< 仏陀の日常生活 >




 年々歳々、仏陀とその弟子達とは歴遊の期と安吾の期との交替を繰り返す。六月となり、インドの夏の何もかも枯れ凋む様な焦熱の後に、雲の塊りがむらがり湧き、雷が鳴り、雨をもて来る気候風の近づいたことが分かると、今も昔も、インド人は来たるべき時期のために己れ自らと自らの家との用意を整える。この時期には日常の行ないも営みも悉く中断せられるのである。この時期に入ると、篠つく雨が週餘を続けて河の如く降り注ぎ、あちこちの住民は己の小屋の中に、さもなくば村落に閉じ込められ、近隣との連絡は速やかに水嵩を増して何もかも押し流す川や氾濫のために断絶する。仏教の古い経典の一つにこう言ってある。『鳥はその巣を樹梢に作り、雨期の間、その中に屈居し潜伏す』。それ故、三ヶ月に亘る雨期の間は、歴遊を全く止めて、信者の布施で安全に生活の出来るような所、都会の近傍とか村落の付近とかに静かに安吾してこの時期を過ごすというのが、僧団の人々に厳格なる規則となったものも、決して仏陀以来のことではなく、インドに宗教者の遊歴生活が現われて以来のことで、これは疑いを容れない。のみならずこの規則を益々厳重に守るに至ったのは、丁度この時期が何もかも焼き尽くす様な夏の炎熱のあとに来、無数の若い動植物が至る所でその新しい生活を初めるのもこの雨期であるからして、この時期に遊歴すると、如何な卑しい生命をも殺してはならぬという禁戒を一足毎に破ることになる故である。


 かくして、仏陀も年々歳々、この雨期を祖師の傍らで過ごそうがために集まって来る弟子達の群れに囲まれて三ヶ月の『雨安吾を持し』たのである。また、王侯や長者は互いに競って住宅や家庭を教団に寄進し、仏陀や仏陀と共にある弟子達をその中へ客として迎え入れる名誉を得ようとしたのである。


 雨が終ると遊歴が初まり、仏陀は殆ど常に沢山な弟子をひきつれて諸所を巡回した。経典で見ると、仏陀に従った弟子は或る場合には三百とあり、或る場合には五百と出ている。商人の往来と同様、遊歴の僧侶達が主として往来したのも本街道で、この本街道に沿って住む信者達は仏陀とその弟子達とのために宿を準備するに努め、法に帰依した出家の止住しておる所では、その住居を宿にあてた。別に宿る所が無い場合には僧侶の群れは行きつく所でマンゴーやバンヤンの樹蔭に休息したり、一夜を過ごしたりしたのである。




 仏陀の周囲に群がって居た人衆の姿を完全に描き上げようとすれば、インドに早くから跋扈しておった各種各様な弁証家や喧嘩好きな宗論家の一類についても記述する要がある。国王から村の歳入を寄付せられ、沢山な従者を引き具して車馬で横行する尊大なバラモンも居れば、評判の高いゴウダマの実情を捜ぐるために師のバラモンから派遣せられ、有名な敵手と議論を戦わして偉功を立てようとあせる若い学徒も居り、或いはまた沙門ゴウダマが近くに来たと聞いて押しかけ、狡獪な質問で陷穽をかけ、どのように答えても矛盾に落ちずに居ない様に仕組んでゴウダマを困らせようと企む僧侶や俗人の連中、所謂る詭弁好きな『髪を割く人々』も仏陀の周囲に居ったのである。


 かような連中と論弁したあとでは、仏陀の崇拝者または仏陀に敗けたものが仏陀とその弟子達とを翌日の午後に招待するのが普通で、その際には『主よ、願わくば世尊わがために明日弟子と共に午餐に臨み給わんことを』と言う。すると、仏陀は無言で承諾を示す。翌日の昼頃、食事の用意が整うと、主人は使いを仏陀のもとへ送って『主よ、正にその時なり。食事の用意既に成れり』と告げ、仏陀はそれを聞いて上衣と鉢盂とを取り、弟子達をひきつれて、都か村かにすんでいる主人の所へ行く。この当時にはまだ左程贅沢な料理は無かったらしいが、富裕な主人は肉類を除いて出来るだけの御馳走を出し、また主人自ら席に侍して家族のものと共に客人を歓待する。而してこの食事が済み、常例の如く手を浄めてしまうと、主人は家族と共に仏陀の傍らに坐り、仏陀は彼等に宗教上の勧戒や教訓を与えるのである。


 招待せられてその方へいかねばならぬという要のない日には、仏陀も比丘の慣わしに従って町や村を托鉢して歩くのを常としておった。仏陀も弟子達と同じ様に朝早く東が白むと共に起き、朝の時間を精神的修艱や弟子達との談話で過ごし、それがすむと従者をつれて町へ行く。その名が既に大いにミって、インドの全土を通じて第一流の人物と数えられるに至った後にも、この人物、もろもろの君王をもその前に跪かしめたこの人物は、毎日、毎日、相変わらず鉢盂を手にして町から町へ、家から家へと歩き廻り、別に乞い願う言葉を発するでもなく、眼を臥せ首俛れて立ち、一片の食物が鉢の中に投ぜられるのを黙々として待っておったのである。


 托鉢して帰って来、食事をすますと、仏陀はインドの気候の命ずる所に従い暫らく退いて安息する。仏陀は密林の涼蔭を好んだが、かような涼蔭か、さもなければ閑静な部屋の中に退いて孤寂の静観に耽りつつ午後の蒸し暑いひっそりとした時間を夕方まで過ごし、焦熱の夏には睡眠をも取り、夕方になると敵や味方の騒々しい押し合いへし合いが仏陀をその『貴き沈黙』から呼び還えす。






汝等比丘よ、来たるべし。


誠に法は既に説かれたり。


一切の苦を断ずべく、清浄の行を行なうべし






(『仏陀』オルデンベルグ)