< 奇妙な演説 >


〜 ディドロ 〜






「裁判官のみなさま。どうかあたしが考えていることを少し申し述べさせてくださいませ。あたしは不しあわせな貧しい娘です。弁護士さんを呼んで弁護してもらうだけのお金をもっていません。ですから、みなさまを長時間おひきとめしたりはいたしません。みなさまは、これから判決をお申しわたしになりますが、あたしはそのなかで、法律に手加減を加えていただけるだろうなどと期待しているわけではございません。あたしが望んでおりますことは、ただみなさまが政府のお慈悲に訴えてくださり、あたしの罰金が勘弁してもらえるようにはからってくださることだけなのです。


 あたしが同じ罪名でみなさまのまえに出頭いたしますのも、これで五度になります。そのうち二度は重い罰金を払いました。あとの二度は罰金が払えなかったので、人まえで恥ずかしい鞭打ちの刑をうけました。あたしがうけた刑は、きっと法律できめられたとおりに実行されたのでしょうから、あたしもそれをとやかく申しあげるつもりはありません。ただ世の中には、法律が正しくないことも時たまあります。そんな時は、みなで法律を廃止します。また、法律がきびしすぎることもあります。そんな場合、議会はそれを実行しないですますこともできます。あたしが思っていることを言わせていただければ、あたしを罰する法律は、法律そのものとしても正しくありませんし、それと同時に、あたしにたいしてきびしすぎます。あたしは、自分が住んでいる土地で、今まで誰にも失礼なことをしておりません。もしあたしを憎んでいる人がどこかにいるなら、その人たちにこう言ってやりましょう。このあたしが、男にでも、女にでも、子どもにでも、今までほんの少しでも悪いことをしたと証明できるものなら証明してごらんなさい、と。


 今ほんのしばらく、法律があることを忘れさせてください。そうすると、あたしの罪と言われているものがいったい何を意味するのか、あたしにはわからなくなります。あたしは、命を失う危険を冒して五人の子を生みました。この子たちをみな自分のお乳で養い、自分で働いて育てました。あたしは罰金を払ったために子どもを育てるたくわえをなくしてしまったのですが、もしそんなことさえなければ、もっともっとあの子たちにつくしてやれたでしょう。


 今なお人口の不足を嘆いている新しい国土で、陛下の臣民の数をふやすことがいったい罪なのでしょうか。あたしは人妻の手から夫を奪ったこともなければ、また青年を誘惑したこともありません。一度としてこういう不義を犯したという罪名で訴えられたことはありません。もし誰かがあたしに不服があるとすれば、それはきっと牧師さんにちがいありません。あたしは今まで一度も牧師さんに結婚税を納めたことがないのですから。でも、そんなことがあたしの責任でしょうか。


 裁判官のみなさま、あたしはみなさまに訴えます。あなたがたは、あたしだって常識ぐらいはもっていると考えてくださるでしょう。常識さえあれば、あたしが今まで生きてきた恥ずかしい職業より、名誉ある妻の座のほうがいいと思うのは当然ではありませんか。そうです、あたしは今までずっと結婚したかったのです。今でも結婚したいのです。あたしは誰はばかることなく、こう言うことができます。もしあたしが結婚さえできれば、子どもをたくさん生む能力以外に、人妻にふさわしい行儀、家事をさばく腕、家計をきりもりする才覚などを身につけるつもりです、と。


 あたしに向かって、あの女は妻の座につくことをこばんだのだ、と言える人がいるなら、誰でも出てきてごらんなさい。あたしは、結婚しようとはじめて申しこまれた時、そしてあたしが結婚を申しこまれたのはこの時一回かぎりでしたが、すぐに承諾しました。あたしはその頃、まだ男を知りませんでした。なんと愚かなことをしたものでしょう。あたしは、名誉心のひとかけらももちあわせていない男に、女の名誉をささげてしまったのです。この男はあたしの最初の子どもの父親になりましたが、すぐにあたしを捨てました。


 この男は、みなさまがひとり残らずご存じの人間です。この男は、みなさまと同じように今は裁判官になり、みなさまの横に座っています。あたしはこんなことを心のなかで待ち望んでいました。あの人はきっと今日、法廷に出てくるだろう、あたしがこんな不幸な目にあっているのも、もとはと言えばあの人のせいなのだから、きっとあたしのためにみなさまのお慈悲に訴えてくれるだろう、と。もしそうしてくれさえすれば、あたしはふたりの間にあったことをもう一度ここでさらけだして、この人が顔を赤らめるような目にあわせたりはしなかったでしょう。あたしが今日、法律の不正に不服を申したてることはまちがいでしょうか。政府はあたしのたび重なる不幸を鞭と恥辱で罰しました。それなのにこの同じ政府が、あたしの堕落の第一の原因であるあたしの誘惑者を権力と栄誉の座にひきあげているのです。


 おまえは宗教の掟を破ったのだ、とみなさまは反論なさるかもしれません。もしあたしが傷つけたのが神様なら、そのことであたしを罰する役目は神様にまかせてください。みなさまは、もうとっくの昔にあたしをキリスト教会の仲間から追放なさいました。これでもまだたりないのでしょうか。みなさまはこう考えていらっしゃいます。あまえがあの世に行けば、そこでは地獄の責苦が待ちかまえているんだ、と。この責苦の上に、なぜ罰金と鞭の責苦まで加えようとなさるのですか。裁判官のみなさま、こんな理屈を申しあげたことをお許しください。あたしは神学のことなど少しもわかりません。でも、あたしはかわいい子どもをこの世に生みおとしたことがたいへんな罪になるなどとは、とても信じられないのです。なぜなら神様は、この子たちに、いつまでも不滅で、神様をあがめる魂をお授けになったのですから。


 もしみなさまが法律をつくって人間の生まれつきの行為を矯正したり、その行為を罪にしたりするおつもりなら、どうかそういう法律は独身の男をとりしまるためにおつくりください。今では独身の男の数は日ごとにふえてきています。この連中が健全な家庭のなかにまで誘惑の手をのばし、恥辱の種をもちこんでいます。昔あたしにしたように、娘たちをうまくだまし、あげくのはては恥ずかしい境遇につきおとします。いったいこんな目にあわされると、娘たちは今のあたしと同じように、世間の人のつまはじきとさげすみの目にとりかこまれてしか生きていけません。こんな独身の男こそ、世な中の秩序を乱すものです。これこそ、あたしの罪にもまして法律の処罰に値する犯罪なのです」





 この奇妙な演説は、彼女が予想していたとおりの効果を生みました。裁判官たちは彼女から罰金を免除してやったばかりか、罰金に代わるべき体刑も容赦してやりました。彼女を昔誘惑した男は、その後彼女の身にどういうことがおこったかを知って、自分のはじめのふるまいをひどく後悔しました。そして、なんとか償いをしたいと思いました。二日後にこの男は彼女と結婚し、五年前に自分が売春婦にまで転落させた女を、貞淑な妻にしたのです。