< 人間としてのブッダ >
人間としての釈尊を考えるとき、神秘的な神話などが、その伝記の中にあった所以はあり得ないが、然し現今まで伝わっている釈尊の伝記的のものの中から、そういう後世的の神話分子を払い除いて、純粋な伝記を明らかにすることは至難なことで、細かい点では或は不可能であろう。それかというて釈尊に伝記がなかったかとはいえない。事実あったのが神話伝説の霧に掩われているのである。この如き神話伝説に覆われている釈尊の伝記的のものを、教えの方面での現存の阿含経に比較することが出来るであろう。これによって明らかに判るように現存阿含経以前に、釈尊及び弟子の仏教なるものがあって、それが丁度釈尊の真の伝記に比較し得べきものである。故に、現存阿含経は発達変遷を経たものであるという事実が動かせない以上は、その発達変遷した本のものがなければならないのである。これを認めないとすれば、発達変遷したということすら到底いえないことである。人はよく釈尊に帰れというが、かかる点が明かになるのでなくば、一体、どこに帰ることになるのであろうか。しかし、釈尊に帰るということは、他の方からいうても、決して単純簡単にいえることではない。
この如くに論ずると、釈尊は実際歴史的に生存した人で、実在の人であると決定しているのかといわれるかも知れぬ。釈尊が歴史上の実在の人でなく、空想的に創造せられた人であるかの如くに論ぜられたと、一部の人々の間に考えられていたことは否定出来ないかもしれぬ。釈尊の実在性に重きを置かない学者のあったことは事実であるが、然し、実際上、否定した学者があったか、どうかは確実ではない。釈尊の伝説が太陽神話によって色取られているとし、また天文学的神話より成るとした学者も実在性を否定したのではなかったし、後には説を改めたものもある程である。実在の人と見て差し支えないことは阿育王のなしたことを指摘すればよいと思われる。阿育王は釈尊の遺蹟に記念塔を建てた王で、その記念塔は現今も存し、その中には、ここは仏陀釈尊の生まれた土地であるという如き文字も存する。阿育王はセイロンの伝説では仏滅二百十八年に即位したといわれ、シナに伝わったところでは凡て仏滅百余年の王とせられ、その間に百年の相違がある。釈尊が全く架空な人で、インドの仏教徒が創造したとしては、二百年ぐらいでは、それは出来ないことであるし、阿育王の如き一般の人々の承認を得るには至らない。百年ならば猶更である。百年では、今からいえば、ペリーの浦賀に来た頃になり、祖父の若い時か、曾祖父の晩年ぐらいの隔たりに過ぎないから、架空の曾祖父の存在が孫の頃に一般に承認せられるなどとは、人間のこととしては、あり得ない。二百年としたところで、赤穂義士事件よりも三四十年後のことになるから、創造し出すには短すぎる。この外にも、また証拠もあるが、上の一のみでも釈尊の実在であったことには疑を容れる余地はない。
(宇井伯寿)