教は初めは全く支那仏教の輸入移植であったが、然し、遂に全く日本的となり、支那その他に於いても全く見られない大発達を遂げ、恐らく全仏教発達の究竟にまで達したといえるであろうものを出すに至ったのである。既に聖徳太子が佛教を信じ、仏教の精神によって、我国文化の基礎を確立し、而もその佛教は決して単なる輸入移植のみではなく、全く独自の受容攝取にあったから、この精神態度が後世に流れて、凡てを支配するに至ったのであると考えられる。爾来、奈良時代には主として支那仏教の移植であったが、然し、その間に我国独自の発達もあり、支那に衰亡せんとする宗派をして我国に流行せしめる点もあった。続いて平安時代に入るや、天台、真言の二宗が新たに起ってここに日本佛教が芽生え、天台宗は特に日本天台と呼ばれて支那天台と区別せられ、真言宗は印度支那に確立しなかった独立の一宗の体系を整えた。その後真言宗は盛んに流布して現今にまで及び、日本天台は特別の発達を遂げて、台密の盛行に伴って、独得の日本的法門を展開し、以て鎌倉時代の新宗教を起した。日本天台から現われたものとしては、古くは良忍上人の融通念仏宗があって、これが既に印度支那その他に類のないもので、根柢に華厳天台の高遠な教理を有して、その上に簡易な念仏を立てて、かの上層階級のみ行なわれたものを、一般民衆の間に入込ましめるに至り、次いで法然上人の浄土宗が出で、往生要集の導きによって、遥かに支那の曇鸞、道綽、善導の系統、特に善導によって、口称念仏の他力易行道を主唱し、朝野を導いて往生極楽を欣求せしめ、これから更に親鸞聖人の絶対他力の真宗が出でて、慧心流の本覚思想をも汲んで、平生業成、報恩感謝の念仏生活により僧風を俗化し、無戒律無祈祷の独自の一宗を開き、又、浄土宗から一遍上人の時宗が現われ、口称念仏に禅的要素が取入れられて離三業念仏として踊念仏、諸国遊行の生活となった新たな系統が起り、同時に日本天台からの日蓮上人の日蓮宗が出来て、信心唱題による即身成仏の実践が高調せられて、我国以外に例のないものを立てた。この間に、栄西禅師が支那から臨済宗を伝え、その当時は日本天台の密教と混合して純粋の禅のみではなかったが台密と分れない所が独得のものであったといえる。次いで大応国師が又臨済宗を伝え、当時の入宋並びに来朝の諸禅師と並んで、禅を日本的のものたらしめて我国の国民生活、文化領域に浸潤せしめ、更に道元禅師が曹洞宗を伝えて而もこれを日本的に、行によって凡てを活かし、随所に主となる行持報恩の宗風を発揚した。禅系統は禅そのものとしては必ずしも日本天台と内面的の関係はないと見るべきであるが、支那禅を以て日本禅として武士階級と一般庶民との間に入込ましめ、我国文化の各層をして禅味を帯ばしめるに至った点は、我国独得である。

 これ以後にも黄檗宗も伝わり、また修験道、普化宗などの日本的のものもある。これ等の宗派が大体現代までを支配しているのであって、他国に例のない宗派である。大体現今を基として見れば、我国の佛教は天台系統、真言系統、浄土系統、禅系統の四系統によって纏められ得るのであるが、この中、天台系統は発展の源たる系統として別に見れば、教理上、真言宗は顕密の二教によって全佛教二分し、浄土系統は聖導浄土の二門によって全佛教を二分し、禅系統は教禅の二門によって全佛教を二分せんとする教判を有するもので、而も顕密二教は、結局、凡ては密の一に入るべきもの、聖浄二門も一切を浄土の一門に帰すべきもの、教禅二門も悉く禅の一に成るべきものであるという趣意を有するものであって、かかる主張も全く日本佛教の独り発揮する所である。而もこれ等が相互に交撤鎔融して、同時に各々一宗をなしつつ蘭菊美を競うの状は壮観と称すべきである。かかる光景は現今、何処にも見られない所であり、凡てを内容的に見れば、佛教としての発達発展の殆ど最高点までにも達し得たといえようと思われる。吾々はかかる佛教によって現に生活しつつあるのであるから、その生活は佛恩報謝とならねばならぬものである。然るに、現今佛教者は倫安に耽り姑息な生活に甘んじて居て、一般人から軽蔑の受けて居る。この一般人が僧伽並びに比丘を軽蔑視することも我国にのみ見らることで、他国には殆ど例がない。佛教者側の怠慢欠点に由来するか、一般人側の宗教心の稀薄に原因するか、何れであるにしても、決して相互の幸福な所以ではない。佛教者はこれを却って良き縁として奮発努力して以て佛教をして一べ発展せしめ、我国文化の各方面に新生命を吹込むことにし、而も佛教維新を現出せしめて、新たな佛教を展開せしむ層きである。発展の最高点に達したというのは、決してもはや発展を止めたというのではないから、却って、新たな発展の出発点となるという意味に解して、今後の新局面に処する決心を要するというのである。


(宇井伯寿)




<清浄禅動画>


 禅は心統一の因相である、定は心統一の果相である。心統一の功果が顕われたり、禅定は夢を夢だと見得る明鏡となるのである。世間差別の種々相を心統一のレンズに写して集中する、集中の目的を達したら、これを「心一境相」と名ける、心が一点に統一されたのである、即ち「定」である。所謂「明鏡止水」である。この時、定前の種々相が定のレンズを通して更に拡大されて心の奥の種板に上と下と倒まになって映写する。明鏡の如き止水の中に万象がその倒影を宿して居る。「万物映徹」の光景は麗しいものである。唯定外の種々相と定内の種々相とは全く逆である。この明鏡を「慧」と云うのである。定は「止」であるが慧は「観」である。止は「寂」であるが、観は「照」である。この慧の逆光線で再び定前の種々相を観照する。この再認識の時の観方は定前の見方とは全く異なって居る。ここに世間の見方や世俗の論理を指して「妄想である転倒である」とするのに何の不思議があろう。弁証のみで進めば生の条件の一切を否認するより外に真如の光景は彷彿さられない。いつまでも真如の四界と現実界とは峻別である。真如は疑然ならざるを得ない。更に禅定に依りて初めて真如の実相が如実に直観せらるる。「実智」は禅定に依りてのみ到達せらるる。定力から慧力が生じ、慧力から実生活に適せる妙智力が発する。これが「実智」である。これが「如実知見」である。慧の完成(般若波羅密)が、人格の完成無上菩薩である。これが法界定の髄得者即ち佛である。


(高楠順次郎)