< 枢 軸 時 代 >
〜 ヤスパース 〜
歴史哲学は西洋においては、その基礎をキリスト教信仰にもっている。アウグスチヌスからヘーゲルに至る広壮な作品に示されている通り、この信仰は歴史の中に神の業をみた。神の啓示の営みが、歴史の決定的な切れ目を現わすものであった。だからヘーゲルでさえ、あらゆる歴史はキリスト教へおもむき、そしてキリストから由来する、といったのである。神の子の出現が世界史の軸である。われわれの年代の表わし方が、世界史のキリスト教的構造を日常茶飯事のうちに証明している。
しかしキリスト教の信仰は、一つの信仰ではあるが人類の信仰ではない。このような見解での普遍史は、ただ敬虔なキリスト教徒にとってしか通用しえないのが難点である。しかも西洋においてすらキリスト教徒は、経験に即して把握された歴史を、このような信仰と混同はしなかった。信仰箇条は彼にとって、歴史の現実的な過程を経験的に理解する命題ではない。聖なる歴史は、キリスト教徒にとっては、世界の歴史とは意味を異にするものとして区別された。それどころか敬虔なキリスト教的伝承ですら、他の経験的対象と同じく、キリスト教的伝承そのものを研究することができたのである。
世界史の軸があるとすれば、結局それはキリスト教徒をも含むあらゆる人々にとって、そのものとして通用しうる一つの事実として経験的に見いだされうるものだ、と思われるのである。この軸は、それ以降人間が人間として存在しうるもの、すなわち高度の人間存在が生まれた時点、人間存在の形成において強烈きわまりない生産性が実現された時点であるだろう。人間存在の形成は、特定の信仰内容にかかわりなく、西洋でもアジアでもあらゆる人間にとっても、経験的に必然的で理解可能な認識とはならないが、それでも経験的理解に基づいて納得しうるような様式で行われたものであろう。その結果あらゆる民族にとって、歴史的自覚という一つの共通な枠が生じたものであろう。この世界史の軸は、はっきりいって紀元前五00年頃、八00年から二00年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこに最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生きてきたところのその人間が発生したのである。この時代が要するに《枢軸時代》と呼ばれるべきものである。
この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や荘子や列子や、そのほか無数の人々が思索した、・・・インドではウパニシャットが発生し、仏陀が生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性が、シナと同様展開されたのである。・・・イランではゾロアスターが善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた、・・・パレスチナでは、エリアからイザヤおよびエレミアをへて、第二イザヤに至る予言者たちが出現した、・・・ギリシャではホメロスや哲学者たち・・・パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトン・・・更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデスが現われた。以上の名前によって輪郭が漠然とながら示されるいっさいが、シナ、インドおよび西洋において、どれもが相互に知り合うことなく、ほぼ同時的にこの数世紀間のうちに発生したのである。
この時代に始まった新しい出来事といえば、これら三つの世界全部において、人間が全体としての存在と、人間自身ならびに人間の限界を意識したということである。人間は世界の恐ろしさと自己の無力さを経験する。人間は根本的な問いを発する。彼は深淵を前にして解脱と救済への念願に駆られる。自己の限界を自覚的に把握すると同時に、人間は自己の最高目標を定める。人間は自己の存在の深い根底と瞭々たる超在において無制約性を経験する。
以上のことは反省において行なわれた。意識性はいま一度意識を意識し、思惟は思惟に向けられた。もろもろの思想や探求や経験を伝えることによって、他人を納得させようとの試みとともに、幾多の精神的闘争が発生した。最も矛盾対立するもろもろの可能性が試みられた。精神的なものに関する多くの論議、党派形成、分裂、こういったものは対立しながら相互に干渉し合い、動揺と運動を発生させ、その極みは精神的な混乱に陥ったのである。
この時代に基本的範疇が生み出されたが、それらを身につけてわれわれは今日まで思惟しているのである。また世界宗教の萌芽が生み出されたが、それに基づいて人間は今日まで生きてきたのである。あらゆる意味で、普遍的なものに迫る歩みが、行われたのである。
このような過程を通じて、従来まで無反省に通用していたもろもろの意見、慣習、状態が検討にゆだねられ、問題とされ、解消された。いっさいが渦中に落ち込んだ。伝統の実質は、それがなお生命を保って現実に存在していた限り、開明されてその正体を暴露し、同時に変革を蒙ったのである。
神話時代は、その安らぎと自明性とともに終焉した。ギリシャ、インド、シナの学者たちや仏陀は、その決定的な洞察において非神話的であり、予言者たちは神の思想において非神話的であった。合理的精神ならびに合理的に啓蒙された経験に立脚する側よりの、神話に対する闘いが始まり、(理性対神話)、・・・更に実際には存在しない魔(デーモン)に対する一なる超越神のための闘いが始まり、・・・そしてまた、倫理的な反感から発する非真実な神々への闘いが始まったのである。神性は宗教の倫理化によって高められた。しかし神話は言葉の材料となり、言葉は、神話が本来もっていたのとは全然別な意味を告げるものとなり、神話を比喩としてしまった。神話が全面的に破壊されるやただちに、新たな様式で神話創作の過程が起こり、神話は再び新たな深みから把握しなおされ、作り変えられた。古い神話の世界は徐々に没落していったが、全体的な背景は、民衆の事実上の信仰によって保たれた(そして後には広範囲にわたって再び勝利を獲得しえたのである)。
このような人間存在の全面的変革は、精神化といってもよい。疑念なく了解されている生から動揺が起こり、睡んでいた分極性から不安定な対立と二律背反が生ずる。人間はもはや自己の殻に閉じこもってはいない。彼は自分自身がしかと信ぜられなくなるが、これと同時に新たな無限の可能性に対して眼を開かれる。彼は従来まで誰も問いもせず、誰も告げなかったものを、耳にし、理解することができる。途方もないことが明らかとなる。彼の世界と彼自身のほかに、人間は存在を感得しうるようになるが、しかし究極的にではなかった。問題はあくまでも残るのである。
初めて哲学者なるものが現われた。人間は敢然と自己に拠って個人として独立した。シナにおける隠者や遍歴思想家たち、インドにおける禁欲行者たち、イスラエルにおける予言者たち、彼らは信仰や思想内容や内的態度において、はなはだしく相違するにかかわらず、みな同じたぐいに属する。人間は全世界に内面的に対峙することができた。彼は自己の中に根源を見いだし、そこから自己自身と世界を見くだしたのである。
思弁的な思想において人間は、存在そのものへと飛躍するが、存在そのものは二元性をもたず、主観と客観の消失、反対のものの一致において把握される。最高の飛翔において経験されるものが、すなわち存在においての自覚達成、あるいは神秘的一致、神性との融合、あるいは神の意志の道具となる体験が、思弁的思想において対象化され、曖昧と誤解に包まれながらも表明される。
肉体であることで束縛され、欺かれ、衝動の虜となり、もっぱら無明に生きた自己を悟り、解脱と救済をこいねがう、その結果、・・・イデア界への飛翔であれ、脱我的諦観であれ、禅定であれ、自我ならびに世界の梵我としての自覚であれ、涅槃の体験であれ、道との一致であれ、あるいは神の意志への帰依であれ、とにかく解脱と救済をすでに世界の中で達成しうるのが真の人間である。以上の事柄にはその意向の点で、信仰内容の点で、著しい意味の相違があるのはたしかである。しかしながら、人間が存在の全体の中で自覚することにより、自己を超出するものであること、人間がそれぞれ個人として進まねばならぬ道を踏み出したということ、これは先述のすべてに共通している。世俗の富のいっさいを投げ棄てて荒野や森林や山岳におもむき、隠者となって孤独のうちに結集する創造の力を発見し、知者、賢者、予言者として世俗に還帰する。こういったことをいみじくもなしえたのは、真の人間なればこそである。後世になって理性とか人格とか称せられたものは、枢軸時代に発現をみたのである。
個別者が達成したものは、決してすべての人には伝達されない。人間存在のもろもろの可能性の絶頂ともいうべきものと一般民衆との距離は、当時では途方もないほど隔絶していた。それにもかかわらず、個別者が達成したものは間接的にすべての人を変革する。全体としての人間存在が、一つの飛躍をなしとげるのである。
新たな精神的世界には、ある社会学的状態が対応しているのであるが、それは三つの地域全部に類似を示している。無数の小国家や都市が鼎立し、ことごとくが闘争し合う、しかもこの際とにかく驚異的な繁栄、力と富の展開が可能であった。シナにおいては弱体化した周王朝のもとで、小国や都市群の生活が優勢となった。政治の趨勢は、小国が他の小国を併呑して大国化することであった。ギリシャ本土と近東においては、小都市の自立生活が営まれたが、ペルシャに征服されたものですら、ある程度この方式を維持した。インドでは、多数の国家と独立都市群が並存した。
それぞれ三つの世界の内部では、相互の交流の結果、精神的な運動が弘められた。シナの哲学者たち、孔子、墨子およびその他の人々は、声望高い、精神生活に恵まれた場所を求めて遍歴した(彼らは百家と称せられるもろもろの学派を形成した)。これはちょうどギリシャのソフィストたちや哲学者たちが旅行し、仏陀が生涯遍歴したのと全く同じである。
これより以前には、精神状態は比較的に変化なく継続し、大事件が起こっても、すべてはまた元の通りに繰り返され、狭い視界に限られ、静かな、きわめて緩慢な精神の動きに限られていたから、精神の動きが意識されず、従って把握されることはなかったのである。今やこれとは逆に緊張が発生し、奔流のような動きがひき起される。
この動きが意識にのぼった。人間の生存が歴史として反省の対象となる。自分たちの現在においてなみなみならぬことが始まっているのが、気づかれ、知られたのである。しかもこれと同時に、無限の過去が経過したことも意識された。この真に人間的な精神の覚醒の始まりにおいて、早くも人間は過去の記憶に支えられ、末世の意識をもち、それどころか没落を意識したのである。
人々は破局を眼のあたりにし、真実の知識を教育と改革によって困難を切り抜けようとする。彼らはことの成り行きを計画的に支配し、正しい状態を再建ないし新規に打ち建てようと努める。歴史の全体は一連の世界形成の過程であり、不断の悪化の過程、あるいは循環、あるいは上昇として考えられる。どのようにして、人間が最もよく共同生活を行ない、支配され、統治されるかが工夫される。改革思想が行動を支配する。哲学者たちは国家から国家へと巡り歩く。彼らは忠告者であり、教師であり、あるいは軽蔑され、あるいは求められた。彼ら同士は議論と角逐の関係にあった。孔子が衛公に用いられなかったことと、プラトンがシラクサで志を得なかったこと、次代の政治家を養成した孔子の学校と、同じことが行われたプラトンのアカデミアとの間には、社会学的な類似関係が認められる。
以上のような変革が数百年にわたり展開された時代は、決して一本調子に上昇する発展の時代ではなかった。破壊と新生とが同時に進められたのである。完結は決して達成されなかった。個別者において実現された、思想と実践との最高度の可能性は、共有財産とならなかった。大多数の人間が追随できなかったからである。当初は自由な動きであったものが、ついには無政府状態と化した。創造的精神が時代から消えうせるや、三つの文化圏には教義の固定化と水平化が起こった。耐えがたいほどまでになった無秩序状態から、永続する状態を再建して新しい結合に至ろうとする衝動が生じた。
結末はさしあたり政治的であった。いっさいを支配する大帝国が、ほとんど時を同じくして、シナにおいて(秦の皇帝)、インドにおいて(マウリヤ王朝)、西洋において(ヘレニズム期の諸帝国、ローマ帝国)、征服を通じて力強く発生した。どこでも崩壊状態のうちで最初に達成されたものは、技術的組織的に設計された一つの秩序であった。
しかしこれらのいずれの場所においても、先人の残した精神への関係はあくまで保たれた。先人が模範となり、尊敬の対象となった。先人の業績と偉大な人格は見失われることなく、訓練と教育の滋味ある内容となった。(漢王朝は孔子主義すなわち儒教を立て、アソカ王は仏教を再興し、アウグストゥス帝時代は意識的にギリシャ-ローマ的教養を重んじた)。
枢軸時代の終わりに発生した普遍帝国は、みずからを永遠に基礎づけられているものとみなした。しかしそれら帝国の安定性は幻影にすぎなかったのである。これらの大帝国は、枢軸時代の国家形成に比較すれば、長年月続いたとはいえ、すべて衰頽に陥り、やがて消滅した。その後の千年は、はなはだしい変遷交替が続いた。このような様相からいえば、枢軸時代の終わり以降の歴史は、かつて数千年間にわたる古代高度文化の世界がそうであったように、大帝国の崩壊と再建の歴史であった。ただし枢軸時代以前と以後との相違といえば、枢軸時代以前においては、枢軸時代に発生した精神の緊張、すなわち人間のあらゆる行為に新たな問題性と意義を与えることによって、それ以来たえず活動し続けるに至った精神の緊張は、まだ見られなかったことである。
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歴史そのものの中では、予想される未来の展望はどこまでも残る。それはおそらく、今後長い、それもきわめて長い人類の歴史が、今や一体化された地球上で営まれるであろうという見通しである。このような未来が見込まれるものとすれば、この際どの人にとっても、「彼が未来においてどんな状態にありたいのか、何のために力を尽くそうとするのか」という、自己の意欲の自覚と決意の選択の問題が、ひしと迫るのもまぬかれがたい。
( 「歴史の起原と目標」より )