

< 神 と 佛 >
〜 God と 佛陀 〜

< God >
" There is but one only living and true God, who is infinite in being and perfection, a most pure spirit, invisible, without body,parts, or passions, immutable, immense, eternal, incomprehensible, almighty, most wise, most holy, most free, most absolute,working all things according to the counsel of his own immutable and most righteous will, for his own glory; most loving, gracious,merciful, long-suffering, abundant in goodness and truth, forgiving iniquity, transgression, and sin; the rewarder of them thatdiligently seek him; and withal most just and terrible in his judgments, hating all sin; and who will by no means clear the guilty."
〜 Westminster Confession of Faith 〜
< 佛 陀 >
優浪尼沙土時代に於いて、一時、神を原理的実在としたことはあるけれども、印度の正統思想は、前後を通じて有神思想であり、多神教的思想であったことは云ふ迄もなく、今日、阿含尼柯耶に反映しているところから見ても、当時いかに多くの神々が、地界天界に住むと考えられていたかを想察することは決して困難ではないのである。 釈尊および釈尊の後継者が、この天部の説を採用せられたことは、阿含尼柯耶の記録に依って明らかなことであるが、その採用の態度がいかなるものであったか、態度に入って調べて見ると、実は却って神々の否定にあったことを知ることが出来るのである。 釈尊当時、民間に於いて最も広く信奉され、従って又最も多く仏教の原始経典に反映したものは梵天であるから、茲に梵天に就いて少しく調べて見ようと思ふ。 この梵天のことに就いては、既に宇井博士の周到な研究が発表せられて居るが、梵天は印度正統婆羅門の信仰の主神であり、一般民衆に広く信奉された神であり、六師外道や順世派は真向からその存在を否定し、佛教は正面から否定せずに、その信仰に依って、人々を誘引し、人々を神々以上の世界に引き上げようとしたものである。
現存の阿含尼柯耶は悉くこれを釈尊に帰する訳には行かないものであるが、又全く直接に釈尊に関係するところのないものだと云うこともできない。 それと同じように、阿含尼柯耶に含まれている梵天に関する資料も、全部釈尊から出たものとすることが出来ないと共に、又全部釈尊の関知せられないものとすることも出来ないものである。 経典として纏められた形では釈尊に関係ないものでも、その形になるまでの資料に中には、釈尊に関係のあるものも多いに相違ないと思われる。 私は次に挙げる如き形の資料はこれを釈尊に附し得るものであると思う。
一、梵天の存在問題は、そっとその儘にして置いて、その梵天に生れる修行を精神化内面化したもの。 これは梵天人生に就いては、第一に念誦とか、常供食とか、或は血なまぐさい供養があり、又四無量心の修行があるが、この四無量心の修行は、佛教の道の精神に契ふものであるから、この四無量心の修習を、梵天上生という一つの方便に結びつけて勤めるということは、暫定的に差支えないことであり、これから佛教の精神を体得することが出来るのであるから、梵天ありと信ずるものには信ぜしめて置いて、この四無量心の修習をすすめたものである。
二、釈尊に対して、直接に、梵天は存在するものか、存在するとせば、此の世に下降するものであるかと尋ねたものも実際にあったに相違ないから、これに対する答えとして、若し存在するとせば、無恚にして清浄なるものと云われたもの。 これも梵天の存在非存在には触れないで、存在するとせば清浄にして無恚であり、一切を制する主であるというのである。
三、又梵天信仰を持つものの誤った考えを破るために、その信仰を挙げて置いて、梵天が最上の神であり、その世界が常住であると考えるが、実はそうではない。 梵天そのものが、それよりも上の光音天から下降したものであって、変化するものであるといふ。 一応その存在を許して置いて、その無常を示したものもあったであろう。 梵動経の六十二見中の第五見に、一分常住論を挙げたのなども、この意を示すものと見ることが出来る。
四、それから、上に挙げた三種の態度は、梵天の存在を肯定したものではないから、若しその人が進み得るならば、梵天を超えて、真の佛教的涅槃に進ましめたいのであるから、梵天帝釈のいかなる世界にも心を動かさず、願わず、涅槃を求める、といふ教説は必ずあったに相違ない。有名な魔訶那摩に対しての教の如きそれである。
五、それから、更に、若し執拗に梵天信仰を主張し、その信仰から他を批評し、他の思想を否定せんとする所謂正統派の婆羅門に対しては、時としてその立場を失はしめんがために、語を強めて、梵天の存在の証明出来ないことを云われたであろう。 これは長尼柯耶長阿含に含まれている資料の示すものである。
以上の五つの形の資料は、現存の阿含尼柯耶に中に保存せられているものであるが、これ等は、釈尊に直接関係あるものと考えて一向に差支えないものと思う。 それは一言にして言えば、梵天の存在の否定を含みつつ、その信仰を善用せんとしたものである。
この釈尊の態度からして進み得る道が二つある。@は梵天の否定を強調するように行く道と、Aは梵天を存在するものとして行こうとする道である。 釈尊の継承者は後者の道をとり、その三界説に於いて、梵天の存在を確保せしめたことは人の善く知るところである。 即ち三界説に於いて、色界の十六天乃至十八天中、既に三十三天があれば、それは帝釈が実在の神として考えられたことを示し、他化自在天があれば、魔王の存在は考えられ、梵衆、梵輔、大梵天があれば、梵天は実在するものとして考えられた訳である。 これらの神々を実在者とすることは、少なくとも釈尊の真意に反するものであるが、然し表面上は、釈尊が神々の存在を否定せられない限り、佛教の教理に矛盾するものではなく、佛滅後の弟子達は、第一に証悟の段階を実在的に細かに分けて見て行く必要上、第二に輪廻の世界を、これも実在的に見て行く必要上、その他の理由に依って、当時の知識や信仰を集めて、この三界の組み立てをしたものである。 このために神々の数が非常に多数になっているが、この神々の中に佛教者の創造した神があるかと云うに、さうではなく、総べて当時考えられ信ぜられていた神々の中から集めて来て組み立てたものであろう。 何故なれば少なくとも釈尊の真意は、その遺弟達には十分に了解せられていたと信ぜられるからである。
それで梵天始め、いろいろの神々は、このやうにしてその実在性を佛教界に得たものであるが、佛教内に於いて、神々が実在するという意味は、今云ふやうに、その神々を進ぜんがためではなくて、第一には、功徳の果報として考えられ、第二には、佛教の法が正法なるが故に、その法を悟られたのが佛陀であるが故に、真理に服従する意味で、神々は佛陀に仕え、正法を護持するものと考えられたのである。 この第一の功徳の報果と云う方面は、四無量心を修すれば梵天界に生まれるとなすものが、皆その色彩を有するのであるが、又別して護卑が女でありながら三十三天に生れたに拘らず、他の人々は同じく道を修めながら、健闥婆に生れただけであるとするのに依って、はっきり知る事が出来る。 後者の佛陀に事へ正法を護持するものとしての方は、最も多いのであって、梵天で云うと、その説法勧請から佛滅の時の挽歌に至る迄、皆この意趣を持つものである。 佛と法に関する讃歌も、もとよりこの種に属するものであり、この点では悪魔の妨害と相対比するものである。 この形式のものはすべて梵天の出現、従ってその実在が表向きに云われているものであることは云う迄もない。 かくの如く梵天初め多くの神々は、佛陀に供奉し、正法の守護をなすものであって、この意味に於いて、佛陀以下のものであることは明かになっているが、更にもっと強く梵天すらも佛陀以下のものであり、従って佛陀に事へねばならぬ地位のものであり、その果報も佛教の最後のものでないことを顕すのが、梵天の邪見をしめす経典である。
これを要約して云えば、佛滅後の弟子達は、釈尊の表面的ならざる否定を承けて、神々の存在を肯定し、その神々を佛陀の会下に参ぜしめ、佛教をして、当時の一般信仰宗教の上にあらしめんとしたのである。 この釈尊及び釈尊の後継者の神観が、現存阿含尼柯耶の中に混在しているのである。
それ故に釈尊の後継者は、神々の実在を許したとは云へ、その神々が絶対者に非ず、常住者に非ざるを説いて、その神格を奪い去ったものと見ることも出来る。 神格を奪われた神は神でないから、神の否定にもなる訳である。 かくて仏陀の宗教は、「個人の犯すべからざる神聖」を主張するものであり、人間以外に、法以外に、別に神聖を仮定しないものである。 「仏陀の要諦」の著者が云うように、実際、究極すれば、宗教の目的は、実に神ではなくして人生、豊かな大いなる、満足の多い人生であろう。 人間は愚かにして、長い間、自分を苦悩と死から救うために、神と霊魂に願った。 然も、それが人間の慰めであったと共に、又人生の破壊でもあった。 釈尊はこれらの、想像を許さず理性と一致せず、冷静な考察の光に堪え得ない教権を退けた。 人間は飽くまで銘々の建築家でなくてはならず、救済者でなくてはならない。 没批判的な盲目的意向を退け、いかなる外の権威にも信頼せず、自己の正しい精神、正しい努力に依って、生活の中から生まれ出て来る指導原理たる法に、自己の生活を合致さしむるやう教えられた。 釈尊がその入涅槃の直前に教えられたという、「自帰依自燈明、法帰依法燈明」及び、「僧伽は我れに何を待つか、我れは僧伽を率い、僧伽は如来に頼るとは思わない」といふ語は、軽率に取り扱ってはならないものである。
〜 赤沼智善「原始佛教之研究」より 〜