< 根井三郎 >
〜 佐土原出身の外交官 〜
佐土原の親族宅で発見された「根井三郎」の写真。
(平成28年1月発見)
第二次世界大戦時に、ナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人難民を救うため、日本を通過し第3国に渡ることを認めたビザ(通過査証)を発行し『日本のシンドラー』と呼ばれる「杉原千畝」をご存じの方は多いと思います。
しかし、ロシア領ウラジオストクの地で、この「杉原千畝」が発行したビザを”認めるな”とした政府の方針に真っ向から反論し、ユダヤ人難民を船に乗せ、ビザを持たないユダヤ人難民に対しては渡航証明書を発行し多くのユダヤ人を救った、当時の『ウラジオストク駐在総領事代理』の事はこれまで全く知られていませんでした。
この『ウラジオストク駐在総領事代理』こそ「根井三郎」です!!
<根井三郎の年譜>
1902年(明治35年)
宮崎県宮崎郡広瀬村に生まれる。
1921年(大正10年)
外務省留学生試験合格。外交官となる。
1924年(大正13年)
日露協会学校卒業。2期上に杉原千畝。
1925年(大正14年)
ハルビン日本総領事館に勤務。ウラジオストク勤務。
1929年(昭和4年)
欧米局第二課に勤務。ウラジオストク勤務。
1932年(昭和7年)
欧米局第二課勤務。ウラジオストク勤務。
1933年(昭和8年)
ソビエト連邦勤務。
1935年(昭和10年)
大臣官房電信課勤務。
1936年(昭和11年)
イラン国に勤務。
1940年(昭和15年)
欧亜局第一課に勤務。ウラジオストク日本総領事館に勤務。
1941年(昭和16年)
ユダヤ人難民を救う為尽力。
1945年(昭和20年)
終戦(ウラジオストク)。外交官の職を離れる、外務省から法務省へ。
1992年(平成4年)
永眠90歳。
戦後、外交官の職から離れた根井は、自身の功績を”誰にも語らぬまま“平成4年に亡くなられました。
平成22年頃、過去の外交資料の中から、”根井と外務大臣とのやり取りが文書で発見”され、ようやく根井の功績が明らかとなりました。佐土原と根井を繋ぐ資料(写真や交流者の記憶)の発見は今年になってからです。
by「さどわら便り」より