< 伝承 民主主義 >




 民主主義とは何かということを定義するのは、非常に難しい。しかし、その点をはっきりとつかんでおかないと、大きな食い違いが起こる。民主主義を正しく学び、確実に実行すれば、繁栄と平和とがもたらされる。反対の場合には、人類の将来に戦争と破滅とが待っている。


 民主主義は文字通り生か死かの問題である。平和と幸福とを求める者は、何をおいても、まず民主主義の本質を正しく理解することに努めなければならない。


 多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。しかし、政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義をほんとうに理解することはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。


 民主主義を体得するためにまず学ばなければならないのは、各人が自分自身に人格を尊重し、自らが正しいと考えるところの信念に忠実であるという精神なのである。


 自らの権利を主張するものは、他人の権利を重んじなければならない。自己と自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を払わなければならない。そこから出て来るものは、お互いの理解と好意と信頼であり、すべての人間の平等性の承認である。


 民主主義は、議員を選挙したり、多数決で事を決めたりする政治のやり方よりも、ずっと大きいものである。それは、適用される範囲が非常に広いものであり、したがって、外面に現れたその形は、時により、所によって変化する。しかし、その根本をなしている精神は、いつになっても、どこへ行っても変わることはない。国によって民主主義が違うように思うのは、その外形だけを見ているからである。同じ民主主義の根本精神がしみわたって行けば、どんなに職業や、信仰や、人種が違っていても、人と人との間に、同じ一つの理解と協力の関係が生まれる。単に一国の内部だけでなく、別々のことばを話し、異なる文化を持つ違った民族の間にも、同じように理解と協力の関係がひろまって行く。そうして、だんだんと世界が一つになって行く。対立と搾取と闘争のない、ただ一つの平和な世界が築き上げられていく。

 このように、民主主義の本質は、常に変わることのない根本精神なのである。したがって、民主主義の本質について、中心的な問題となるのは、その外形がどの種類かということではなくて、そこにどの程度の精神が含まれているかということなのである。民主主義は、家庭の中にもあるし、学校にもあるし、工場にもある。社会生活にもあるし、経済生活にもあるし、政治生活にもある。しかし、どこまでそれがほんものの民主主義であるかが問題なのである。


 民主主義の反対は独裁主義である。独裁主義は権威主義ともよばれる。なぜならば、独裁主義の下では、上に立っている者が権威を独占して、下にある人々を思うがままに動かすからである。国王や、独裁者や、支配者たちは、あるいは公然と、あるいは隠れて、事を決し、政策を定め、法律を作る。そうして、一般の人々は、ことのよしあしにかかわらずそれに従う。その場合に、権威を独占している人間は、下の人たちにじょうずにお世辞を言ったり、これをおだてたり、時にはほめたたえたりするであろう。しかしその人たちはどこまでも臣民であり、臣下である。そうして臣下は、その主人の命令に、その気まぐれな意志にさえ、無条件に従わされる。

 だから独裁主義は、専制主義とか、全体主義とか、ファシズムとか、ナチズムとか、そのほかいろいろな形をとって現われるが、その間には根本の共通点がある。それは、権威を持っている人間が、普通一般に人々を軽蔑し、見降ろし、一般人の運命に対して少しも真剣な関心をいだかないという点である。

 専制政治には国王がある。権門政治には門閥がある。金権政治には財閥がある。そういう人々にとっては、一般の者は、ただ服従させておきさえすればよい動物にすぎない。あるいは上に立っている連中の生活を、はなやかな、愉快なものにするための、単なる道具にすぎない。彼らは、こういう考え方を露骨に示すこともある。その気持ちを隠して、体裁だけは四民平等のような顔をしていることもある。しかし結局は同じことである。そこには、ほんとうに人間を尊重するという観念がない。支配者は、自分たちだけは尊重するが、一般人は一段下がった人間としてしか取り扱わない。一般人の方でもまた、自分たちは低い人間であると考え、上からの権威に盲従して怪しまない。

 人間社会の程度が低い時代には、支配者たちはその動機を少しも隠そうとはしなかった。部落の酋長や専制時代の国王は、もっと強大な権力を得、もっと大規模な略奪をしたいという簡単明白な理由から、露骨にかれらの人民たちを酷使したり、戦争にかり立てたりした。ところが、文明が向上し、人知が発達して来るにつれて、専制主義や独裁主義のやり方もだんだんとじょうずになって来る。独裁者たちは、かれらの貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、国家の名誉だの、民族の繁栄だのというよそ行きの着物で飾るほうが、いっそう都合がよいし、効果も上げるということを発見した。帝国の光栄を守るというような美名の下に、人々は服従し、馬車うまのように働き、一命を投げ出して戦った。しかし、それはいったいなんのためだったろう。かれらは、独裁者たちの野望にあやつられているとは知らないで、そうすることが義務だと考え、そうして死んでいったのである。

 現にそういうふうにして日本も無謀きわまる戦争を始め、その戦争は最も悲惨な敗北に終わり、国民のすべてが独裁政治によってもたらされた塗炭の苦しみを骨身にしみて味わった。これからの日本では、そういうことは二度と再び起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化されたはずの今後の日本にも、いつ、どこから忍びこんで来るかわからないのである。独裁主義を利用しようとする者は、今度はまたやり方を変えて、もっとじょうずになるだろう。今度は、だれもが反対できない民主主義という一番美しい名前を借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。


 民主主義は、「国民のための政治」であるが、何が、「国民にための政治」であるかを自分で判断できないようでは民主国家の国民とはいわれない。国民ひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めて行く。もちろん、みんなの意見が一致することは、なかなか望めないから、その場合には多数決の意見に従う。国民はみんな忙しい仕事を持っているから、自分たちがこれはと思う人を代表者に選んで、その代表者に政治をやらせる。しかし、あくまでも他人任せではなく、自分たちの信念が政治の上に反映するように努める。そうすれば、ボスも、独裁者もはいりこむすきはない。

 だから、民主主義は独裁主義の正反対であるが、しかし、民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。それは被治者の承認による政治である。そこでは、すべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的に行なわれる。政治の上では、万事の調子が、「なんじ臣民」から「われら国民」に変わる。国民は、自由に選ばれた代表者を通して、国民自らを支配する。国民の代表者は、国民の主人ではなくて、その公僕である。国民の意志によって作られた法律は、国民自らの生活を規律すると同時に、国民の代表たちによって行なわれる政治そのものを規律する。それが、政治の面に現れた民主主義にほかならない。


 ルソーは、純粋民主主義(国民の直接の投票)の熱心な主張者であったが、国民が奴隷根性になって、権力者へへつらったり、その弾圧を恐れたりして、権力者の言うことを無批判な全員一致で迎えるようになることは、最も戒むべき民主主義の堕落であると説いている。


 政治の権威は国民にある。言い換えると、政治の方針の最後の決定者は、国民でなければならない。


 リンカーンは、「民主主義は、国民の、国民による、国民のための政治」であると言った。


 一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果は必ず独裁主義になるし、独裁主義になると戦争になりやすい。だから、”国民のための政治”を実現するためのただ一つの確実な道は、政治を”国民の政治”たらしめ、”国民による政治”を行なうことである。政治が国民のものとなるならば、国民は、それを、各人の権利を守りその生活程度を高める方法として用いるであろう。国民が、国民のためにならない政治をだまって見ているということは、道理としてあり得ないはずである。


 独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言い訳はいくらでもできる。もう少しの辛抱だ。もう五年、いや、もう十年がまんすれば、万事うまく行く、などと言う。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。その間にも、独裁者たちの権力欲は際限もなくひろがって行く。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならない、とか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んで行った。

 つまり、全体主義は、国家が栄えるにつれて国民が栄えるという。そうして、戦争という大ばくちを打って、元も子もなくしてしまう。

 これに反して、民主主義は、国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方の上に立つ。民主主義は、決して個人を無視したり、軽んじたりしない。それは、個人の価値と尊厳とに対する深い尊敬をその根本としている。すべての個人が、その持っている最もよいものを、のびのびと発展させる平等の機会を与えられるにつれて、国民の全体としての知識も道徳も高まり、経済も盛んになり、その結果として必ず国家も栄える。つまるところ、国家の繁栄は主として国民の人間としての強さと高さとによってもたらされるのである。


 民主主義は、国民を個人として尊重する。したがって民主主義は、社会の秩序および公共の福祉と両立する限り個人にできるだけ多くの自由を認める。各人が生活を経営し、幸福を築き上げて行くことは、他人に譲り渡すことの出来ない自然の権利であるとみる。


 民主主義は、ひろく個人の自由を認めるが、それをかって気ままと混同するのは、たいへんなまちがいである。事実、民主主義は、他人の権利を害しない限り、個人が自分の好きなように幸福を求めることを認め、それを奨励する。私どもは、自分の思うところに従って、宗教を信じ、政党を選び、ものを書き、また、語る。けれども、私どもは、自分がそういう自由を、喜びをもって受ければ受けるほど、絶えず私どもの隣人の、ひろくはすべての国民の、同様の自由と権利とを尊重しなければならないと思うであろう。大きな自由が与えられれば与えられるだけ、それだけ、その自由を活用して、世の中のために役立つような働きをする大きな責任があるというのが、民主主義の根本の考え方である。自分に与えられた自由を、社会公共の福祉のために最もよく活用するという心構えがなければ、いかなる自由も、豚に与えた真珠にすぎない。


 民主主義が重んずる自由の中でも、とりわけ重要な意味を持つものは、言論の自由である。事実に基づかない判断ほど危険なものはないということは、日本人が最近不幸な戦争中いやというほど経験したところである。ゆえに、新聞は事実を書き、ラジオは事実を伝える責任がある。国民は、これらの事実に基づいて、各自に良心的な判断を下し、その意見を自由に交換する。それによって、批判的に物事を見る目が養われ、政治上の識見を高める訓練が与えられる。正確な事実について活発に議論を戦わせ、多数決によって意見の帰一点を求め、経験を生かして判断のまちがいを正して行く。ことわざにも、「三人寄れば文殊の知恵」という。まして高い教養を持った国民のすべてが、自由な言論を基礎として共同の真理を発見するために不断の協力を続けて行くならば、物事の正しい道筋を見出すことのできないはずはない。かように、国民によって見出された物事の正しい道筋こそ、政治の舵を取って行く国民生活の羅針盤である。

 これに反して、独裁主義は、独裁者にとって都合のよいことだけを宣伝するために、国民の目や耳から事実を覆い隠すことに努める。正確な事実を伝える報道は、統制され、差し押さえられる。そうして、独裁者の気に入るような意見以外は、あらゆる言論が封ぜられる。たとえば馬車うまを見るがよい。御者は馬が右や左を見ることができないように、目隠しをつける。そうして御者の思う通りに走らなければ、容赦なく鞭を加える。馬ならば、それでもよい。それが人間だったらどうだろう。自分の意志と自分の判断とで人生の行路を切り開いて行くことのできないところには、民主主義の栄えるはずはない。


 自由と並んで民主主義が最も大切にするのは、人間の平等である。民主主義は、すべての国民を個人として尊重する。すべての個人が尊厳なものとして取り扱われる以上、その間に最初から差別を設けるということは、あくまでも排斥されなければならない。民主主義が発達するまでは、人間の世の中には生まれながら上下の差別があった。そこでは、あの人は貴族だから、名門の出だからといって敬われる。どんなにすぐれた人物でも、生まれが卑しければ、一生下積みの境遇に甘んぜざるを得ない。そんな不公平なことがあろうか。どんな生まれであろうと、人間の生命の重んぜられるべきことに変わりはなく、人格の尊ぶべきことに隔てはない。人間の値打ちは、身分や門地で決まるものではないのである。だから、ほんとうの民主主義の世の中になれば、門閥というものはなくなる。人種や身分や財産による差別もなくなる。すべての人間が、同じ人間として、知識を磨き、能力を伸ばす同じ機会を与えられるというのは、民主主義の高貴な理想である。

 しかし、すべての人間を平等に取り扱うということは、ただ単に理想として正しいだけではない。その方が、はるかに社会生活の実益にもかなうのである。なぜならば、だれにでもその才能を伸ばす平等な機会が与えられれば、それによって、知識や人物の豊富な鉱脈が掘り出されることになり、そのために国民全体が、経済的にも文化的にも富むようになる。シェークスピアは、貧しい肉屋と、自分の名前も書けないような女との間の子どもとして生まれた。シューベルトの父親は百姓であり、母親は嫁に来るまで女中だった。大科学者のファラディは納屋で生れた。父は病身の鍛冶屋であり、母は一介の勤労女性であった。これらの人たちは、まだ民主主義の発達しない時代に生れて、それぞれの天才を発揮した。まして、すべての人々に平等に学ぶ機会が与えられれば、国民の中からどれだけ多くの人材が掘り出されることだろう。今まで多くは低い教育しか授けられなかった女性の中からも、キューリー夫人のような人がだんだんと出て来るであろう。世の中はそれだけ明るく、国民の生活はそれだけ高くなって行くのだ。


 人間の平等とは、かように、すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を与えることである。その機会をどれだけ活用して、各人の才能をどこまで向上させ、発揮させて行くかは、人々それぞれの努力と、持って生まれた天分とによって大きく左右される。その結果として、人々の才能と実力とに応じた社会的地位の相違ができる。それは当然のことである。だから、民主主義は人間の平等を重んずるからといって、人々が社会的に全く同じ待遇を受けるのだと思ったら、大きな間違いである。優れた才能を持つ人、学識経験の豊かな人と、無為無能で、しかも怠惰な人物とが、全く同じに待遇されるというようなことでは、正しい世の中でもなんでもない。それは、いわゆる悪平等以外の何ものでもない。公正な社会では、徳望の高い人は、世人に推されて重要な位置につき、悪心にそそのかされて国法を破った者は、裁判を受けて処罰される。


 民主主義は、決して単なる政治上の制度ではなくて、あらゆる人間生活の中にしみこんで行かなければならないところの、一つの精神なのである。それは、人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んずる気持であり、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。この精神が人の心に広くしみわたっているところ、そこに民主主義がある。社会も民主化され、教育も民主化され、経済も民主化される。逆に、この精神に欠けているならば、いかに賑やかに選挙が行われ、政党がビラをまき、議会政治の形が整っても、それだけで民主主義が十分に実現されたということはできない。だから、ほんとうの民主主義は、宮殿や議会の建物の中で作られるものではない。もしもそれが作られるものであるとするならば、民主主義は人々の心の中で作られる。それを求め、それを愛し、それを生活の中に実現して行こうとする人々の胸の中にこそ、民主主義の本当の棲家である。


 政治上の制度の上だけでは、民主主義は決して完成され得ないことを知るために、政治と経済との関係を考えてみよう。

 公明な政治が行われるために、正確な事実の報道と、それに基づく自由な言論とが何よりも大切であることは、前に述べた通りである。しかし、それだけでは足りない。それと並んでぜひとも備わらなければならない条件は、国民の経済生活の向上である。国民の大多数が窮乏のどん底にあって、その日その日のパンに追われているようでは、人間として必要な教養を積むこともできないし、政治上の識見を高める余裕もない。そういう状態で民主政治の栄えるはずのないことは、誰の目にも明らかである。少数の金持ちは、そこを利用して報道機関を買収し、ありもしない世論をあるように宣伝して、金権政治を行おうとするであろう。逆にまた、民衆のためを図ると称して、実は少数の支配者の手に権力を握ろうとする者は、生活に喘ぐ大勢の国民を扇動して、政治の方向を思うつぼに引っ張りこもうとするであろう。だから、経済上の機会を均等にし、国民の生活を高めるための経済上の民主主義が行われなければ、いかに選挙で代表者を決め、いかに議会で法律を作っても、健全な民主政治は育たない。


 経済上の民主主義についてと同様のことが、社会生活における民主主義や教育における民主主義についてもいわれなければならない。しかし、それらの詳しい点は、これから先のいろいろな章でだんだんと説明して行くこととしよう。ここでは、民主主義が政治的組織よりもはるかに幅の広いものであること、あらゆる民主主義の根底が、同胞に対する人間の精神的な態度にあることがわかれば、それで十分である。


 今や日本は、新しい憲法を持っている。この憲法は、確かに立派な憲法である。しかし、どんなに立派な憲法ができても、それがどのように荘厳に公布されても、それだけで民主主義がひとりでに動き出すものではない。どのような憲法も、法律も、政府の組織も、それだけで真の民主主義をもたらしたためしはない。民主主義は、広く国民に行きわたった良識と、それに導かれた友愛・協力の精神と、額に汗する勤勉・努力によって自らの生活を高く築き上げて行こうとする強い決意とから、そうして、ただそれのみから生まれて来るのである。




(昭和23年 尾高朝雄)