<十七清浄句>




一切法の清浄句門を説きたもう。

 (すべての存在は本来清浄である、という教えを説かれた)



一、妙適清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である)


二、欲箭清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (愛欲が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地)


三、触清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (男女の抱擁も、清浄なる菩薩の境地)


四、愛縛清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (抱擁によって男女が離れがたくなることも、清浄なる菩薩の境地)


五、一切自在主清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (思いのままにふるまうことも、清浄なる菩薩の境地)


六、見清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (欲箭の眼をもって見ることも、清浄なる菩薩の境地)


七、適悦清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (抱擁による喜びも、清浄なる菩薩の境地)


八、愛清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (いつまでも離れがたい気持ちも、清浄なる菩薩の境地)


九、慢清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (満足の心も、清浄なる菩薩の境地)


十、荘厳清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (身を飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地)


十一、意滋沢清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地)


十二、光明清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地)


十三、身楽清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (身体の楽も、清浄なる菩薩の境地)


十四、色清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地)


十五、声清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地)


十六、香清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (この世の香りも、清浄なる菩薩の境地)


十七、味清浄の句是れ菩薩の位なり。

 (口にする味も、清浄なる菩薩の境地)


何を以ての故に、一切の法は自性清浄なるが故に、般若波羅密多も清浄なり。

 (なにがゆえに、これらの欲望のすべてが清浄なる菩薩の境地となるのであろうか。これらの欲望をはじめ、世のすべてのものは、その本性は清浄なものだからである。故に、もし真実を見る智慧の眼である般若を開いて、これら一切のあるがままに眺めるならば、あなたたちは真実の智慧の境地に到達し、すべてみな清浄でないものがないという境地になるであろう)


 男女交合といっても、金剛薩捶の悟りそのものをいうのであって、無縁の大悲をもって、無尽の衆生界のあらゆる場所に現われて、それらの衆生に安楽と利益を与えようと願って休む暇もなく活動する。このように自分と他人を分け隔てなく無二とみる同体観を、男女交合の名をもって表わしただけである。






<四種の不染>


自性清浄の法性を得たまえる如来は、復た一切法の平等を観ずる自在なる智印を出生する般若の理趣を説きたもう。

 (本来すでに自他の対立を超越して真実なるものを獲得されている如来は、また、すべての存在はその本質において清浄であると観ずることの自由自在なる智慧を完成する教えを説かれた)


一、世間の一切の欲清浄なるが故に、即ち一切の瞋清浄なり。

 (この世間における一切の貪欲は清浄である。何となれば、すべてのものの本性は清浄であって、善や悪の貪欲などという区別は現象の上に現われたものに過ぎず、決してその本質にまでさかのぼって汚すことができるものではない。このように貪欲が清浄であるとすれば、この貪欲の不足によって起る瞋恚も痴愚も、その心に根拠がなく、すべて清浄である)


二、世間の一切の垢清浄なるが故に、即ち一切の罪清浄なり。

 (この世間における一切の貪欲も瞋恚も痴愚も、この世のすべての垢(けがれ)が清浄であるがゆえに、これらの垢から生じる一切の罪の業(おこない)も、その本性は悪ではなく、極めて清浄である)


三、世間の一切の法清浄なるが故に、即ち一切の有情清浄なり。

 (この世における一切の構成要素も、その本性は善悪の区別なく清浄であるから、これらの構成要素が一時の存在を保つために、仮に組み合わさったもので、すべての生き物は清浄である)


四、世間の一切の智智清浄なるが故に、即ち般若波羅密多清浄なり。

 (この世における一切の智慧の中の智慧は清浄なものであるから、同時にさとりの智慧の完成は清浄である)



 このように、貪欲の本質が清浄であり、諸々の貪欲から起こる瞋恚も痴愚も清浄であるならば、これらの三毒から生じる悪業も、本質は清浄であると観なければならない。世界を構成する一切は清浄であり、それを自覚する智も清浄である。この本質の清浄性を証明する四つの見方(四種の不染)を説き終り、大日如来は金剛手菩薩に呼びかけられた。



(理趣経)