< ブッダの遺言 >




 邪業を誡む


 汝等比丘、我が滅後に於いて、当に波羅提木叉(別解脱=身口七支の罪を別々に解脱すること)を尊重し、珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、これは即ちこれ汝等が大師なり。もし我、世に住するともこれに異なること無けん。

 浄戒を持つ者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝、みな当に遠離すること火抗を避けるが如くすべし。

 草木を斬伐し、土を耕し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。みな応ぜざる(僧侶として不相応)所なり。身を節し、時に食して、清浄に自活せよ

 世事に参預し、使命を通到し、呪術し、仙薬し、好みを貴人に結び、親厚穢慢(狎れ親しみあなどる)することを得ざれ。みな作すべからず。当に自ら端心正念して度を求めるべし。

 瑕疵を包藏し、衆を惑わすことを得ざれ。四供養(飲食・衣服・臥具・醫薬の四種の供養物)に於いて、量を知り、足ることを知り、趣(わず)かに供養を得て蓄積すべからず。ここに即ち略して持戒の相を説く。

 戒は、これ正順解脱(煩悩の束縛を脱して真如法の理に随順する)の本なり。故に波羅提木叉と名づく。この戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。

 この故に比丘、当に浄戒を持して毀缺せしむること勿るべし。もし人能く浄戒を持すれば、これ即ち能く善法を有せん。もし浄戒無ければ、諸善の功徳皆生ずることを得ず。これを以て当に知るべし、戒を第一安穏功徳の住所と為すことを。



 根心を誡制す


 汝等比丘、すでに能く戒に住すれば、当に五根(眼・耳・鼻・舌・身)を制すべし。放逸にして五欲(色・声・香・味・触及び財・色・名・食・睡)に入らしむること勿れ。

 譬えば牧牛の人の、杖を執りてこれを視せしめて、縦逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。もし五根を縦(ほしいまま)にすれば、ただ五欲のまさに涯畔(制約・規範)無くして制すべからざるのみに非ず、また悪馬の轡(くつわ)を以て制せざれば、まさに人を牽いて坑滔(あな)に堕さんとすべきが如し。劫害を被むるが如くんば、苦しみ一世に止まる。五根の賊は禍殃累世に及ぶ、害を為すこと甚だ重し。慎まざるべからず。

 是の故に智者は制して而も従わず。これを持すること賊の如くにして、縦逸ならしめず。仮令これを縦(ほしいまま)にするも、皆また久しからずしてその磨滅を見ん。

 この五根は心をその主と為す。是の故に汝等当に好く心を制すべし。

 心の畏るべきこと毒蛇・悪獣・怨賊よりも甚だし。大火の越逸なるも、未だ喩えとするに足らず。譬えば人有り、手に蜜器を執りて、動転軽躁し、ただ蜜のみを観て深坑を見ざるが如し。また、狂象の鈎なく、猿の樹を得て、騰躍卓躑して禁制すべきこと難きが如し。まさに急(すみや)かにこれを挫(くじ)いて放逸ならしむることなかるべし。

 この心(第六意識を指す)を縦にすれば、人の善事を喪ふ。これを一処に制すれば、事として弁ぜずということなし。

 是の故に比丘、まさに勤めて精進して汝が心を折伏(悪を挫き伏せしめる)すべし。



 多求を誡む


 汝等比丘、諸の飲食を受けては、まさに薬を服するが如くすべし。好きに於いても悪きに於いても増滅(取捨)を生ずること勿れ。わずかに身を支えるを得て、以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、ただその味のみを取りて、色香を損ぜざるが如し。比丘もまた爾(しか)り。人の供養を受けては、趣(わず)かに自ら悩みを除け。多く求めてその善心を懷することを得ること無かれ。譬えば智者の、牛力の堪える所の多少を量って、分に過ぎて以てその力を竭さしめざるが如し。



 睡眠を誡む


 汝等比丘、昼は即ち心を勤めて善法を修習し、時を失せしむること無かれ。初夜にも後夜にもまた廃することあること勿れ。中夜に誦経して以て自ら消息せよ。睡眠の因縁を以て一生空しく過ごして、得る所無からしむること無かれ。

 まさに無常の火の、諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求め、睡眠すること勿るべし。諸の煩悩の賊、常に伺いて人を殺すこと寃家(自己に対して怨みを啣(ふく)める人)よりも甚だし。安(いずく)んぞ睡眠して自ら警寤せざるべけんや。煩悩の毒蛇睡りて汝が心に在り。譬えば黒蛇の、汝が室に在りて睡るが如し。まさに持戒の鈎を以て早くこれを塀除すべし。睡蛇既に出づれば乃ち安眠すべし。出でざるに而も眠ればこれ無慚(はじる)の人なり。

 慚耻(内に自ら羞恥すること)の服は諸の荘厳に於いて最も第一と為す。慚は鐵鈎(てつ・かぎ)の如く、能く人の非法を制す。是の故に比丘、常にまさに慚耻すべし、暫くも替(す)つることを得ること勿れ。もし慚耻を離るれば即ち諸の功徳を失う。有愧の人即ち善法有り。もし無愧の者は諸の禽獣と相異なること無けん。



 瞋恚(怒り)を誡む


 汝等比丘、もし人有り、来たって節節に支解するとも、まさに自ら心を攝(おさ)めて嗔恨せしむること無かるべし。またまさに口を護りて、悪言を出すこと勿るべし。もし恚心を縦(ほしいまま)にすれば即ち自ら道を妨げ、功徳の利を失う。

 忍の徳たること持戒苦行も及び能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名づけて有力の大人と為すべし。もしそれ悪罵の毒を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名づけざるなり。

 所以は何となれば、瞋恚の害は即ち諸の善法を破り、好名聞を破る。今世後世、人見るを喜(ねが)わず。まさに知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常にまさに防護して人ることを得しむること勿るべし。功徳を劫むる(おびやかす)の賊は、瞋恚に過ぎたるは無し。

 白衣(在俗の人)は受欲非行動の人、法として自ら制する無きは、瞋なお恕(ゆる)すべし。出家は行動無欲の人、而も瞋恚を懐くは甚だ不可なり。譬えば清冷の雲の中に、霹靂(はげしいかみなり)火を起すは、所応に非ざるが如し。



 貢高(自ら高ぶり他を軽んずる)を誡む


 汝等比丘、まさに自ら頭を摩(な)づべし。以て飾好を捨てて、袈裟を著し、応器(托鉢の器)を執持して乞(こつ)を以て自活す。自ら見ること是の如し。もし驕り起らば、まさに疾くこれを滅すべし。驕りを増長するは、なお世俗白衣の宜しき所に非ず。何ぞ況んや出家入道の人の、解脱の為の故に自らその身を降して乞を行ずるをや。



 諂曲(へつらう)を誡む


 汝等比丘、諂曲の心は道と相違す。是の故に宜しくまさにその心を質直にすべし。まさに知るべし、諂曲は但だ欺誑(あざむき、たぶらかす)を為すことを。入道の人は即ち是の処(ことわり)無し。是の故に汝等、宜しくまさに端心にして質直を以て本と為すべし。



 少欲功徳


 汝等比丘、まさに知るべし。多欲の人は利を求むること多きが故に、苦悩もまた多し。少欲の人は求無く欲無ければ、即ちこの患無し。直ちに少欲すらなおまさに修習すべし。何ぞ況や少欲の、能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は即ち諂曲して以て人の意を求むること無し。また諸根の為に牽かれず。少欲を行ずる者は、心即ち坦然として憂畏する所無し。事に触れて余り有り、常に足らざること無し。少欲有る者は即ち涅槃有り、これを少欲と名づく。



 知足功徳


 汝等比丘、もし諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は天堂に処すといえども、また意に稱(かな)はず。不知足の者は富めりといえども、而も貧し。知足の人は貧しといえども、而も富めり。不知足の者は常に五欲の為に牽かれて、知足の者の為に憐憫(あわれ)せらる。これを知足と名づく。



 遠離功徳


 汝等比丘、寂静・無為・安楽を求めんと欲すれば、まさに心飢え騒がしいことを離れて、独処に間居すべし。静処の人は帝釈諸天の共に敬重する所なり。是の故に己衆他衆を捨てて、空間に独処して、苦の本を滅せんことを思うべし。もし衆を楽(ねが)う者は、即ち衆悩を受く。譬えば大樹の、衆鳥これに集まれば、即ち枯折の患あるが如し。世間の縛著は衆苦に没溺す。譬えば老象の、泥に溺れて、自ら出づること能はざるが如し。これを遠離と名づく。



 精進功徳


 汝等比丘、もし勤めて精進すれば、即ち事として難き者無し。是の故に汝等、まさに勤めて精進すべし。譬えば小水の、常に流るれば、即ち石を突き通すが如し。もし行者の心、数々懈廃(なまける)すれば、譬えば火を鑚(き)るに未だ熱からずして而も息めば、火を得んと欲すといえども、火を得べきこと難き如し。これを精進と名づく。



 不妄念功徳


 汝等比丘、善知識(善き友)を求め、善護助(善き師)を求めることは、不妄念に如くは無し。もし不妄念有れば、諸の煩悩の賊、

即ち入ること能はず。是の故に汝等、常にまさに念を攝めて心に在(お)くべし。もし念を失すれば、即ち諸の功徳を失う。もし念力堅強なれば、五欲の賊の中に入るといえども、為に害せられず。譬えば鎧を着て陣に入れば、即ち畏るる所無きが如し。これを不妄念と名づく。



 禅定功徳


 汝等比丘、もし心を攝むれば、心即ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常にまさに精勤して諸の定を修習すべし。もし定を得れば、心即ち散ぜず。譬えば水を惜しめる家の、善く堤防を治するが如し。行者もまた然り。智慧の水の為の故に善く禅定を修めて、漏失せざらしむ。これを名づけて定と為す。



 智慧功徳


 汝等比丘、もし智慧有れば即ち貪著なし。常に自ら省察して、失有らしめざれ。これ即ち我が法中に於いて、能く解脱を得ん。もし爾(しか)らざる者は、既に道人に非ず、また白衣に非ず。名づくる所無し。実智慧は即ちこれ、老・病・死の海を度(わた)る堅牢の船なり、またこれ無明黒暗の大明燈なり、一切の病者の良薬なり、煩悩の樹を伐るの利斧なり。是の故に汝等、まさに聞・思・修の慧を以て自ら増益すべし。もし人、智慧の照有れば、これ肉眼といえども而もこれ明見の人なり。これを智慧と為す。



 究竟功徳


 汝等比丘、もし種種に戯論すれば、その心即ち乱れる。また、出家すといえども、なお未だ得脱(煩悩・苦悩を脱して仏果を得ること)せず。是の故に比丘、まさに急かに乱心戯論を捨離すべし。もし汝、寂滅の楽を得んと欲すれば、ただまさに善く戯論の患を滅すべし。これを不戯論と名づく。



 畢竟甚深の功徳を顕示する分


 汝等比丘、諸の功徳に於いて、常にまさに一心の諸の放逸を捨つること、寃賊を離るるが如くすべし。大悲世尊所説の利益はみなすでに究竟す。汝等ただまさに勤めてこれを行ずべし。もしくは山間、もしくは空澤の中に於いても、もしくは樹下に在りても、静室に間処するも、所受の法を念じて亡失せしむること勿れ。常にまさに自ら勉めて精進して、これを修すべし。為すこと無くして空しく死すれば、後に悔有ることを致さん。良醫の、病を知って薬を説くが如し。服すると服せざるとは醫の咎に非ず。また善く導くものの、人を善道に導くが如し。これを聞いて行かざるは導くものの過に非ず。



 入證(成就)決定を顕示する分


 汝等もし苦などの四諦に於いて、疑うところ有らば疾くこれを問うべし。疑いを懐いて決を求めざることを得ること無かれ。その時、世尊この如く三たび唱えるに、人問う者無し。所以は何となれば、衆、疑い無きが故に。時にアネルダ(十大弟子の一人)、衆の心を観察して、仏に白して曰く、『世尊、月は熱からしむべくとも、日は冷かならしむべくとも、仏の説く四諦は異ならしむべからず。仏の説く苦諦は実に苦なり、楽ならしむべからず。集は真にこれ因なり、更に果因無し。苦もし滅する時は即ちこれ因滅す。因滅するが故に果滅す。滅苦の道は実にこれ真道なり、更に余道無し。世尊、この諸の比丘、四諦の中に於いて決定して疑い無し』



 未入上上證(大乗の仏果)を分別して為に疑を断ずる分


 汝等比丘、悲悩を懐くことなかれ。もし我世に住すること一劫するとも、会うものはまた当に滅すべし。会っても而も離れざること終に得べからず。自利利他の法は皆具足せり。もし我久しく住すとも更に益するところ無し。まさに度すべき者は、もしくは天上、人間皆悉く已に度す。その未だ度せざる者は、皆また已に得度の因縁を作す。今より已後、我が諸の弟子展転してこれを行ずれば、即ちこれ如来の法身常に在りて、而も滅せず。この故にまさに知るべし、世は皆無常なり、会えば必ず離るること有り。憂悩を懐くことなかれ。世相この如し。まさに勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て諸の痴暗を滅すべし。世は実に危脆なり、牢強なる者無し。我今、滅を得ること悪病を除くが如し。これは是れまさに捨てるべき罪悪の物なり。仮に名づけて身と為す。老病生死の大海に没在せり。何ぞ智者はこれを除滅するを得ること、怨賊を殺すが如くして而も歓喜せざること有らんや。



 種種の自性を離る清浄無我(真我)分


 汝等比丘、常にまさに一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法は、皆これ敗壊不安の相なり。汝等しばらく止みね、また、語るを得ることなかれ。時まさに過ぎなんと欲す。我滅度せんと欲す。これ我が最後の教誨する所なり。




(「仏遺教経」より)