< 多 神 教 >


〜 タナク 〜




 元初に、神エローは世界を創造した。次にエローとヤーは人類を創造しはじめた。穏やかで優しいエローはヤーに、人間を「自分たちのイメージで」創造しようと提案する。エローにとって、人間は創造の冠、クライマックスとなるものだった。だが、ヤーは人間を「自分たちのひとりに似せる」のに気が進まない。彼は自分自身で実際につくると言い張り、人間を塵からつくる・・・彼は自分の霊を自分が造ったものの中に吹き込んでしまったが。エロ−ははじめから男女の人間をもとめた。ヤーの行動はつねに自分の理解に先行するものだった。彼は最初男だけをつくったが、連れ合いがもとめられていることを次第に悟るようになる。エローは創造の全体の中で人間を自由にして見ようと提案する。ヤーは彼らを園の中に閉じ込め、彼らを無知のままにしておく掟を彼らに科した。


 爬虫類の女神モトは女を誘惑してヤーに不従順にした。すると女は彼女の夫を唆して罪の相棒にする。怒ったヤーはモトを恥ずかしめ、彼女に以後、蛇のように、腹を下にして這いずり回るよう要求したが、彼が彼女に科した罰は彼が男や女に科した罰(耐え難い労働、出産のときの苦しみ、失逝)よりも厳しいものではなかった。彼らは園から追放されたが、彼らが去るとき、ヤーは突然優しくなって、彼自らが彼らのためにつくった革の衣で彼らの裸を覆ってやった。


 ヤーが罰を加えたにもかかわらず、人間の最初のカップルは多産で、人間は増えつづけ、そしてエローが意図したように、大地を満たした。だが彼らの多産がモトを怒らせた。モトは彼女のくねくねした痩身を世界を呑み込むような大洪水にする。生きていたものはすべて(すべての人間と、すべての動物と食物)滅びた。幸運なことに、エローとヤーは、モトの全面的な勝利を否定した。彼女の攻撃がはじまる何日か前、彼らはノアに船を建造し、創造されたすべてのもののそれぞれを少しずつそこに積み込むよう勧告する。モトとの彼らの戦闘は四十日つづくが、彼らの勝利で終わる。エローはモトが洪水で大地を二度と滅ぼさないことを約束する虹が永遠の徴となると宣言する。モト自身はヤーに捧げたノアの献げ物の香りに一時的に和らげられた。


 何世代も経た後、再び人間たちでいっぱいになった世界で、子はなくても一生懸命に働く遊牧民アブラムは、(神的な訪問者)神秘的だが親切なマゲンの訪問を受ける。マゲンはアブラムが父親になるのを助け、子孫たちが強力な部族となる、豊かな土地に彼を案内すると約束する。アブラムはマゲンの指示にしたがい、行けと言われた所に行き、そしてマゲンとの絆の徴として割礼を受ける。マゲンはアブラムの部族の中の結婚と誕生の世話をし、男たちや女たちを助け、飢饉やその他の危機の時には介入し、たとえば、エローを装うモトの試みを見破り、そしてアブラムの息子イサクの犠牲を要求する。マゲンの力は控えめだが、彼の目的は親切そのものだった。アブラムの部族が大きくなり繁栄するのを、彼は静かに見守る。


 やがてアブラムの部族は(今やイスラエルと呼ばれている)エジプトに移り住み、そこにおいて彼らはエジプトたちよりも多くなる。そこでモトはエジプト人の王ファラオの心をイスラエルびとに敵対させるようにする。ファラオは彼らを奴隷にし、生まれてくる男子を殺しはじめる。こうして苦しめられたイスラエルびとの悲嘆の声は、いつしかエローかヤーの耳に達し、彼らは残忍なサブを救出に遣わす。サブは燃え尽きることのない火の形でイスラエルびとのモーゼに顕現し、ファラオに挑戦しろと命令する。その後につづくのはエジプトに対する暴力沙汰。罰が罰の上に積み重ねられて行き、川には毒が流され、土地は荒らされ、その国で生まれた男子の初子は殺される。戦いのクライマックスでは、サブは剣でもってモトの水でできた体を真っ二つに割り、そしてファラオの軍隊はそのまっただ中で溺死する。


 イスラエルは今やファラオへの隷属から自由にされたが、サブに未来永劫に仕えるよう要求される。サブは解放された奴隷たちの群れを、自分のすまいとしていた砂漠の火山に連れて行き、煙と火の中から、彼らが彼に仕える条件を大きな轟き声で告げる。彼らは感謝と恐怖の中でしたがう。ついで彼はアブラムを最初導いた土地に、砂漠を通って、彼らを導く。戦闘的ではないマゲンとは対照的に、サブは彼らにその土地の中央部の住民すべてを滅ぼし尽くすよう命じる。他の神を礼拝する誘惑が彼らにないようにである。


 彼らは最初彼の指図を実行していたが、やがて躓き、そしてその土地の住民たちと付き合いはじめる。彼は彼らに忠実であれば富と力を与えると約束するが、忠実でなければ恐ろしい結果になると警告する。しかし徐々に、彼らは不忠実になっていく。彼らの偉大な王たち、ダビデとソロモンが死ぬと、サブは容赦なく彼らに立ち向かう。彼は怒りの道具としてバビロンとアッシリアを使い、彼らの都エルサレムを破壊し、彼らのために彼が征服してやった土地から彼らを追い出し、彼らを捕囚と隷属へと追いやる。


 エローとヤーとモトとサブは、次に何が起こるかの壮大なビジョンを与えることで互いに競い合う。サブは、イスラエルを罰する道具として使用した民族に行き過ぎがあったので怒り狂い、イスラエルを滅ぼしたように、彼らを滅ぼそうとする。エローは平和の支配する世界の秩序を再建しようとする。そこでは再建された荘厳なエルサレムが全民族のための宗教都市となるであろう。ヤーはサブがイスラエルとの関係で行き過ぎがあったと信じ、民族を慰めようとしたが、彼は、突然、子や妻のように愛することを宣言する。マゲンは苦悩の中にあった。どうしてそのようになってしまったのかは、彼にとって残酷な謎だった。彼はイスラエルを彼のために救おうとヤーに寄りかかる。死にきれてはいないモトは、全世界のスペクタル的な新たな絶滅をもとめるために再登場する。


 大団円では、サブの脅しもモトの脅しのどれも実行されなかった。エローはペルシアの王を説得してユダヤ人の一団がエルサレムに帰還して、エローの名誉のために控えめな神殿を建てるのを許す。全世界がそこで彼を礼拝するという話は話題には上らなくなったが。サブは事実上舞台から姿を消したが、彼が科した律法は神の尊い思いとして再発見され、そして大事にされる。さわやかで、実際的で、確信に満ちたムードは、創造性、知恵、そして技術の女神であるシェラーの短いが印象的な出現によって要約された、イスラエル人の間に現れはじめる。この時点で、控え目であるが真の安定性が形を取りはじめていたので、モトは最後の必死の攻撃をする。ヤーは、相変わらず疑い深く挑発的だが、モトにたいしてヨブ(外面的な遵守でも、ヤーへの献身の内面的な誠実さにおいても模範的な男)について誇る。だがモトはヤーに挑戦する。ヨブはヤーが彼を非常によく扱ったので敬虔だった、と悪の女神は申し立てた。苦しんだヤーは彼に大きな苦痛を与えることでヨブの献身をテストしようとする。予告されたように、ヨブは献身の中で貫く。「ヤーは与え、ヤーは取り給う。ほめたたえよ、ヤーの名は。」ヤーは結果として、モトを破るが、ヨブは、ヤーの僕の濫用におけるモトの役割をあらわにすることによって、ヤーにたいして道徳的な勝利を得る。ヤーはヨブの財産を回復するが、その後には長い沈黙がつづく。神々の誰も二度と口をきかず、エローを除いて誰も二度と見られることがない。彼は唯の一度だけ、白髪の、口もきかない。遠い王座に坐った王として見られる。結局、イスラエルびとは自分たちの生の責任をになうことになる。エローとヤーは依然として敬意を払われるが、彼らの住まいは今や天にあると理解された。地上で彼らに期待されるものはほとんどなかった。サブの律法は編纂されて写されたが、それは今やしっかりと人間の保護のもとに置かれた律法である。毎年、イスラエルと神々の物語を想起する宗教的なドラマが演じられた。その最高に盛り上がる所では、ソロモンはヤーの養子になるというダビデへのヤーの約束と、ソロモンはすべての神々に敬意を払うために神殿を建て、彼らの間で成就された平和を維持するというヤーへのダビデの約束になる。




「タナク」という言葉はヘルブ語に等値な t、n、k の文字の合成から生まれた聖書後時代の頭文語で、それぞれがヘルブ語の「教え」を意味するトーラー(torah)、「預言者」を意味するネビイーム(nebi'im)、「諸書」を意味するケトゥビーム(ketubim)をあらわす。