< 仏陀の道徳観 >




 宗教生活はその本質上、必ずしも道徳的生活の範囲と一致すると定まっているものではない。蓋し、道徳的生活は人と人との関係の上に成立するけれども、宗教的生活は人と絶対との関係の上に成立するからである。これ即ち古代宗教中には動もすれば、非道徳的要素を含むばかりではなく、今日にありてもある種の宗教信者中には、往々道徳上非議すべき行為を演じて敢て信仰に戻らずと考える者のある所以である。

 併し、翻って考えるに、道徳は人と人とを結びつける最高の連鎖であるという事より類推しても、人と絶対とを結びつける主なる連鎖もまた道徳的行為であらねばならぬとは、容易に考えられるべき点である。何故ならば人類の活動を見るに、彼等は自己と絶対との関係を想定するに少なくも表象の形式では、矢張り人と人との関係の規定を類推して適用した事は、種々の事例が吾等に告ぐる処であるからである。例えば古代に於いて、神に人を犠牲として供え、最も敬虔なる行為と見做した如きは、一見人間相互間の規定としては寧ろ排斥すべき儀礼のようではあるけれども、彼等の精神を推せば、究り吾人は自己の尊敬し若しくは何等かを要求する人に対して最も得難き、珍しき従いて値の高きものを贈呈して自己の誠意を表示する所より人間以上の神、特に軍神の如き荒神には更に貴き珍品を要すと言う処から、遂に人間を犠牲にして捧げると言うが如き極端に走ったものに外ならぬ。まして正義、仁義、信実というが如き道徳的行為は最も安全に、而も普遍的に人の好意を得て、これを己に結び付かしむる方法であるから、道徳的意識の発達に伴って、それは宗教的生活の要求として最も大切なる地位を占めるに到るも、また自然の数と言わねばならぬ。且つこれを宗教に本質に照らして考えうるも、上述の如く宗教は人と絶対との関係より成立するが、その関係たるや、要するに人がその我欲的執見を去りて絶対の意志に服従する処にその奥儀が存する。従って宗教の最も深奥に到達する為には少なくとも一度びは、所謂個人意志の否定を要求するものである。

 然るにこの個人意志を否定するには苦行、禅定の如き方法もあるけれども、道徳的生活も確かにその最も有力なる一方法であらねばならぬ。蓋し道徳の起原はたとえ、自利的動機から起こったとしても、少なくもその当面に於いては常に自己犠牲即ち、他の利益の為には自己の利益を何程か犠牲に供すると言うことが、道徳的行為の必要条件であるからである。即ち道徳的に安全である為の自己犠牲は、宗教的にはやがて絶対意志に服従する為の条件としての意志否定の一方法となるのである。道徳意識の発展と宗教意識の発展と相伴うに従って、遂に道徳は宗教生活に欠くべからざる一條件となった原因は、主としてこの点にあるのである。加えるにこれを道徳的方面から言っても、道徳は人と人との間の関係の規定であるとしても決して民約的に定まったものではなく、概ね社会の状勢や人類の自然性に基いて謂わば自然に発達したものである。従って人々の間に道徳意識の深まるにつれて、人間本来の要求たる普遍欲と必然欲はその道徳の根底を、単に人と人との関係と言うが如き浅き意味に考えないで、これを矢張り普遍的必然的根拠より導き出そうとする結果はやがて、その根底を宗教と軌を一にする所謂、絶対意志に置くことになるのである。儒教が「天の命を性といい、性に従うを徳という」と解して、道徳の根底を天の命に置いた理由もまたここにあるのである。

 かくして種々の原因事情が複合した結果は高等なる宗教観念と、高等なる道徳観念とは遂に殆ど一致するが如き有様となり、道徳的たることは少なくも宗教的たることに欠くことの出来ぬ条件たると同時に、その道徳的たる為には必ず宗教的であらねばならぬと言う程に、密接の関係を結ぶに至ったのである。これ即ち、最高程度の宗教と称せらるる所謂倫理的宗教を生じた所以で、而してここに到りて宗教も道徳もその尊厳を加えたと共に、特に宗教は世界に対して普遍的有用性を帯びることになった結果として、倫理的宗教はまた普遍的宗教たる主張を有し、且つその資格を有することになるのである。この代表者というべきは実に仏教とキリスト教とである。

 キリスト教の事は論題外であるから論ぜぬとして、仏教に就いて以上を尚詳説する事にしよう。



 仏教以前に於いてすでに印度には立派な宗教や哲学を産出していた。殊にその主なるは古代波羅門教であって、こはその教理に於いても、制度に於いても誠に発達せる立派なものであったのである。併しながら道徳と言う立場からすれば未だ不完全の処があり、仮令、非道徳的ではないにしても、実際上に於いては道徳より寧ろ儀式、制度に重きを置き、理論上よりは直に超道徳的理想に奔りて真に、健全なる道徳的生活を以て宗教生活の必須条件とする迄には、至らなかったのである。勿論、その教理中より断片的に拾い集めれば、奥義書や法経などにも種々の道徳的規定や教訓が沢山にあるけれども、これ等と共にまた不順にして動もすれば非人道的規定も含むので、到底未だ倫理的宗教という点までは進まなかったものである。

 然るに仏教ではその教理を種々の要素に還元すれば矢張り、波羅門の法典などにより来た処が多いけれども、その最も力を尽くした処は凡てを倫理的に浄化して、道徳的生活と宗教的生活とを厳粛に結び付けんとした処にある。而も仏陀はこの話に於いてその批評的見識を最も能く発揮して、苟も道徳的見地よりして不純と思はるる要素は、出来得る限り排斥し、たとえ教化の必要上その原形を残したとしても、少なくもその内容には常に清新なる道徳的意義を盛るを常としたものである。例えば、何の所以なるかを知らずして天地四方を礼拝せる波羅門の子に対してはその六方に各々倫理的意義を与えて有名なる六方礼経の説法を為したがる如き、無暗に水中に入るを浄行と考える者に対しては、寧ろその心を浄めよと教えたるが如き、無意味に火を礼拝する者に対しては、煩悩の心火を滅せよと教えたるが如き一々枚挙に遑がない程である。即ち波羅門教では恰も砂に金を混じたるが如くに、祭式やその他の便宜的教條中に、道徳を説きたるに対して、仏陀はこの砂を漉して金のみを残し、而も仏陀の人格によりて益々純化し、広く豊富にした処に仏陀の一大特色があるのである。勿論ある学者の如くに、仏教特に原始仏教を以て波羅門教中の倫理的運動であると解するのは、仏教の深義を逸した評ではあるけれども、少なくも倫理道徳に重きを置いたのは仏教の一大特色たることは疑うべからざる事実である。



 諸悪莫作 修善奉行


 自浄其意 是諸仏教



 これ即ち七仏通誡の偈と称せらるるもので、あらゆる仏教の徳目は、これを出発点とし且つこの中に攝せらると称せらるるものである。即ちいかなる仏が現われても、先ずその根本教條として諸の悪を止め、緒の善を修し、自らの心を浄うすべしと教えるのであると、仏陀は確信して宣言したものである。蓋し自ら心を浄うするとは所詮、煩悩を断ずることであって、仏陀以前の教えにもあるけれども、特に煩悩の所断に関して止悪修善を行なうことを必要条件としたのは実に、仏陀の特色とする処である。試みにこの偈文と口調に於いて稍々似た奥義書の一句と対照して見よう。ガータカ書六、一五に曰く、


 この世に於いて、胸にある凡ての繋縛、断尽する時、その時、死すべきものは不死となる・・・これ実に梵教の教髄なり。


とあるが、「これ実に梵教の教髄なり」とある口調と、「是れ実に諸仏の教えなり」とある口調との間に能く似た点があるではないか。或いは仏教の方は前者の例にならって作った偈であるかも知れぬと思はしむるものがある。而も仏陀も奥義書と同じく繋縛の断ゆることを理想としながらも、仏陀は奥義書の明言せぬ処の防非修善の意味を特に加えた処がやがて奥義書の超倫理的なるに対して仏教の大に道徳的になった特異点といい得べきであろう。

 かくして奥義書や法典などでは嘗て、解脱道に於ける独立の徳目として防悪修善の事を説いたことのないに反し、仏教には善に進み悪を避け、人を愛し世に同情すること自身を以て直ちに本修行であると教えた法門が甚だ多いのである。例えば彼の三十七助道品中の四正断の如きはその一例である。四正断とは第一を律義断といい、未だ生ぜざる悪を生ぜざらしむること。第二を断々といい已に生ぜし悪を断ずること。第三を随護断といい未だ生ぜざる善を生ぜしめること。第四を修習断といい既に生じたる善を断へざらしむる事である。即ち簡単に言えば悪事をば徹底征服し、善事は益々増進せしむること自身を以て解脱道の大切な一種の徳目としたのである。殊に慈悲博愛は仏陀の最も重じた徳目であって、仏陀自らは一切衆生の慈父として、慈悲の権化であったのはいうまでもなく、所謂慈心解脱ということを高調し、これをあらゆる修徳中に於いて、恰も星に対する月の如しとまで説かれたのである。何れこれ等の事は道徳の内容問題に関連して他日述べる機会があろうと思うが、とにかく仏陀の教は狭く言えば印度の諸教派中、広く言えば世界のあらゆる宗教中に於いて最も人道主義、倫理主義であったということは到底疑うべからざる事実である。

 仏教はその純教理に於いて大小、顕密種々の深遠なる哲理を開展したに関わらず、最も通俗的宗教として世界に行き渉れる所以も、実行教としては最も手近き道徳が主になっていたからであると言わねばならぬ。





 斯く仏教は善に進み悪を避くることを、その宗教生活の重要なる一特徴としたとすれば、次いで起こる問題は然らば仏陀は何を善と言い、何を悪と言ったかということである。即ち善悪の標準を、なにに求めたかと言う問題である。吾人の知れる限り古き記録中には、これに関して明確な定義を挙げた処はないけれども、後に論師達のあげた定義を基礎として、仏陀の精神を推するに、仏陀は大凡之に関して二種の立場を以て臨まれたようである。即ち後の言葉を籍りて言えば、世俗諦と勝義諦とである。世俗諦とは道徳的であることは、畢竟するに最後には利益であるから之を実行せよという教えで、勝義諦とは道徳的であることは利益不利益に関わらず解脱に到るための必須条件であると同時に、また解脱者の自らなる資格の一つであるという教え方である。前者は主として俗人向けの教えで、後者は主として出家向けの教えである。後世の術語では善者による善を有漏善、若しくは有所得善といい、後者による善を無漏善、または無所得善と名づける。

 即ち前者は欲望肯定の上に立つ善事であり、後者は欲望否定の上に立つ善である。従って仏陀の真精神よりすれば、言う迄もなく後者無所得善を主とするけれども、また前者の立場による善事も後の立場に到るの道筋とし、且つ所謂自然法による因果律の規定として、仏陀の大に力を注いで説かれた処である。勿論有漏善といい、無漏善というも形式よりすれば多大の相違がなく、何れも多少に関わらず自己犠牲を要求する点に於いて同一であるけれども、その自己犠牲に対する行為者の動機、心情に就いていうものと心得ねばならぬ。

 そこで先ず有漏善より述べんに、有漏善とは要するに善いことをすれば、善い果報を受け、悪いことをすれば悪い果報を受くると信じて、常に善き果報を受くるように行為することである。逆に言えば善い果報を受ける行為を善といい、悪い果報を受くる行為を悪というのである。即ち全く一種の功利主義的見地に立てる道徳観である。併しながらその善い果報、悪い果報というのは必ずしも現在に限る計算ではなく、現在に於いては犠牲のままに終っても、それは未来に於いて善き果報を受くるような行為であらば善事で、従ってまたたとえ現在に於いては自己の利益となる行為でも、未来に於いて不利の果報を招くが如きものならば悪というのである。唯識論第五巻には次の如く纏めている。



 能為此世他世順益故名為善。


 能於此世他世違損故名不善。



 即ち独り現在ばかりではなく未来に於いても生活を増大し幸福ならしむるが善で、これに反するは悪というのである。仏陀自らが果して斯かる定義を挙げられたか否かは、余の未だ確かめざる処であるけれども、仏陀の説法中には斯かる説き方の非常に多いことは事実である。特に仏陀が教化の材料として用いられた因縁説は、殆ど凡て斯くの如き趣意から成立するもので種々の美徳を行ないしものは、現在か未来かには必ず目出度き果報を受けるものであるというに帰結したものである。蓋し仏陀は多数の俗人を相手とし、而も彼等は功利を外にしては容易に教の真髄に入ることが出来ぬ処から来た説法である。

 併しながらこれを以て直ちにこの因果の教を以て、仏陀の所謂方便であって、事実的妥当性を帯びたものではないと考えてはならぬ。仏陀に従えば善因善果、悪因悪果は言わば一種の自然法で仏陀出づるも、出ざるも異ならざる法則ある。仏陀は唯この法則を利用して、人類を道徳的に導く教化法としたに過ぎぬことを忘れてはならぬ。そこでこの有漏善を説くには、先ず因果のことから説明する必要がある。



 抑々、カントも言った如く、善人には善の酬いがあり、悪人には悪の酬いがあるということは、たとえ実際的妥当性を証明することが出来ぬとしても、吾等の放棄し得べからざる要求である。誠やこの要求がないとすれば差し当たり善を賞し、悪を懲らすという所謂勧善微悪の社会的制度も無用の長物となるに到るであろう。併し実際としては、この要求は現在では決して完全に充たされては居らぬ。義人にして苦み、不義にして栄えるというが如き矛盾現象は不断に絶えざる処である。

 そこで吾等の要求は是非ともどこかで、且つ何時かは両者の一致を見ねば満足することが出来ぬことになる。カントはその妥当の要請という処から霊魂の不死と、これを捌く神の存在を認めねばならぬと言ったが、印度では神の裁判と言うが如き神話的思考より脱して、自らの作せる業が三世に行き渉りて漏らすことなく、たとえこの世に於いて善因善果、悪因悪果の規則が行われぬにしても、過去、現在、未来に渉りて遂にその妥当性を顕わして来ると観察した。即ち三世因果というのはこのことである。


 而もこれは仏陀の初めて説かれたものではなく、已に仏以前に於いて奥義書あたりからあった考であって、究りこの限り仏陀の因果観も要するにその先蹤を継いだものである。ただ仏陀の考の従前のそれと大に異なる処は、従前にありては吾等に一種不動の霊魂というものがあって、それは死ぬると身体を抜け出して生前の業により、彼方、此方を輪廻して適当の果報を受けるというのであったが、仏陀はその考に大に訂正を加えたことである。併しこのことは前項に述べた処であるからここではそれを予想して説明を省略しよう。

 とにかく上の理由に基いて、仏陀に従えば一時の利害に迷いて悪事を敢えてすることは、一時は善いようなれど他日発生すべき悪の種を植え置くのであるから、結局損であることは言う迄もない。これに反し一時の利害に迷う事なく善事を為し置けば、善種を蒔きおくのと同じく結局は利益である。恰も今日努力し置かば後日幸福を招くに反し、今日の怠惰は将来の苦を求むるに等しきものである・・・というのは即ち仏陀の所謂有漏善、または有所得善の教である。この意味に於いてこの方面の道徳観は一種の功利主義而も、過去、現在、未来の三世に渉りて考えられた一種の功利主義の見地に立てるものと言わねばならぬ。

 併しながら翻って考えて見るに、この種の道徳的教義は世俗的には必要なことでも、実は道徳としては甚だ低級な立場にあるものである。蓋し善因善果、悪因悪果を予想して善事を為し、悪事を避けるというのは要するに、一種の勘定的道徳であるからである。仏陀に従えば這は自然法であるというけれども、それだからとてこれを予想して為すことは所詮、我欲的煩悩に基く道徳に過ぎぬ。





 仏陀に従えば吾等の終局の目的とせねばならぬ所は、我慾・我慾を離れたる最高当為としての解脱境である。従ってこの解脱道の真の道徳としては、斯くの如き勘定的道徳であってはならぬ。仏陀が無我という事を強く主張せられたのも、事実問題としては、固定的自我がないということを示す為であったけれども、理想的方面からは要するにそれ故に無我的道徳をやらねばならぬということを示さんが為であったことを忘れてはならぬ。仏陀はその所謂第一義諦の見地からは、斯くの如き俟つあるの道徳を低しとして、ただ世間の善であって未だ真の解脱的道徳ではないと貶せられた所以も実にここにあるのである。真乎の道徳は何等の期することなくただ善なるが故に善を為し、悪なるが故に避けるので、その結果は自己の為に福であろうと禍であろうと問う処ではないという動機から出発したものであらねばならぬ。ただ拠り処とする所は厳密なる法規即ち解脱という標準で、若し大乗的見地に直せば即ち真如法性がその標準になるのである。これ即ち無所得善或いは無漏善と称せらるるものである。この意味に於いて菩薩瓔珞経下には善悪の標準を次ぎの如くに説いている。


 順第一義諦起為善


 背第一義諦起為善


 ここに第一義諦と言うのは即、修行の経過よりすれば、解脱の目標という事で、本体論的に言えば真如法性の義で、究り最高当為の義に応じて行為するのが善で、然らざるは悪という意味である。勿論、厳密なる史料的見地よりすればこの瓔珞経は果たして、仏陀の口説そのままを伝えたものであるか否かに関しては異論があろうけれども、少なくも仏陀の精神を道破したものであるという点だけは疑うことが出来ぬ。何故ならば最も古い記録たる阿含経を通観するに、この精神を到る処に見ることが出来るからである。

 仏陀の説法も救済も凡てただ善法の為にする事で、名聞も利養も果報も敢えて望まない結果が即ち仏教の建立となった事を考えて見るならば、実に思い半ばに過ぐるものがある。


 仏、梵志に告ぐ、

「汝等よ、仏は利養の為に説法すと謂うことなからんや、この心を起すこと勿れ、若し利養あらば尽く以て汝等に施さん。我所説の法は微妙第一にして、不善を滅し善法を増益せんが為なり」


 また、梵志に告ぐ、

「仏は名のために、尊重のための故に、導首たらんが為の故に、眷属を得んが為の故に、大衆を得んが為の故に、説法すと思うなからんや。この心を起すこと勿れ、今汝の眷属は汝に属せしむ。我所説の法は不善を滅し、善法を増益せしんが為なり」


 また、梵志に告ぐ、

「汝等よ。仏は汝を以て不善聚、黒冥聚の中に置くと思うことなからんや。この心を起すこと勿れ。諸の不善聚、黒冥聚は汝ただ捨て去れ。吾れ自ら汝の為に、善浄法を説くのみ」


 又、梵志に告ぐ、

「汝等よ、仏は汝の善聚法、精白聚を黜くと謂うことなからんや。この心を起すこと勿れ。汝はただ善法聚、精白聚の中に於いて精勤修行せよ。吾れは自ら汝の為に、善浄法を説き、不善法を滅し、善法を増益するのみ」


 これ即ち仏陀は外道、尼倶陀梵志と問答し、教戒してその自己の立場を明らかにした宣言である。何等の俟つ処なく、ただ善法の為に公平に、善法を皷揚せられた処、決して善因善果の勘定付きの道徳観よりは表われ能はざる結論ではないか。彼の般若系の大乗仏教に於いて空無所得の道徳を主張して、たとえば物を人に施与するにしても、与える自己も与えらるる者もこれを受くる他人をも認めないで単に、布施の為に布施すべきを教えて而も、これを三論空寂というが如きも、実にこの仏陀の第一義的道徳観から来た結果に外ならぬ。

 この意味に於いて仏陀の道徳観も矢張り、一種の無上命令的見地の上に立っていると云わねばならぬ。仏教道徳の真髄は実にここにあるのであって、彼の善悪禍福の一致を基礎としての勘定的道徳は要するに、ここに到るまでの手引きであるということは呉々も忘れてはならぬ所である。




(木村泰賢)