< 十徳の性格 >
〜 釈 尊 〜
一、唯 一
この世界に稀有なるものであって、唯一無二のものでなければ、宗教的本尊とするに不適当である。
二、純 美
見て少しも汚穢の念を起さしめない上に、無垢清浄純美の念を起さしめる。
三、荘 厳
智慧の光明と慈愛の潤沢とで、萬徳円満に荘厳さられたる方。
四、最 勝
世にありとあらゆる天上天下の存在、即ち総ての人は勿論もろもろの神々より遥かに飛び離れて、最も勝れたる方。
五、救 世
世を導き世を救う力を有せらるる方。
六、寂 光
その真性の不変不動絶対寂静にして平和の光明を有せらるる方。
七、実 在
概念の結晶や、推究の理想ではない。神話的の自在主でもない。実際に歴史的に我等人類に、実績を示されたる実在。
八、普 遍
歴史的に一個実在にてありながら、宇宙間に普遍する智慧の体であらねばならぬ。
九、合 理
実相界中に行なわれる真理と一致して、研智、積徳、進歩、発達、向上の極みに達せられたる実在であって、我等の学び得べき道を有せらるる方。
十、解 脱
根本的に総ての苦痛を消滅して、寂静平和の自由自在楽を受ける方であって、他の総ての者をして、その楽を受けしめんために、解脱の道を示す大意志の発現者である。
(河口慧海)
< 人類の起源 >
神を信ずることは、人間と動物とを区別するもののうちで、なによりも大きなものであるだけでなく、最も完全な区別だとよくいわれてきた。しかし、前にも述べたように、神の信仰が人間の生得的、本能的なものだと主張することはできない。一方、あらゆるものに霊の力があるという信仰は広くゆきわたっているものらしい。この信仰は、人間の理性がかなり進歩し、また、人間が想像したり、好奇心をもったり、驚嘆したりする能力がさらに著しく高められた結果生じたことは、明らかである。
神への信仰が本能的なものだという想定は、多くの人々が神の存在を証明する根拠として考えたことだ、ということを私は知っている。しかし、これは軽率な議論であって、そうだとしたらわれわれは、人間よりほんの少しよけいに力をもつ多くの残忍な悪霊の存在を信じなければならなくなる。なぜならば、そういう悪霊を信ずるほうが慈しみ深い天地創造の神を信ずるよりも、はるかに一般的だからである。宇宙にあまねき慈しみ深い造物主という観念は、人間が長い間陶冶されつづけて向上するまでは、人間の心に湧きおこらなかったであろう。
人間がある下等な生物から進化してきたということを信ずる人は、当然この生物の進化が霊魂不滅の信仰とどんな関連にあるのかと問うだろう。ラボック卿がいっているが、未開人種ははっきりした霊魂不滅の信仰をもっていない。だが、未開人の原始的な信仰からひき出される議論というものは、いまいったように、ほとんど、または全く役にたたないのである。最初はごく小さな胚胞からはじまる個体発生の過程において、正確にどの時点に達したら人間が不滅な存在になるかということは、もちろん決めることはできないが、そうだからといって不安を感ずる人はおそらくいないだろう。また次第に上がってくる生物の階梯、つまり、系統発生の過程において、やはりこれと同じことが決められないからといって心配する必要はないのである。
この本で到達した結論がきわめて涜神的なものだといって非難する人々があることは、私にもわかっている。しかし、これを誹謗する人は、人間は変異と自然淘汰の法則によってある下等な生物から派生したものであるという、一つの種としての人間の起原を説明することが、個体の誕生を普通の生殖の法則で説明することよりも、なぜ神に敬虔でないのかということを明らかにすべきである。種の起原も、個体の誕生も、等しく生命の偉大な流れの一部であって、それを行きあたりばったりの偶然の結果とみることは、われわれの気持ちとしてはできないのである。構造上の小さな異変のいかなるものも、結婚の際の異性との結合も、一つ一つの種子の伝播も、またこれ以外の同じような事件も、すべてある特別の目的をもって神が決めたのだと信ずるか否かにかかわらず、このような結論には理性が反発を感じるのである。
(ダーウィン)
< 道徳と宗教の二つの源泉 >
・・・仏教は人間に解脱をもたらしたが、それは同時に、神々をも解脱を必要とするものと見ていた点である。すなわち仏教では、人間と神々とは、同じ運命に従う同種の存在として扱われている。だがこのことは、われわれが採用している仮定に立てば、わけなく理解されえよう、・・・というのは、人間はその自然本能のうえから、社会をなして生きており、われわれが仮構機能と呼んでおいた自然的機能の働きで自分の周囲へ幻像的存在を投影するわけだが、こうした存在の生きる生は、人間の生より高いものではあっても、ともかくそれに似た生、人間の生に連帯した生だからである。われわれが自然的と見る宗教はそうしたものである。インドの思想家たちのものの見方は、こうした自然宗教的なものだったのだろうか。いな、そういうことはありそうもない。むしろ王城を出離して神秘主義の道へ身を入れた精神の持主がみな何ほどか漠然と抱いていた感じは、自分は人々と神々とを共に背後に残してきたという感じである。まさにそのゆえにこそ、こうした精神にとっては、人々と神々とが一つに見られるのである。
さてインド思想は、この道をどこまで進んだであろうか。言うまでもなく、今問題にしているのは、西欧文明の可能な影響以前、あるいは西欧文明に対する応答の必要による可能な影響を受ける以前の古代インドだけである。つまり、他と交渉を持たずにひとり立ちしていたインドだけである。実際、静的たると動的たるとを問わず、われわれが捉えようとしているのは、起源状態での宗教なのである。第一の静的宗教は、前に見たように、自然の内部にあらかじめ描かれたものだった。今われわれが第二の動的宗教のうちに見るのは、自然の外への跳躍である。そしてわれわれはまず、そこでの躍動力が不充分な場合、ないしは抵抗を受けた場合のその跳躍を考察してみよう。インド人の魂はこの躍動力を、異なった二通りの方法で試みたように思われる。
それら二つの方法の一方は、生理学的、かつ心理学的なものである。その最古の起源は、インド人とペルシア人とに共通な、したがって両者の分離以前に行なわれていたある種の行のうちに見いだされる。すなわちどちらにおいても、「ソーマ」と呼ばれていた陶酔性飲料が用いられた。それは一種の神的陶酔で、ディオニューソスの熱狂者たちが酒に求めた酩酊に比せられるものであった。もっとあとになると、感覚の働きを一時とめ、精神の働きを弛め、最後には類睡眠状態を誘い出すためのさまざまな修行が一つの全体となって現われた。その体系化されたものが、いわゆるヨーガ(瑜伽行)にほかならなぬ。ではこのヨーガは、われわれの解する意味で神秘主義に属するものだったろうか。催眠状態それ自体には、神秘的な要素は少しもない。だがこの状態が神秘的なものになることはできよう。あるいはそこに介入してくる示唆によって、真の神秘主義を少なくとも先ぶれし、準備することはできよう。こうした状態が、知性の批判的機能を停止させて、すでに幻視や忘我の境地を素描しているのであれば、それが神秘的になることは容易であろう。つまりそうした催眠状態という形式は、あらかじめ神秘主義の質料で満たされる態勢におかれていよう。その最終段階で「ヨーガ」にまで組織されるに至った修行は、少なくともその一面に、こうした意義を持っていたに違いない。そこではまだ、神秘主義は素描の状態でしかなかった。だがもっとはっきりした神秘主義、つまり純粋に精神的な集中が、ヨーガをその物質面で利用することはできたはずであり、かくしてまたヨーガを精神化することもできたろう。実際、ヨーガをは、時代により場所によっては、神秘的観照のとった、より通俗的な形態ないしはこれを内に包んだ全体だったように思われる。
そこで残る問題は、この観照自体はどういう性質のものだったか、またこの観照はわれわれの解する意味の神秘主義とどういう関係に立ちうるものだったか、という問題だけとなる。インド人は最古の時代から、存在一般について、自然について、また生について思索を重ねていた。しかもこの努力があれほども長期にわたっているにもかかわらず、ここではギリシアの哲学者に見られるような、無限に発展可能な知識・・・ギリシアの学問はすでにそういうものだった・・・へはついに到達しなかった。その理由は、知識というものが、インド人ではいつも目的というよりは、何ものかの手段と見られていたからである。インド人の関心は、とりわけ苛酷なその生からいかにして脱出しうるかにあった。しかも自殺によって脱出できる見込みはなかった。なぜなら魂は、死後はまた他の身体へ移らねばならず、それは果てしのない生と悩みとのやり直しでしかなかったから。だがバラモン教の初期以来、インド人は諦念によって解脱に達しうると信じていた。この諦念は、自分自身への没入であるとともに、また万有への没入でもあった。仏教はバラモン教の方向を変えはしたが、その本質まで変えたわけではない。仏教のしたことは、何よりもバラモン教をさらに学識的なものにすることだった。仏教以前では、生とはすなわち苦である、という事実が確立されるだけだったが、仏陀は苦悩の原因へまで遡った。仏陀は、この原因が一般に慾のうちにあること、生きようとする渇望のうちにあることに気がついた。かくして解脱の道は、従来よりもはっきり示された。だからバラモン教も仏教も、いなジャイナ教ですらも、ますます勢いを増してひたすら煩悩の断滅を説いたわけである。そうした説教は、ちょっと見には知性への訴えと見られ、それら三つの違いは、ただ知性的性格の高低という程度の違いにすぎぬとも見られよう。しかし、今少し仔細に検討してみると、それら諸教説が植えつけようと目指していた確信は、純然たる知性的状態からはほど遠いものだったことが解る。古代のバラモン教にしてからが、そこで究極の確信が確立されるのは、筋道立てて考えることによったものでもなく、また研究によったのでもなかった。そうした確信の真髄は、『観』にあり、これはそれを体得した人によって伝えられたのである。仏教はバラモン教に比べて一面ではより学問的でありながら、しかも他面では、より神秘的でもある。仏教が魂を向かわせる状態は苦楽の彼岸にあり、意識を越えている。生きている間は慾の、死後は業の断滅たる涅槃に達するには、一連の段階を経ねばならず、また容易ならぬ神秘主義の修練も必要とされる。忘れてならぬことは、仏陀の使命のはじめには、若年のころの證悟があったということである。仏教において言葉に言い表わせる部分は、たしかにそのすべてが一種の哲学と見られよう。しかも、その真髄は決定的な啓示であり、理性と言葉とを越えている。それは、徐々に習得され、そしてついに頓悟された、達すべきところに達したという確信、・・・すなわち、およそ存在するものにあって、名目の限定のあるいっさいのもの、したがってまた本来存在すると言えるものがそれにほかならぬその苦悩は終ったという確信である。われわれがここで論じているものは理論上の見解ではなく、はるかにもっと脱我に類した体験だということを考慮すれば、また創造的躍動力と一つになろうとする努力にあっては、魂のとる道は、上述したような道でもありうること、そして魂がここで躓くとすれば、それは半途で停止して、人間の生は離れながらも神の生には届かず、二つの活動の中間で無の眩暈のうちに宙ぶらりんになっているためでしかないというこのことを考慮すれば、仏教を一個の神秘主義と見ることに躊躇はあるまい。だが、こうした仏教が完全な神秘主義とは言われえぬ理由もまた理解されよう。安全な神秘主義とは、行為であり、創造であり、愛でなくてはなるまい。
もとより、仏教が愛を知らずにいたなどと言おうとするのではない。むしろ反対に、仏教は極度に高揚した言葉で愛(慈悲)を薦めたと言いうる。仏教はその戒律に具体例を添わせもした。だが熱が欠けていた。宗教史家の一人が、仏教は、『全的な、また秘義たる献身』を知らなかった、と言っているのは正しい。われわれはつけ加えて、・・・たぶん結局は同じことになるだろうが・・・仏教は人間行為の効力を信じなかったと言おう。それは人間の行為に信頼をおかなかった。ところが実は、この信頼だけが力となって山をも移しうるのである。完全な神秘主義であれば、そこまで進んだろう。この完全な神秘主義は、インドにも見いだされぬわけではないが、それはもっとずっと後代になってからである。
(ベルクソン)