< 平和の訴え >


〜 平和の神は語る(1517年)




 戦争というものがどれほど神を怖れぬものであるか、もっとはっきり知りたいとお考えなら、戦争を操るのがいったい何者であるかをよく注意してごらんになるとよろしい。敬虔な君主にとっては、その人民の安全を図ることが何よりも重要な義務だとしたら、まず戦争こそは何よりも憎むべきものとされねばなりませんね。君主の幸福とは国民を統治することであるというのでしたら、君主は心から平和を大切に慈しむ義務があります。善良な君主にとっては、最良の国民を支配することこそ望ましいとするならば、戦争を心底から呪わねばなりません。この戦争からあらゆる不信心の滓が吹き出してくるのですからね。またもし、国民の富が殖えれば殖えるほど自分の富も増したことになるのだと考えるならば、君主たる者はあらゆる手段を尽くして戦争を避けねばなりません。と申しますのは、たとえどれほどうまい結果に終わったにしても、戦争というものは、全国民の財産を消耗し、真面目な仕事によって生み出された財産から、法外な金額を首斬りの悪党どもに払ってやることになるからです。


 ここで繰り返し皆さんに考えてほしいと思いますのは、君主たちが並べ立てる戦争のかずかずの理由はご自分の耳には実にもっともらしく聞こえるものであり、また、大勝利の希望は彼らに微笑みかけるものだということです。ところがあにはからんや、しばしばそれは最悪の事態となり、また、これほど正しいものはないと思える理由も的外れ、ということが珍しくないのですからね。




 けれどもまあ一歩譲って、まったく正当な海戦理由がある、この上なく首尾な戦争の結末が得られる、と想像してみましょう。その上で、戦争が行われることによってすべてのものにどの位の損害を及ぼすことになるか、また勝利のもたらす利益がどれ程になるかを計ってみて、差し引き戦争に勝つということにどれだけの価値があるかをお考え下さいな。かつて、流血を見ずに勝利のおさめられた例しがありません。つまり、あなたの国民たちが血まみれになるということですよ。さらに加えて、公衆の風俗や規律の弛緩を計算に入れてごらんなさい。どんな利益もこの損害を埋め合わせることはできないのです。そればかりか、戦争によって国庫を蕩尽し、民衆をまる裸にし、善人を苦しめ、悪人を乱暴狼藉に駆りたててみたところで、結局何もかたづきはしません。いざ戦争が終わってみても、その名残は永く尾を引き、何もかもが死の眠りに沈んでしまいます。学芸は衰微し、通商は妨げられるのです。




 敵を締め出そうとすると、まずご自分があちらこちらの国から締め出されることになる、ということを知っておかれたほうがよいでしょうね。君主よ、戦争を始める前は、近隣のすべての国があなたの国も同然だったのです。と申しますのも、物資の自由な交易によって、平和はすべてのものを共有するからですよ。ところがごらんください、戦争によってどれだけ多くのものが無に帰することか! 普通ならばあなたを支える大きな力をなるはずのものが、今やほとんどあなたの手を離れてしまっているのです。ちょっとした町を破壊するには、どれほど多くの武器や軍幕が必要なことでしょうか? ほんとうの都市を破壊するには、都市と見まごうばかりの陣営を設けねばなりますまい。それより少ない費用でも、立派な都市が新たに建設できるでしょうに。敵をその城塞に閉じこめて逃すまいとすれば、

あなたは遠く祖国を離れて露営の夢を結ばなければならぬわけです。既にできあがっている町を兵器で破壊するより、新しい町を建造するほうが、その費用はずっと少なくて済むのです。また、どれだけの金銭が、御用商人やその手先、将軍連中の手中に消え去るか、ここでは計算しないことにいたしますが、無論それは少ない額ではありませんね。あらためてその一つ一つを正確に算定しなおしたならば、その十分の一の出費で平和を買い戻すことができることでしょう。もしあなたが、そんな計算は断じて認められないとおっしゃるなら、私はあきらめて、どこへでも放逐されるのを我慢いたします。


 それにしても、侮辱には断乎として反撃するとおっしゃるようでは、とてもその心根は秀でたものとは思えませんよ。復讐することほど、低劣な心情の持ち主であることをはっきり証明するものはありません、それも、とりわけ王者にとってはね。ご自分とおそらくは血縁関係があったり、姻戚関係にある近隣の君主と附き合う場合、その君主のために何かしてやったり、ほんの僅かばかりの権利を譲ったりしても、それで自分の尊厳が失われるわけではないでしょう。そんなことより、次々とお金を差し出して、極悪非道、貪欲飽くことを知らない外人部隊をなだめねばならない羽目におちこみ、いんぎん鄭重な使節を派遣して、この上もなく劣等で凶暴なカリア人を平身低頭して雇い入れ、さては、あなたご自身の生命と家庭の運命までも、思慮も信仰も持ち合わせないこうした連中に委ねるほうが、どれほど君主の尊厳を失墜させていることでしょう。




 こうして贖われた平和には、何かしら割の合わないものが含まれているように思われることがあるかもしれませんが、そういう場合にも君主は、「こんな大金をみすみす失くしてしまうのか!」などとは夢にも言ってはなりません。むしろ、「この値段で平和を手に入れるのだ」と言っていただきたいもの。このような時に、頭の働く人ならばこう言うことでしょう、「もし、事が自分個人に関するだけなら、好むと好まざるとにかかわらず、公の利益を第一に考えるのだ」。ひたすらに公共の福祉を目ざしているものが、よもや簡単に戦争を企てることはないはずです。ところが実際はなんとこの逆で、われわれ皆が見ている通り、ほとんどあらゆる戦争の原因は民衆と何の関係もない事がらから生まれているのです。君主よ、あなたは、あれこれの支配権を欲しがっておられますが、そのことと民衆の生業と何の関係があるでしょうか? あなたは、あなたの愛嬢を棄てた男に復讐を望んでおいでですね。しかしそれが国家と何の関係があるのでしょうか?君主たるものは、これらの問題を深慮明察してこそ、真に英明で偉大といえるのです。




エラスムス