< 清浄そのものよ! >



〜 「日の出前」より 〜








おお、わが頭上の天空よ、清浄そのものよ! 深いものよ! 光の深淵よ、 あなたを眺めると、神々しい欲望のために、わたしは身ぶるいする。


あなたの高みのなかに、この身を投げこむ・・・これがわたしの深みだ! あなたの清浄さのなかに、この身を匿す、・・・これがわたしの無罪過にかえったすがただ!


神の美は、神を隠す。 そのように、天空よ、あなたはいまあなたの星々をかくまう。 あなたは物を言わない。 しかも、あなたはあなたの知恵をわたしに告げる。


荒れ狂う海の上に、きょう、あなたはしずかに物言わぬ姿をあらわした。 あなたの愛と羞恥が、わたしの荒れ狂う魂に向かって、啓示を語る。


あなたは美しく、・・・あなたの美のなかにその身を隠して、わたしをおとずれた。 あなたは無言でわたしに語りかけ、その知恵をあらわにする。


おお、こうしたあなたの魂の羞恥のすべてを、どうしてわたしが察しないだろう! あなたは日の昇るまえに、このわたしを、この最も孤独な者をおとずれてくれた。


あなたとわたしは、もとから知己であった。 わたしたちの憤りと戦慄と深淵は、共通なものだ。 太陽を持つこともわたしたちに共通だ。


わたしたちはあまりに多くを知っているから、おたがいに語りあわない・・・。 わたしたちはおたがいに沈黙を交換し、わたしたちの知識を、微笑でつたえる。


あなたとわたしは光と炎の関係ではないのか? あなたはわたしの思念に、おのずとこころの通う姉弟ではないのか?


わたしたちは、すべてをともに学んだ。 ともにわたしたちは、わたしたちを超えて、わたしたち自身へのぼり、雲ひとつないところで微笑することを学んだ。・・・


・・・雲ひとつないところで、澄んだ眼で、おそろしい高みから、微笑しながら見おろすことを学んだ。 わたしたちのはるかな下では、強制と、目的と、罪過が雨のように濛々と煙っていた。


また、わたしがひとり旅をつづけていたとき、わたしが夜半、道に迷ったとき、何に飢え何を求めていたのだろうか? また、山にのぼったとき、その山頂でわたしが探し求めたものは、あなた以外の何者だったろうか?


それにしても、わたしの漂泊とか登攀とか、それら一切は力のないものの窮余の策でしかなかった。 ・・・わたしのほんとうの意志は、ただ飛ぶことにあった。 あなたのなかに飛びこむことにあった!


そしてわたしが何にもまして憎んだのは、空を行く雲の流れだ。 あなたを汚染する一切のものだ! そのわたし自身の憎悪が、またあなたを汚染するから、わたしはそれをも憎んだ。


空を行く雲に、わたしはふかく憤る。 この足音を忍ばせてゆく泥棒猫に。 かれらはあなたとわたしから、わたしたちの共有するものを盗む。・・・巨大で無際限な肯定と祝福を。


わたしたちは立腹する。 この流れ雲どもに。 これらの仲介と混合に従事するものに。 かれらは中途はんぱだ。 祝福もできず、本気に呪うことも知らない。


浄らかな天空が、雲の動きで汚染されるのを見るよりは、むしろ曇り空のもとで大樽のなかに坐っていたい。 むしろ天空など縁のない深淵の中に坐っていたい!


しばしばわたしは、これらの雲を、金色のぎざぎざした稲妻で縛りつけ、その膨らんだ腹部を、雷公もどきにどやしつけてやりたくなった。


・・・腹をたてた鼓手のように、たたきつけてやりたくなった。 なぜなら、これらの雲どもはわたしから、あなたの肯定と祝福を奪ってしまうからだ。 わが頭上の天空よ、清浄そのものよ。 明るいものよ! 光の深淵よ! ・・・これらの雲どもはあなたから、わたしの肯定と祝福を奪ってしまうからだ。


こんな慎重で疑いぶかい猫かぶりの悠々さよりも、むしろわたしは騒然たる雷鳴と驟雨の悪態のほうが好きだ。 また人間のなかでも、わたしはすべてのぬき足さし足あるく者、中途はんぱな者、疑いぶかく、ためらいがちな浮き雲族を最も憎む。


そして「祝福することのできない者は、呪詛することを学ぶべきだ!」・・・この明るい教えは、明るい空から、わたしに降ってきた。 この星は、暗黒な夜々にも、わたしの空にかがやいている。


清浄そのものの天空よ! 明るいものよ、光の深淵よ! あなたがわたしを包んでいてくれれば、わたしは祝福する者であり、肯定の「然り」を言う者だ。・・・どんな深淵のなかへも、わたしはわたしの祝福の「然り」を持ちこむ。


わたしは祝福する者、「然り」を言う者となった。 そのためにこそわたしは長いこと苦労し、闘いつづけて来たのであった。 いずれ、わたしは思うがままに祝福をほどこしたかったのだ。


わたしの祝福とはこういうことだ。 万物の上に、それ自体の天空としてかかること、そのまるい屋根、その紺碧の鐘、永遠のゆるぎない安定としてかかることだ。 このような祝福を与える者こそ、さいわいなるかな!


なぜなら、万物は、善悪の彼岸で、永遠の泉にひたって、洗礼を受けたものだからだ。 善といい、悪というのは、途中の翳りであり、しめっぽい哀愁であり、浮き雲にすぎない。


まことに、わたしがつぎのように説くのも、祝福でこそあれ、なんらの冒涜ではない。 「万物の上にかかるのは、偶然の天、無罪過の天、無為の天、驕りの天である」と。


「偶然」・・・これは、この世で最も古い貴族の称号である。 これを、わたしは万物に取りもどしてやった。 わたしは万物を、およそ目的にしばられた奴隷制から救いだしてやった。


わたしは万物の上に、こうした自由と天空の晴れやかさを、さながら紺碧に鐘のようにはりわたした。 およそ万物を支配し、動かしている神的な「永遠の意志」などはありえないと、わたしが教えたことによって。


そうした意志のかわりに、わたしはあの驕りと狂愚を置いた。 「どう考えてもありえないことが一つある、・・・すなわち合理性だ!」と、わたしが教えたことによって。


なるほど、ほんの一かけらの理性、星から星へ撒きちらされた知恵の一粒、・・・このパン種は、万物に混入されている。 しかし、知恵が万物に混入されているのは、狂愚に役立つためだ!


ほんのわずかな知恵は、たしかに可能である。 だがわたしが万物において見いだした確実な幸福は、万物がむしろ、偶然の足で・・・踊ることを好む、ということにある。


おお、わたしの頭上の天空よ、清浄そのものよ! 高貴なるものよ! 永遠の理法などという蜘蛛もいないし、その蜘蛛の巣もないということ、これこそわたしの言うあなたの清浄さだ。


・・・あなたが崇高な偶然のための踊り場だということ、あなたが崇高な匙子を投げて遊ぶ神々の卓だ、ということだ!・・・


だが、あなたは顔を赤らめるのか? このわたしは口にしてはならないことを言ったのか? わたしはあなたを祝福しようとして、かえって冒涜してしまったのか?


それともあなたが顔を赤らめたのは、わたしたちが二人きりでいるための羞恥なのか?・・・あなたはわたしに、もう口をつぐんで行きなさいと命じるのか? はやくも・・・昼が近づいてきたから。





世界は深い。 昼が考えおよばなかったほどに深い。 昼がおとずれる以前に、言葉で語ってはならないことがある。 だが昼は近づいてきた。 わたしたちは別れよう!


おお、わが頭上の天空よ! 羞ずかしがりやのあなたは頬をほてらせる! おお、あなた、日の出前の、わたしの幸福よ! 昼が近づいてきた。 わたしたちは別れなければならない!・・・



ツァラトゥストラはこう言った。