仏 伝



 「仏陀」として知られたる大師は、西暦紀元前六百年より五百年までの間に、恒河の北岸、尼波羅(ニポール)新領域に存する迦毘羅(カビラ)城に於いて誕生せられた。両親はアーリア種族で刹帝利(クシャトリア)族なる釈迦種の領主浄飯(スドゥダナ)王とその后摩耶(マーヤ)夫人とである。王子名を悉陀他(シッタルダ)瞿曇(ゴーダマ)と謂い、その成道後にて於いては別に「釈迦牟尼(シャカムニ)」(釈迦族の聖者)及び「多他迦多(ダターカタ)」(如去如来又は、如住)、人間最上の尊号たる「仏陀」(覚者)等の名前を与えられた。


 太子は、端厳なる色身美を有し、若年にして一切の雄々しき競技演習に熟して居られた。国内に於ける最上の智脳は太子の教育の為に召集せられたが、太子は早くも一切の教師を凌駕するに至った。父王の宮殿に生長し、王子としての豪奢の生活に住せられ、時至りて隣国の王女耶輸陀羅(ヤソーダラー)姫を入れて妃となし、王孫羅喉羅(ラーフラ)を生んだ。誕生時に於ける仙人の予言には、太子は地上の王冠を以て満足すべき人ではない、却って人類の精神的指導者となるとの占察であった。父王は唯一人の王子が玉座を空位たらしめて、遂に王位の継承者なきに至ることを恐れて、あらゆる肉感的歓楽を以てその心を転ぜしめんことを計ったが一切は徒労に属したのであった。


 太子の偉大なる理性は次第に自の命運に向かって自覚し来った。一夜宮苑に於いて、最高頂の機は熟した。アーノルド詞宗はその「亜細亜の光」に於いて、麗しくその大決意と大遁世とを頌述した、人生の目的は如何にその胸底に明白となったか、苦の生死輪より解脱することの必要と、その消息を人類に伝ふる必要とは、如何に深く感ぜられしかを詳叙した。この決意を以て太子は玉座と財富とを捨て、その熟眠せる愛妃と愛児とに最後の一瞥を与えて、闇夜に乗じて三界無家の遊行者として、世界の為に救脱の道を見出すべく出で去った。斯くて多年幾多の仙人、行者に就き、彼等の教える煩はしき解脱法を根気好く研究し且つ実験し、問題の解答を得べく努力した。されど何人も苦の滅尽に導き得るものはなかった。最後に太子は世界の何れの処にも自覚と救脱とを見出し得べき望みなく、自ら内に求むる外に道なきことを悟った。遂に苦行生活も豪奢の生活と同じく無用の長物としてこれを棄てた、而して苦の終りたるべき平和を心内に向って求むべく、独り森林に隠退せられたのであった。

 斯くて太子は菩提樹下に禅観を凝らし、時期至りて、その忍辱的自己完成の生活の最高頂は現前した。生存の本質に関する精神的知見は次第に深く深く徹底した。遂に三十五歳の第五月の満月の日に於いて最終の繋縛は解かれ、最上の正覚位に登られたのである。


 その時来りしものは一大誘惑であった。仏は疑った、斯くも私欲と愚痴とに堅く執着せる世界に向かって、この自内證智の深味を示すは果して何の利益あるか。この疑いの一面には、仏は一切を包含せる観想を有し、「世には心眼の盲塵を蒙らざるものもあらん。彼等は我法に耳を傾くる所あるべし」と信じて、自ら大覚位を得んが為に、曾て人類の愛着せる一切を拠棄したる仏は、涅槃の閾を踏みながら、一切生類にその自内證智を分たんとして、再び現世に還り来つたのである。

 斯くて四十五年の間、仏は、現北印度の全域を縦横無尽に遊履した。仏の周圜には次第に仏教団体が成立し来った。即ち解脱を得る為に世を捨てたる一群の組織団体である。仏はこの人々の多数(六十一人)を印度の各地に向かって派遣した。自己の努力に依る救済の使命を世に伝える為であった。これに応じて幾千(千二百五十人)の人々はその法を聞くべく、遠方より仏前に馳せ参じた終に八十歳に達した時、仏は入滅せられた。その臨終に於いて門下に対して、全く彼等を見捨つるに非ることを説き、「我が汝等に与えたる法は滅後に於ける汝等の師たるべし」と示された。斯くて当時孔子老子は支那に、ピタゴラスは希臘に、各自その分野に於いて、永遠智に関する教理を宣示しつつある時、遊行者たる仏は、過去幾多の生存に於いて、独自無援の努力に依って人類の教王国に於ける至上の地位を獲得し、ここに亦一般の人々がその終極にまで追従し得べき大道を開示したのである。


 斯くて多くの年所を経るに従い、その教法は、教団の同胞に依って獅子洲、金地国、支那、日本、西藏、朝鮮、蒙古、邏羅等の各地に伝播せられた。遂に今日に於いては、全人類の三分の一が、紀元前五百年に於いて、人生苦の終滅に達すべき大道を開示したる大恩教主の記念を繰り返しつつありと算出せらるるに至ったのである。


 精しくは次に列記せる図書の多数が考究して居るから、ここに仏陀のこの方面を詳述することの必要は認めない。唯内部の教説に依れば、釈尊は現劫に於ける仏界の第四の仏である。而して過去久遠時に於いては尚多くの仏が出現したと説くことのみを注意すれば足るのである。次の現劫第五の仏は幾千年の後までは出現しないのである。その時にはアーリア人種はその終期に近づきつつあり、尚世界の表面は遥かに現代と隔異して居るのである。

 この見地よりして見れば、仏陀は彼の永遠智の劃期的権化である。而してその永遠智は、密意に依れば、人間各自の心の中に見出されるべきものである。併し、或は人類を無明の繋縛より導出する為に人生を放棄したる聖者として仏を敬愛するとも、或は人心の内部に住する真理の表徴として仏を尊崇するとも、その何れたるにせよ、祝祭日には世界を通じて無量億千の男女が最寄りの仏堂に群集し、或はその降誕を記念し、或はその成道を記念し、或はその入滅を記念しつつ、そは悉達太子の瞿曇を人の子の最大位に在る一切覚者として信ずるからである。



(高楠順次郎)