仏教思想 T
阿含はアーガマの最後の母音が脱して、アーガンと発音せられていたのを音訳したのであって、アーガマは来の意味であるから、伝来、伝承の意味に他ならぬ。即ち、古くから伝わり来たものとなして、かく呼んだのである。
阿含に含まれた各経は、すべて、原則としては、如是我聞(この如く私によって聞かれた)とあり、これが、後世に於いても、経の最初をなす型となったものであるが、この句によっても判るように、阿含中の経は、決して、釈尊の直接の語、即ち仏語、を記録しているのではなくして、伝説上、第一結集において、仏弟子阿難の誦出したものとせられて居るのである。
釈尊の時代以前、既に、古くから、印度人は文字を知っていたが、釈尊は、何れの説法にも、手控えを作るが如きことをしなかったから、説法は、釈尊の側から、後世に遺る方法は、全く、無かったのである。弟子信者の説法を聴聞したものを、何等、これを記録するが如きことなく、全く、唯、単に、聞いていたのみであった。然らば、これが遺って、後世に伝わるのは、聴聞者が、その説法の梗既要領、大網趣意を、脳裡に把捉したもののみであったのである。この外には、何等のものも、遺され得るものはない。
釈尊の説法は、弟子信者によって、多種多様に憶持さられていたことは事実であると見なければならぬ。
如何に、印度人が記憶に長じていたにしても、釈尊の四十五年の間の不断の説法が、その言語通り、凡て、記憶せられ、伝持せられていったとは考えることが出来ない。故に、憶持としては、要領趣意が中心とせられていたに相違ないと見ねばならぬ。
仏教中には、かなり神秘的な要素も含まれているが、然し、釈尊が、夕方、独りで、天神と偈頌で問答し、それを、翌朝、釈尊が弟子に告げたとなす如きことが、実際、事実として考えられるかどうかについて、現今の学者は、よくよく、考えて見るべきである。吾々としては、到底、そうは考えられないから、これらの偈頌は、明かに、後に作られ、作られたその当時、天神が信じられていたから、それらに仮託せられて伝わったものであろうと考える外には、考えようがないと思うのである。
仏陀を考えるには、一方に於いて、純粋に歴史的人物としての釈尊と、他方に於いては、同時に、歴史以上の仏陀と、更に、両者の結合した仏陀釈尊とを、区別するを要するのである。然らざれば、仏陀論は到底明らかにせられ得るものではない。
仏陀自身も、菩提樹下で大悟して後に、自ら一切の勝者、一切の知者、であるという自身を有したに相違なく、これが、後世、仏陀は煩悩障、所知障を、完全に、離脱しているとなす基たるものであるが、又、これによって、仏陀自ら、法の根源に契当し、法そのものに成ったと自證していたと考えられるのである。弟子は、凡て、この仏陀の自信と自證とに相応じて、仏陀を以て、偉大なる人格者と崇め、しかも、生命をも託して、絶対の帰依をなしていたのであるから、仏陀は大悲の無上師であると信じて、仏陀のみをたのんでいたのである。従って、弟子信者からいえば、仏陀は、既に、比なき偉人であり、否、超人とでもいはるべき程の人であったのである。この信頼、又は、信仰は、仏陀の入滅後、弟子が仏陀を追憶することが深ければ深き程、ますます強くなって行くものであり、而も、追憶上の仏陀は、全く理想化せられるに至るものである。この点は、吾々の日常経験に於いても、知られることであって、吾々が両親、その他、親しい恩師、心友を追想する場合、追想の強きに従って、その人の生前の欠点や、個人的事情は消失して、慈愛恩徳の方面のみが、残って、それらの人々は全く理想化せられるに至るものである。歴史上の何人でも、理想化せられていないものはない。否、生前ですら、面接しない時には、理想化せられていることも、決して、少なくない。仏陀に対しても全く同じであったのである。故に、又、仏陀の孫弟子以後となれば、仏陀に面接したことがなく、而も、常に、それぞれの師から、仏陀のその超人性のみを聞かされ、又、自らもそれを偲び、且つ、自らのみでは理解にも容易でなく実践にも困難な教説を、無師独悟した仏陀を追憶すれば、仏陀は、全く、超人として、文字通り、一切の勝者、一切の知者たることは、事実として、認められることになるのである。
仏陀は人類教化の為にのみ世に生まれたのであり、教化せんという決意の力で、生まれたのであるとなすのである。
世には、仏伝と称せられているものが存するが、何れも、これ、厳密な意味でいえば、仏伝たるものではない。二千数百年間、その資料が伝えられていないのであるから、現今としては、仏陀の伝記などは、到底、知られ得るものではない。然し、仏陀と雖、歴史的に生存した以上は、その出生と出家と成道と入滅と、これらに付随したことなどは、疑うことを得ざるものである。
無常とは、全体の中の各が、それぞれ、無常変還するという意味と見るよりも、全体が、不断に連続して、流れているのを指すと見る方が適切である。凡てが生命の中のものである。この点は、諸法無我についても、また、考えられることである。
宗教的に眺める限りは、人は、凡て、現在のままの生存を以て、満足しているものでは無い。現状よりも、少しにても、よりよき状態に、向上せんと願うのが自然の性質であるから、醉生夢死に満足しない以上は、何人も、不満足心、即ち向上心がある。これが苦と呼ばれるものであると見るべきであって、換言すれば、これ、即ち、宗教心の発現である。従って、人生観として苦観を取ることは、かかる点にも根拠があるとして考察するがよい。仏陀が愛を苦の条件根拠となしたのは、即ち、向上心の振起を教える意味に他ならぬと見て、然るべきである。
涅槃の状態を考えて見れば、凡て、自由、自主、自律として、一切は、ここに統括せられ、その心が一切のものに束縛せられず、却って、一切を制し導き、一切は心に現われ居る以外の何物でもないこととなっているのである。かかる心が、現在の一刹那から、次刹那、次刹那へと、流れ行くのであって、その流れ行くは、決して、流れ行かないものに相対しているのではない。流れ行かないものを見んとするのは愛に外ならないのである。然らば、流れ行くと言うことが、既に、向上心を振起せしめる趣意を含んでいるのである。
涅槃を得た跡が、却って、真の努力の人生となるのである。仏陀は、涅槃を得てからが、真の生存をなしたのであって、これが、即ち、涅槃であるから、これ、悟後の修行、即ち本證の妙修、たるのである。
仏教は、一般に、智を磨くことを教えるものであって、例えば、般若波羅密というのも、現今の語でいえば、絶対完全な慧ということで、修行の目的である。修行が進んで、完成に至ったときは、最高真理に契当し、法の根源と一致し、それを体得するのであるが、これを根本智、又は、根本無分別智を得るという。
仏陀に関心事は、全く、渾然として統一ある日常生存であって、形而上学的等のものではないから、この人間中心の日常生存を、五(色・受・想・行・識)のものの積集と説いたり、十二支(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)より成ると述べたり、場合、又は、必要に応じて、説をなすものである。
吾々の日常生存は、全く、縁起であり、相依性のものであるとなすのである。これ、即ち、縁起を見るものは法を見る、法を見るものは縁起を見るといわれるものであって、この縁起を常に、如、即ち、真如、ともいうから、また、法性ともいわれることになるのである。
”此があるとき(又は、此があるから)、此があり、此が起るから、此が起り、此がないとき(又は、此がないから)、此がなく、此が滅するから、此が滅する”
心の汚れの故に、衆生は汚され、心の浄の故に、衆生は浄められるといわれるのであるし、又、この心は清浄である。
一切の心のありようによって、浄となり穢となるのであり、浄の時は、凡て、浄であり、穢の時は、凡て、穢であって、而も、心が非浄非穢の無記のものとして存して、それが場合によって、浄とも、穢とも、なるというのではなく、心が浄ならば、一切は、凡て、浄の一方のみであって、そこには、穢はなく、これに反して、穢ならば、凡てが、穢の一方のみであるというのである。
仏陀は、前述の如く、人間を中心としての日常生存が、意志的の発動によって現われて、刹那刹那に、凡て流れて行くと見ているのであるから、時間の如きも、この流れの経過を反省した時に、初めて、考えられることであって、決して、時間としての独立存在たるものがあるとは見ていないのである。従って、輪廻の如きも、これを事実と見做すことはあり得ないことである。若し、仏陀自ら輪廻について説いたことがあったとしても、それは、全く、要請たるに留まると見ていたと考えられるのみである。
一度、人が死したとすれば、その人が何れに至ったかに関することなどは、全く説くことはないものである。又、明かに説かれ得るものではないのが当然である。如何なる死をなしたものに対しても、仏教では、一様に、至るべき所に至ったとして、廻向するのが常例である。これが死者に対する礼儀である。然らば、前生と後生とを知る智などは、事実上、成立しないものであるといわねばならぬ。
現在世に生存している間は、自ら思を如何に働かしめて、如何なる業をなすべきかは、各人の選択に任せられるから、各自の責任であり、従って、そこに、教養のなされねばならぬ所以の根拠が、存するのである。吾々の実際生活は、まさに、此の如きものであって、吾々には、絶対的の自由などは、全然、存しないものである。凡て、先天的の約束の下に於いて、意志の自由を行ない得るのみである。然し、意志の自由のある以上は、そこに、どこまでも、責任が存せねばならぬものである。
現在一刹那の法は心に浮かべられた限りでの存在であるというのは、その法と心が相対立しているとなす趣意ではない。心が働いた時に諸法が、対象的に、明かに、現れるのであって、心が働かなければ、諸法はない。従って、心が浄ならば、凡ては浄、心が染ならば、凡て染であると考えられているのである。然し、大衆部系統では、心の本性を以て、本来清浄なものと見ている。即ち、心そのものは元来清浄なものであると見るから、これを心性本浄説と名づける。従って、何人の心も本浄である。
本浄の心性は、大乗の語でいえば、自性清浄心に外ならぬが、これはあるべきもので、必ずしも、あるものではないから、現象的なもの、即ち事、ではなくして、本体的のもの、即ち理である。これを仏性と名づけてもよいから、その点でいうと、この仏性は性得仏性、即ち、本性上存する先天的の仏性、となし、上坐部、並びに、小乗仏教の如く、修得仏性、即ち経験的に修行によって得られる仏性、とは見ないことになる。然らば、吾々の宗教的修行は、この理としての心性、仏性を開明することである、といわねばならぬ。
一切皆空は、結局、縁起説に外ならぬと考えられるのである。故に、一切皆空説は縁起説の発達であると認められる。
空は吾々の見方、考え方の浄化であり、心のありようの浄化であり、物と心との無差別に入り、主客未分になることであるから、空の最後は自性清浄心の明かになることであるといわれている。自性清浄心といえば、これは、必ずしも、日常働いている心ではない。一般に、仏教の説く心には、大別して、二種があるといわれる。第一に、日常働いている心は、即ち、縁慮心であって、多くは識といわれる。識は、必ず、了別を指し、了別し、弁別する働きを識というのである。識は、多くの場合に、実体視せられるが、その時は、分別するものが、即ち、識であるとせられるのである。了別は縁慮で、かかる心は事心と称せられる。第二に、堅実心、又は、貞実真といわれる心で、これは、例えば、樹のシンという如く、決して、縁慮の働きをなすのではない。かかる心を理心、又は、法性心、と称す。理心は、必ずしも、心と呼ぶ要はないのであるが、例えば、名色が識に統一せられるといい、縁起は凡てが心に統一せられていることを表わす説であるとせられる如く、凡て、識や心に帰著せしめる傾向のみであるから、理を、直に、理心と称するに至るのであって、理心は理を指すに外ならぬのである。故に理心といわずに、単に、理と称してもよいし、又、数々そう呼ばれてもいる。この理心を、又、真心と称するから、これに対して、事心を妄心と呼んでいる。妄は、真に対しても、必ずしも、虚偽の意味ではない。動揺とか、染汚とかの意味に見ればよい。自性清浄心は、この理心のことであって、これを、又、一心ともいい、心性ともいい、更に、総該萬有心ともいう。一心は不二心の意味で、絶対心というと同じであり、真心は真実不虚妄心、総該萬有心は、文字通り、萬有を総該する心であるが、この命名は、稍、後世のものである。自性清浄心は、決して、吾々の内にある微細極小の心たるのではなく、むしろ、吾々並びに、環境の凡てを、一の全体と見、その中にある個々の差別対立を見ずに、悉く、無差別と見たときのものである。
この自性清浄心と日常心との関係如何を考えることになると、自性清浄心は日常心から見られるから、自性清浄心という絶対的なものが、相対的となって来るのである。即ち、無差別の内に差別を現わして来るのである。それであるから、又、不浄に対する清浄となるのである。不浄は煩悩によって、染汚せられた所をいうのであるから、大乗としては、煩悩はあるべからざるものたる客塵と見做点している点で、そこに、既に、清浄を想定しているといわねばならぬ。その清浄は、従って、心性であると考えられなければならぬ。故に、自性清浄心は日常心の本性であるとせられるし、実践修行によって、煩悩が拂い尽された時は、基本的に還ると見られる。然らば、かかる自性清浄心のありようによって、生存は、浄とも、染とも、現れることになるものである。これを三界唯一心とも、三界は虚妄、唯これ一心の作なるのみともいうのである。三界は日常心の見る固定的の実在世界であるから、虚妄であり、空ぜらるべきである。空ぜられると一心が現われるが、空ぜられるのも、一心によりて空ざれれるのである。故に、虚妄の三界が、三界としてあるのも、これが空ぜられるのも、凡て一心の作す所である。故に、三界は唯一心のみである。
仏教は、凡て、人間を中心となす説であって、決して、それを離れて、世界とか、宇宙とかを、客観的に、解釈説明することに、努力するものでないことに、思いを致すべきである。一般に、人間の性情として、宇宙論的の理論に興味を有することになるものであるから、不知不識の間に、この性情に誤り導かれるのである。然し、仏教の如き、実践を主とする教が、徒に、宇宙世界の客観的解釈などに奔る所以がない。
人生は無限の向上の努力をなす所に、その真意義が存するのであるから、心の修行によって、夢を転じて、真生活となる真実智を得ねばならぬ点で、実在観を真実観に転回せしめる趣意である。
”生に関しては、幻等と説き、分別せられたものからは、無と説き、而も、四種の清浄によっては、真実と説く。清浄は本性と、無垢と、所縁と、道たるものとである、清浄なる諸法は、四種に攝められるものであるから”
四種の清浄の中、本性は本来の自性が清浄なるをいい、これ、真如法性に外ならぬが、在纏位であるから如来蔵といはるべきで、而も、これは一切法を如来蔵となすことになるのであり、無垢は一切の障垢を絶せるをいい、如来蔵が在纏であっても、その性の、汚されずに、清浄なるをいい、次の道たるものというのは、それに達する道の清浄なることであって、三十七道品や、六波羅密の如き修行道であり、所縁は、それを知らしめる大乗の教の清浄なることをいい、これ、大乗の教は真如法性から流出し、真如法性を得る因であるから清浄であるというのである。然らば、四種の清浄の中の初二は、真実性そのものが、日常生存に於いて、失われていないことをいうに外ならないし、後二は、実践によって、真実性に達せられることをいうのであって、従って、日常生存が真実生活に転回せられねばならぬ所をいうのである。
般若経は、皆空説によって、自性清浄心を説き、又、法身をも説くに至ったが、法華経は、法身を説くのみならず、三乗人が、凡て、仏陀と成ることを開顕しているし、華厳経は、一乗を説くと同時に、一切衆生の中に仏智が存し、仏智の中に一切衆生が含まれるとなし、又、涅槃経は、法身常住と一切衆生悉有仏性とを強調している。恐らく、これ等の系統に於いて、その後、間もなく、勝鬘経などが、如来蔵を唱え出したのであろうと考えられる。
仏陀は覚者と譯され、覚は自覚、覚他、覚行窮満で、自ら悟り、他を悟らせ、覚行の完成をなしているから、かかるものが仏陀であるとなすのである。この中、特に注意すべきは、覚他であって、これなくしては、仏陀たり得ないのである。
仏教は、凡て、人間を中心として、人間の日常生活に処する為の説をなすものであるから、凡てを実生活から解することにしなければ、その真意義が失われるのである。真如、法身も日常生存以外に、天上か、何処かの清浄世界にでも実在していて、実生活と関係のない如きものであってはならない。真如、法身を以て、秘蔵すべき珍宝なるかの如く考えるのは、甚だしい誤りである。すべて、日常生存の向上浄化の為に、高い理想目的を立てて、あるべきように、実生活に処する所に、真如も、法身も、樹てられて来たものである。故に、真如、法身を実在と考える程、不可解な考えはあり得ないとも思われる。然し、理想たる点を強く見、又、それが、到底、実現し尽されない、否、多少実現すれば、更に、理想が向上して、常に実生活以上にのみある点と、吾々の性情として理論的興味に支配せられるものである点と、などの為に、真如、法身が、全く、生活に関せざるかの如きものとせられるに至るのである。然し、この点については、仏教研究者の三思すべきものが存すると考えられる。実生活に役立たない説は、凡て、これに関係せずともよいとは、阿含経が、仏陀の常に教えた所として、伝えている所である。
支那仏教の基づく経論は、凡て、印度撰述を訳出したものである。経は、支那に於いても、作られたことがないではないが、それは、凡て、偽経と称され、仏教発達に寄与する所がないのみならず、全然、却けられるのである。これは、無論、印度の経は、凡て、仏説の記録であるが、支那の経は仏説たるものでなく、仏ならざるものが作ったからであるという理由に依るのである。印度と雖も、経は、凡て、仏説そのままの記録ではなく、又、大乗経は、全部、仏でないものの作であるが、支那では、この如く考えられたことがなかったのである。
古来、支那の学者は、一度、自国語に訳出されると、原文は、もはや、顧みることなく、全く、捨て去ったものであるから、訳文のみで、その研究を進めたものである。従って、かかる翻訳の経や論を所依としている成立宗派には、現代学者の原文に対する本文批評的研究は、殆ど、何等の影響をも与えるものではない。
吾々の日常生存は、全く、関係上に存するに過ぎないことがよく判る。衣食住凡てが、直接間接に、一切の力で、成立し、それを吾々が受用しているのであることを反省すれば、一切が関係上のものなることは理解せられ得るであろう。
浄土宗系では、自ら説く所を浄土門、易行道となし、他の仏教凡ての説く所を聖道門、難行道となして、全佛教を二分する教判をなしている。聖道門は、自力的に、智慧をきわめて、悟りを開くを主とし、浄土門は、他力的に、信仰によって、往生するとなすから、前者は難行、後者は易行といわれ、而も、前者は、この世に於いて聖者となるを目的とし、後者は、浄土に往生して聖者となるを期するのである。浄土門は、阿弥陀仏の救の力によって、浄土に往生するとなすから、この世を穢土とし、これを厭離して、浄土を欣求すべきことを強調する。
仏教の厭世観は、むしろ、人生の向上浄化を、もたらさんとする趣意のものと解すべきである。一般に、吾々が、日常、営々として職に励み、学に進むのも、凡て、これ、現在即今の境遇状態を以て、満足せずして、一歩たりとも、よりよき境遇状態に進まんが為であるから、その点に於いて、現在即今の境遇状態に不満なことが、即ち、厭世観を抱く所以であると見るべきで、この意味の厭世観の趣意は、元来、この意味に見るべきで、浄土宗系統でも、その本旨は、この意味でなければならぬものである。この心がなければ、宗教的の行は起って来ない。故に、これが総安心である。
禅を支那に伝えたのが達摩であるが、達摩は慧可に伝え、慧可は僧サンに伝えた、僧サンの弟子道信、道信の弟子弘忍の二代の間に、従来の祖師が、主として、頭陀行を行じ、必ずしも、禅を一般大衆に説かなかったのに対して、数百の會下の日常生活をなす所に禅ありとなしたが為に、禅は実際生活の中に入り、又、多数の弟子があったが為に、その禅が天下に伝播するに至った。道信の下で、牛頭禅が起り、弘忍の下で、神秀の北宗禅と、慧能の南宗禅とが分かれ、又、慧能の下で、青原系の曹洞禅と、南嶽系の臨済禅とが起った。爾来、多くの系統も現われたが、曹洞禅と、臨済禅とが残って、我国にも伝わった。これ等の禅宗の間には、それぞれの特色があるとせられているが、現今存するのは、南宗禅のみであり、又、南宗禅のみが流行したのであるから、禅宗のいう所としては、南宗禅系統の言う所に外ならないことになる。
禅宗は、自力教といわれる中の代表的のものであろう。阿弥陀仏をも心の中に見、浄土をも、亦、心の中に見るとなすが、これは自力によってである。従って、自力のみを主となすが、元来、自力と他力、自と他とは如何なる関係にあるとなすべきであろうかを考えるべきである。自他は、徹底、対立差別であると見るのは、無我説の実践的意義と両立しないものである。吾々の日常生活に於いても、自の範囲なるものは、左程に、明確なものではない。常識的に吾々が肉体と精神とに分たれ得るとすれば、その何れが自であるか。自の心とも、自の身ともいうとすれば、その自は、如何にも、心と身との外にある如くでもある。然し、吾々の心で、自の心とか、自の身とか、考えるのであるから、自の心は、既に、反省思惟せられた上のことである。故に、自といわれ得る当体は、心となさるべきであろう。心主身従と考えるのが、吾々の通常であるとすれば、自の身と考えるのは、自の父母、兄弟、親戚、朋友等について考えるのと、考え方は異ならない。進んでは、物と自とも、その境目の分たれないこともある。鞍上人なく、鞍下に馬なしの例は、自と馬とも別ではなくなっているを示すものである。自は、かく、広くなるから、全く他を含むものとなって来る。凡て忘我の境地には、自もなく、他もないから、全く皆空である。一切皆空は自他の対立差別を融没して、而も、大なる目、大なる他を現出する。大なる目は、通常対立とせられる自他を含んでいるから、同時に、これを大なる他というても差別はない。この大なる他を見るのが他力、大なる自を見るのが自力である。
従来の貪怒愚が、仏の貪怒愚たるのであるから、もはや、貪怒愚ではなく、全く、戒定慧そのものに外ならないことになる。故に、娑婆即寂光浄土、煩悩即菩提である。即ち、禅宗の説も、全く、これ、縁起に於いて言われ得ることに外ならないのである。
道元禅師は禅宗という名を却けて、自らの仏教を禅宗とは呼ばしめないのは、一に、教に対する禅でなくして、教禅を包含する禅であるからであるといわれる。所謂実大乗一般は、この精神を有するのであるし、それは、確かに、絶対釈の大乗であるが為であるが、教相を有しない禅宗としては、これは我国に於いて、初めて、明かにせられたというべきものであるのである。然し、そこに、又、禅宗の独得のものとして、教家一般が凡て心によって得る所あるを期するのに、道元禅師は身を以て凡てを得るとなしている。仏教は凡てを身に於いて得る所に真の生命を有するのである。
仏教は前に述べた如く、元来、歴史的の釈尊であったのであるが、後世、釈尊に対する考察が発達したが為に、釈尊は歴史性を失って、全く歴史以上となり、而も、吾々を教導する為に、この世に出現して、人的の形を取り、又、人的の行動をなしたのであるとせられた。この仏陀の本地は、初めは、報身とせられたが、報身は、必然的に、理仏として法身の等流と考えざるを得ないものであるから、仏陀の本地、本質は理であり、これを法身仏となすのである。然らば、仏教なるものは、法身仏から流れ出た教であって、理の現われに外ならぬとせられているのである。
仏教の説く所は、何等、特定の宗教としての教ではなくして、いやしくも、人として生存する限りは、意識するとせざるとに拘わらず、必ず、従うているべき説であって、人の人たる道を示すに外ならぬとせられるのである。故に、仏教信者なる特定の人があるのではなく、人間凡てが仏教信者であるとなすのである。
仏教としては、卑賤な説でも、それが、全く、過去の遺物として、価値を失ったとは見ず、又、高遠な説でも、それが、また理論上、完璧なものと見ているのでもないことである。仏教には、仏教の有する教育制度、又は、機構なるものが存しないから、被教育者としての聴者一般の素質を、他人の教導によってのみ、向上生活に入り得る声聞と、他の教導に俟たずに、自ら向上修養をなし得る独覚と、他の教導、社会生活のみに専心し得る菩薩との三種に分類し、人間の素質はこの外にはないとし、この三種に、それぞれの教育なり、この三種のそれぞれの進む道なりがあるとなして、仏教の凡ての説は、大体、この三種の人々に応ずるものであり、又、この三種の中、各に、それぞれ、異なった要求があるから、それに応じて、説かれているとなしている。故に、人間に素質の相違、要求の差別が存する以上は、仏教の各部門の説、種々なる教は、それぞれ、何れの時代にも、価値を失うことはないとなすのである。
現今、又は、将来に於いて、仏教の説き方には、よほど、注意せねばならぬものがあるといわねばならぬ。特に注意すべきは、仏教を以て、世外的のものなるかの如くに取り扱うことである。我国の明治時代以前に於いては、大体、かかる取り扱いも、多くの場合、通用したかも知れぬが、明治、大正、昭和と進んだ今日に於いては、実社会と関係なきが如き仏教は、全く無用の長物であると考えられるに至ったから、少なくとも、仏教研究の学者によって、慎重な、検討がなされねばならぬものである。
仏教は吾々の生存を以て縁起と見るものであって、仏教を一貫するものは縁起の考えであるといえるであろうと信じるを得るに至った。
吾々の生活なり、世界なりが縁起であって、それを如何に考え、如何に解釈し、説明するかによって、古来、種々なる説が唱えられたのであって、凡ては、要は、縁起を如何に体得するかにあるといえるであろうと思う。古く、既に、縁起を見る者は法を見る、法を見る者は縁起を見るといわれているし、又、仏陀の語として、仏陀は、法を見る者は吾を見る、吾を見る者は法を見る、と言われたと伝えられている。これによれば、縁起は法であり、法は仏陀であるということになるから、如何に、縁起を体得することが、重要であるかが判るのである。
釈尊の思想、根本仏教の縁起説なるものを、常に、念頭に置かねばならぬと考えるのである。
仏陀の根本的立場は、転変説や積聚の如き、形而上学的の解釈を、凡て、捨て去って、現実の生存を直視する所にあった。
始覚も、本覚も、もと、大乗起信論に出ている説であって、一切の吾々の自性清浄心を本覚と呼ぶが、これは、元来、凡ての妄想を離れ、霊々照々たる本有の法身であるにも拘らず、無明に覆われて隠れているから、実際修行の功を積むと、その本来の性徳、又は本質、が顕れることになる点で、その顕れる所を始覚と名づけるのである。本覚も、始覚も、その体は何等異なったものではないが、始覚は修行によって達せられることをいうから、始覚の法門は、修行という因の位から、悟りという果の位を眺めて、進み行く説き方になって、これを従因向課の法門といい、向上的であるを示し、本覚は、最初から、悟りで、迷いも修行もないが、前説の如く、果の位のものと見るから、従って、本覚の法門は、果から因を眺めて説く従果向因の法門と呼ばれ、向下のものである。始覚の法門では、吾々と仏とでは、相異なるから、迷悟、善悪一切の差別が存すると見られる。本覚の法門では、一切は悟界、即ち理、の徳用、即ち働き、たるものであり、迷も悪も、実は、吾々のいう迷や悪ではなく、而も、即事而真であり、一切はそのまま真であるから、空不可得によって、吾々の思慮を離れ、以て、一も捨つべくもなく、取るべきもなきに至り、阿字本不生として、一も生ずるものもなく、滅するものもなく、凡て諸法実相として本然の相を現わしているとなされる。故に、本覚の法門に於いて、四宗の合一調和が存することになるのである。
支那禅は、支那的に、理から事の現われる方向に於いて、即心即仏を悟るというのが一般傾向であるといえようが、日本禅は、又一歩進めて、事の内に理を見て、事のあるべきように安住する所に、特色があるものである。事の内に理があれば、もはや、事でもなく、事即理で、一の捨つべきもなく、一の取るべきもない点で、事に徹底するとなすから、随所に主となって、大道を宣揚し得るを説くのである。まさしく、これ、日本仏教の特色を発揮するものと見るべきである。
日本仏教の考えからいえば、吾々は、既に、仏であるとの確信の中に、若しくは、吾々は、既に、このまま、全く救われているとの信心の中に、生活せねばならぬということである。そこに無住処涅槃の真の活動が現われて来るのであり、本證の妙修となって来るのである。
現代の佛教者は、口を開けば、仏教が国史に貢献をなしたことを言うのを常となすが、この点については、既に、専門史家すら、これを認めているのであるから、専門史家ならぬ仏教者などの言を俟たぬ所である。唯、仏教としては、過去に於いて、效績があったことの追想に陶酔せずに、むしろ、将来に於いて、果して、国家に貢献をなし得るや、否や、について、潜心するべきである。
仏教の如き偉大なる文化財が、かくして、塵埃堆裡に放擲されるに至るのは、明かに仏祖に対する反逆であろう。仏教そのものは、元来、全く無力なものであって、何ごともなし得るものではない。凡ては人を俟って、初めて、力あるものとなって来るのである。試に、一巻の経をもって案上に安著せよ、人の受持する無くして、自ら能く霊験ありや否や。
(宇井伯寿)