< アインシュタインの宗教心 >
「12歳のときから権威を疑い、教師を信用しないようになったんだ。私は、ほとんどのことを家で学んだ。最初は叔父から学び、それから週に一度わが家に食事をしにやって来ていた学生から教わった。たしか、この学生から物理学と天文学の本をもらったように思うんだがね。書物を読むほどに、宇宙の秩序、人間精神の無秩序、そして宇宙創造の方法や時期や理由に関する科学者たちのいろんな解釈に当惑するようになっていった。そんなある日、かの学生がカントの『純粋理性批判』を持ってきてくれたんだ。カントを読んでからは、教えられたことすべてを疑い始めた。もはや、旧知の聖書の神は信じられず、自然の中に現れる神のみを信ずるようになった」
「エーテルは一度も観測されたことがないので、無視することにした。自然を新鮮な目で全面的に見直すことにしたんだ。私はつねづね、人はシンプルな思考で人生をシンプルに生きるべきだと考えてきたし、そうさせることが使命だとも思っている。私の理論は、物質とエネルギーを同一のものとしたので、場の力学法則の統一に成功した。いかに由緒正しい学説だろうと、そんなものは恐るるに足りない。ニュートンは、空間と時間を絶対的なものだとしたが、私は時間は四次元だと考える。ニュートンは重力を作用力だと考えたが、私は空間の歪みとみなす」
「人間は、その能力のごく一部しか使っていないし、人間が行う自然探求にも限界があるから、科学にけっして終着点はない。・・・あの木の根っこは、舗道の下に水を求めて伸びている。花は、受粉を媒介する蜜蜂に向けて、かぐわしい香りを放っている。あるいは、われわれ自身を動かしている内なる力。こうしたものを見ると、すべてがミステリアスな旋律に合わせて踊っているかのようだ。そのしらべを、はるか彼方から奏でている演奏者について、われわれは創造力とか神とか、いろんな名を与えているが、実体はわかっていないんだ」
「われわれは思考経験を観測経験に照らして評価している。こうして現実世界に秩序をもたらし、それを一般化している。しかし、数学法則を現実に合わせるほど確実性が失われる。逆に確実であろうとすれば現実に合わないということを忘れないようにしなくてはならない」
「いいかね、私の公式は両刃の剣なんだ。使い方によって幸福も災いももたらす。その選択は使う人間次第なんだ」
「人類は自然を経験的、批判的にとらえることによって進歩してきたと思っている人が多い。だが、真の知識は演繹によってのみ得られると私は思う。というのは、世の中を進歩させるのは地道な思考ではなく、直観なのだからね。直観によってわれわれはバラバラな事実に目を向け、それらすべてが一つの法則のもとにまとまるまで考える。関連した事実に当たるというのは、新たな事実を捜すかわりに手元にあるものに執着するということだ。直観は新知識の生みの親、経験主義は古い知識の蓄積にすぎない。知性ではなく直感が自分自身への<ひらけゴマ>なんだ」
「今は将来を考える時だ。君はスピノザをどう思うかね。・・・私にとっては、宇宙的人間の理想像だ。彼は名誉や地位には目もくれない無名のレンズ磨き職人だった。彼は感情を理解することの重要性を説き、感情の原因について考えを示している。人間は感情をコントロールして、はっきりものを考えられるようになるまで、けっして自由ではない。そうなってはじめて周囲の状況をコントロールし、創造的な活動のためにエネルギーをとっておくことができるようになる」
「人間の理性に畏敬の念を覚えたことはないのかね。・・・人間の直感やインスピレーションにもだ」
「サウル王も神秘主義者だった。王はエンドルの魔女を使って、預言者サムエルの霊を呼び出そうとした。ヒトラーがオカルト協会の星占い師に、自分のホロスコープを作らせたことは知っているかね。それを調べてみたらどうかな。で、スピノザに戻ろう。君は『エチカ』を読んで研究すべきだ。私は彼から、世界の創造は時間を超越していることを学んだ」
「もう子供じゃない。君もそうだろ。私にとって、神はもう父親の姿をしていない。もちろん君は詩人だからどう思うといいよ。神がどんな姿をしていようとかまわないが、神が創った世界がどんなものかは興味がある。神の意志は自然から読み取れる。関心があるのは創造の法則であって、神が長い白髭を生やしているかどうかなどということではない。私は無限の一部だ。いっさいが<永遠の相>の中にある」
「私はしばしば国宝と衝突する『なんじ殺すなかれ』という倫理規範に沿って生きることにのみ関心があるんだ」
「ヒトラー帝国の暴虐行為を目のあたりにした者なら、武器を取る以外に道はない。今なら、もし愛する人が捕らわれるか殺されるかしたり、文明が破壊されるのを見たら、私だって何はともあれ武器を取るだろうよ」
「そうだろう。私はもう無原則な平和主義者じゃない。現実的な平和主義者なんだ」
「平和主義に対する考えを変えるたびに多くの敵をつくってきたのは十分わかっている。クエーカー教徒しかり、バートランド・ラッセルやガンジーの信奉者しかりだ。しかし、原則は人のためにつくられるのであって、原則のために人があるのではない」
「悪いことは慎むようにと言うよ。まず、家庭や近所から始めること。日曜だけじゃなくて毎日だよ。若い時分はとかく自分本位で、生命への畏敬なんて、これっぽちもない。ブッダ、モーゼ、イエス、ガンジーらの倫理的教えは、私の教えなどよりずっとすばらしいよ。・・・世界は簡単には彼らの教えには従わないだろう」
「私は科学の成果の自由な交流を信じている。科学と芸術だけが有効な平和の使者だ。科学と芸術に国境はなく、条約などよりはるかに確実な国際的約束事でもある。芸術系や科学系の学生は、世界市民への道を自覚すべきなんだ」
「どういう哲学体系を理解するかは重要じゃないさ。人間は生命の神秘を解き明かす力をもつ心を授かっているということを理解すべきなんだ。こうした知識があれば、みなが思索者になれるはずだ。人間が宇宙的存在としての自らの尊厳を肉体的自我以上に自覚すれば、この世界は平和になることだろう」
「世界は不思議なものだということを認めようじゃないか。自然は、完全に物質的でも、完全に精神的でもない。人間も血と肉だけの存在じゃない。そうでなければ宗教など、あるわけがないじゃないか。原因の背後には、またべつの原因がある。すべての原因の始まりも終わりも、まだ発見されていないんだ。しかし、これだけは憶えておかなくちゃいけない。それは原因なくして結果はなく、法則なき創造はないということだ」
「病気の時には母がお祈りをしてくれたもんだ。でも蓼食う虫も好き好きだな。大自然の奇跡には興味はあるが、人間の奇跡には興味はないね。・・・もし創造のハーモニーを無条件に信じていなかったら、それを30年かけて数学公式で表そうなどとはしなかっただろう。人間を万物の霊長に位置づけ、自我や、世界と自分との関係が認識できるのは、自分の行為を意識しているからにほかならない」
「鈴木(大拙)教授のことはたいへん尊敬しているが、教育者の最高の目標は教え子たちに心を開くことだと思う。われわれはあまりにも小さく、宇宙はあまりにも広い。教え子に、人は心の潜在能力の10%ぽっちしか使っていないこと、そしてこの無限の空間の一部であり、望むならそれを理解することができると気づかせることこそが、有能な教師の役目なんだ」
「その中の最も古い文書はパウロのテサロニケ人への手紙なんだが、それが最初に書かれたのはイエスの死後20年もたってからのことで、世紀が変わってから書かれた巻もある。その時代の哲学的潮流と政治的潮流に加えて、時の流れそのものが歴史を粉飾してしまいがちだ。実際、2世紀になると、とりわけギリシャの神々の概念や神の言葉の具現化などがこっそり紛れ込んでしまった。私は、イエスが自ら神と称したかどうか疑わしいと本気で思っているんだ。というのは、彼はあまりにもユダヤ人であって、かの『聞け、おおイスラエルよ、われらが神、主は一人なり』、つまり神は何人もいないという大戒律を犯せないはずだからだ」
「ドイツにいるユダヤ人たちに、私が恐れていることを伝えるには預言者の口をかりるまでもない。心を国家的目標のみに向けたまま進軍すれば、それは堕落し、目標を正当化するために人間性に対する最も野蛮な行為でさえすすんでやってしまうということを、私は経験からわかっている。・・・歴史上、ナチス・ドイツほど暴力がはびこった時代はないだろう。あの強制収容所に比べたら、ジンギスカンのやったことなど児戯にすぎない。しかし、何よりぞっとするのは、教会が口をつぐんでいることだ。カトリック教会が将来、この沈黙の代償を払うことになるのは火を見るよりも明らかだ。そのうち、この宇宙には道徳律というものがあることがわかるだろう」
「私には宇宙的宗教感覚が備わっていると思っている。有限のものに祈っても、こうした気持ちは絶対満たされない。戸外の木は命をもっているが、偶像は死んでいる。自然の総体は生命だ。そして生命は、私が観察したところでは、人間くさい神を拒絶する。宇宙を一つの調和した全体として体験したいものだ。すべての細胞は命をもっているのだから。・・・物質も命をもっている。それはエネルギーが凝縮されたものだ。われわれの体は刑務所みたいなもので、そこから解放されたいとは思うが、そうすればどうなるかまではわからない。私は現に生きており、私の責務もこの世におけるものだ。進軍し、殺し、それから罪が許されると人は思っているが、そうではない!神は法則にもとづいてはたらいている。べつに愛が癒しの力をもたないなどと言っているのじゃない。そうではなく、私が自然法則を相手にしているということだ。これが私のこの世での仕事なんだよ」
「<宗教>という言葉を聞いたとたん、身震いがする。教会は、いつも権力者に自らを売り渡し、義務の免除と引き換えに、どんな取り決めにも応じてきたんだ。宗教的精神が教会を導くのならよかったのだが、実体はその逆だった。聖職者たちは、いつの世も、自分たちの地位や教会の財産が保護されさえすれば、政治や制度の腐敗に立ち向かうようなことは、ほとんどなかった」
「ああ、世界が求めている新しいモラルによる刺激は、何世紀にもわたって妥協を重ねてきた教会からは、おそらく生まれない。ガリレオやケプラーやニュートンといった科学者の系譜からこそ生まれてくるはずだ。彼らは失敗や迫害にもめげず、宇宙が統一的存在であることを証明するために生涯を捧げたんだ。そこには擬人化された神は存在する余地がない。と私は思う。本物の科学者は、称賛や誹謗に動ずることなく、人に説教をすることもない。彼は宇宙のベールを取り払い、人々はおのずと、そこに新たな啓示、つまり秩序、調和、そして創造の壮大さを見にくることになるんだ! そして宇宙を完全な調和に保つ見事な法則を意識するようになるにつれ、自分自身がいかに小さい存在なのか悟り始める。人間の野望や陰謀、利己主義とともに、その存在の小ささを知る。これが宇宙的宗教の芽生えだ。同胞意識と人類への奉仕が、その道徳規範となる。もし、そのような道徳的基盤がないとすれば。・・・われわれは、望みなきまでに悲惨な運命だな」
「神が人間の姿をしているからだ。つまり、宗教の発展には三つの段階がある。第一に、星とか火、地震、病気などの自然現象の脅威を見ていた原始人の段階では、こうした不可解な力を鎮める能力をもった神との仲介者が必要だった。だから何世代にもわたって聖職者階級が統治者、治療者、政治家などに発展していった。しかし、こうした原始的部族でさえも、自然の因果律を説明しようとする科学的精神が、ときおりみられるんだ。このようにして、怒りっぽい、きまぐれな神の概念は、徐々に崩れていった」
「つまり、創造における因果関係を理解することから、裁きの神という概念が発達した。神は擬人化され、わかりやすいものになった。導きと慰めを期待できるものになったのだ。しかし、人はまだ宗教上の仲介者を必要とした。これが聖職者だ。そして今日のように高度な道徳と文明をもつ段階にあっても、原始宗教の痕跡は消えてはいない。宗教の指導者たちは、信仰と政治を混同し、異教と異民族の抹殺を求めている。その信念ゆえに迫害を受けた、おびただしい数の科学者や哲学者たちの歴史を見たまえ」
「今や、人類は宗教の第三段階に入りつつある。それは宇宙的宗教だ。宇宙と、地球よりはるかに大きく、光が到達するまで何百年もかかる無数の星々の広大無辺さに対する理解が深まれば、人は自分の行為が賞罰に動機づけられていると言われるのを侮辱と思うようになるにちがいない。それはまた、すべての驚異を創造された神を、人間レベルにおとしめる侮辱でもある。真に宗教的な天才は、つねにこうした宇宙的宗教感覚を身につけており、教義も聖職者も人格化した神も必要でなかったので、異端者とみなされてきたんだ。聖詩や仏教の文献の中には、この宇宙的宗教を暗示しているものがある。異教徒のデモクリトス、カトリックのアッシジの聖フランチェスコ、ユダヤ教徒のスピノザなどもそうだった。いいかね、民族と宗教の垣根を取り払えるのは、これまでそれにしくじってきた宗教指導者たちではない。現代の科学者ならできるかもしれないんだ」
「偏見の垣根を取り払う新たな伝道者は、もはや十字架を携えてはいないだろう。彼らとは、宇宙と同じほど深遠な考えをもった現代の学生であり、未来の科学者だ。彼らは創造について、もはやおとぎ話を読まされることもなく、創造それ自身によって記された唯一の正しい本を読むことになるだろう。彼らは数学的計算によって、宇宙を支配している法則を発見することだろう」
「聖書が、かつて書かれた最も偉大な書物であることには、双手を上げて賛成する。はじめからおわりまで、それは良心を意識させる。ところが民衆は良心を好まない。彼らが愛するのはパンと娯楽だ。そして民衆の支配者は権力の座にとどまりたいと願っている。だからヒトラーは、民衆に娯楽を提供するために書物を焼いたんだ」
「エネルギー保存の法則が、物質が精神に分解するなどと言わせてくれないんだと。たとえ質量が原子や電子や運動に転化しようとも、それは依然として実在であって、永遠のエネルギー、つまり不滅のエネルギーの一つの姿なんだ。そして、この創造の統一性こそが、私のいう神なんだ」
「自由社会における教育の目的は、共同体への奉仕を最高の価値とみなしてはいるが、本当は独自の考えをもつ個人を訓練することにある。人は社会悪を克服するだけの聡明さをまだ失ってはいない。・・・しかし、人類に奉仕する無欲で責任ある献身が、まさに欠けている。宗教は、こうした無欲な奉仕を説くが、かの政教条約の主旨は『私のするとおりではなく、私の言うとおりにせよ』であることがはっきりしている」
「相対性理論は神学とは無関係だ。それが信仰と結びつくようなことは、まったくなかった。スピノザの哲学が、彼のレンズ磨きの仕事の影響を受けているなんて思わないだろう?人は何を考えるかであって、何をするかではない。真の思考の基本は直観にある。だから今の学校システムが嫌いなんだ。真理は経験全体からのみ得られるものなのに、学校では科学を多くの分野に細分化してしまっている。専門化するほうがよいなどと一度だって思ったことがない。いつも自然を、そして創造そのものを究めたいと願っている。生命の神秘が私を惹きつけるんだ。私の宗教は、不可知にみえるものを知るために、できるだけ自分の思考機能を使うことだ。本を読んだり事実を集めたりすることが、けっして科学的発見につながらないということを考えてみたことがあるかね? 直観こそ、成功の根本的な要因なんだ。・・・相対性理論の概念は、自分の知性よりも感情と関連している。私は、宇宙が決して静止しておらず、ギリシャ人のように<すべては流転する>ということを感得した。私は直観で考えるんだ」
「法則は、それが数学的なものか倫理的なものかを問わず、人間の知性の恣意的な発明品であることを忘れないようにしたい。したがって、それらが何らかの価値をもっているとすれば、どこかでわれわれの経験と結びつくはずだ。世界は五感で知覚している物理的実在であり、この物理的実在に対する固定観念ほど、科学にとって破壊的なものはない。天国や地獄、神や悪魔があるのかないのか私にはわからないが、そのような実在の形而上学的象徴には興味がない。私にとっては、この世の人類に十分奉仕できたなら、ここが天国なんだ」
「聖フランチェスコの『理解されるより理解するほうがよい』という言葉を読んだことがある。私にとって宇宙的宗教とは、一つの人類、一つの愛、一つの平和を意味するものだ」
「グループがいかに理想的で必要なものであっても、個々の構成員が自分の良心に忠実でなければならないんだ」
「われわれは生きてヒトラーの没落を見られるよ。フリードリッヒ大王やビスマルクの遺産はなにも残らない。指図されるのを好み、地上の法則より宇宙の法則を知ることが大切であることを忘れた、あわれなドイツ人たち! 宇宙の法則に、ごまかしはきかない。それらは、われわれの手に還る。文字どおり、神にとっては千年もつかの間にすぎないんだ」
「時間と空間の相対性を支配する物理法則を知ることで私は満足なんだ。悪いが、私はユークリッド、ライプニッツ、ガウスそしてリーマンの弟子であって、イエスの弟子ではないんでね。・・・自然法則を否定するのはナンセンスもいいところだよ。その前には、どんな人間の理屈も色あせるほどの英知が現われているんだから」
「スピノザは、世間の有力筋からの栄誉の申し出を断り、レンズ磨き職人として一生を終わった。もし生まれ変われるものなら、靴職人になって静かに思索したいね。ああ、今の大学には、自分が一番偉いんだという権力亡者の知性偏重主義がはびこっている。これでは、科学者が専制政治の手先と化しているのも不思議じゃない」
「スピノザが崇めた神は、わが神でもある。宇宙を支配する調和した法則の中で、私は毎日彼と対面する。わが宗教は宇宙的なものであり、わが神もまた、そのあまりの広大無辺さゆえに、人間ひとりの思惑に関心を払うようなものではない。私は畏怖に基づく宗教を認めない。わが神は、必要に迫られた行為の責任を問いつめることはないだろうからだ。わが神は、その法則を通して語りかける。われわれは来世の賞罰を恐れたり期待したりするためではなく、善行のために善を行うべきじゃないのか」
「君が帰依させたい神がつねに正しく、もとから信心していた神がつねに悪なのは、どうも納得がゆかないな。ユダヤの神はキリスト教徒の目から見れば無慈悲な神で、キリスト教徒の神は愛の神だという。キリスト教の神の御名において、はるかに多くの血が流されたというのに。その信者たちに『どうしてわが教会は何世紀もユダヤ人を苦しめてきたのか?』と、自らの胸に問わせてみたまえ。そうすれば彼らは、まず自ら改宗し、宗教と歴史の書物を書き直すはずだよ」
「自分は宗教的人間で、ユダヤ教…キリスト教倫理なくして世界は存続できないと思っている。もっとも、権威筋の主張を受け入れるのには、ひどく慎重だがね。人間の内には自分という存在を知ろうとする不思議な推進力が存在する。そのためには、どうしたらいいのか?ガリレオは、観測された事実を相互に結び付けるという思考方法を創始して道を示してくれた。人間の尊厳は、教会に所属することによるのではなく、注意深い探求心、自分の知恵に対する信頼、物事に対する判断、とりわけ創造の法則に対する尊厳によるのだと思う」
「私が信じるのはただ一つ、他人のために生きる人生のみが、生きるだけの価値があるということだ」
「しかし、良心は操られうるのも確かだ。<ハイル・ヒトラー>と唱えたドイツ人の多くは、教会に熱心に通う人々であった。知性が世を救ったためしがないという点では、君と同意見だ。世の中を良くしようと思うなら、科学的知識ではなく、理想をかかげて行動する必要がある。孔子、ブッダ、イエス、そしてガンジーは、人類のために科学がなした以上の貢献をした。われわれは人間の心、すなわち人間の良心から出発すべきだ。そして良心の価値は、人類に対する無私の奉仕によってのみ表に現れる。この点については、教会にかなりの罪があると思う。教会は、つねに支配者や政治権力を持つ側につき、総じて、しばしば平和と人類を犠牲にしてきたんだ」
「教会がいかに罪深いか、ローマの異端の哲学者セネカは教えてくれる。彼は『制止することができるときに罪悪を防がない者は、それを奨めているのと同じだ』と書いている」
「宗教と科学は調和するものだ。・・・前にも言ったように、宗教を欠いた科学、科学を欠いた宗教、どちらも不備なものだ。両者は互いに依存しており、真理の追求という共通の目標をもっている。だから、宗教がガリレオやダーウィンなどのような科学者たちを排斥するのは本来おかしいんだ。・・・科学者が神は存在しないというのも、やはりおかしい。本物の科学者は信仰をもっているからね。・・・それは、教義を受け入れねばならないという意味ではないよ。宗教がなければ博愛精神もない。一人ひとりに与えられた魂は、宇宙を動かしているのと同じ生きた精神によって動かされているんだ」
「私が信じているのは・・・愛し、奉仕する、といった、この世の義務を果たすかぎり、死後のことを心配する必要はないってことだ」
「私は12歳にして、早くもユークリッド幾何学に驚嘆した。もちろん、奇跡か神技のように思ったのは、経験を補完する論理思考にほかならなかった。しかし、いまだに不思議の連続の毎日だ。そして私を不思議がらせるのは、創造の理法に対する信仰なんだ」
「そうだ。私が信ずるのは宇宙のことだ。合理的だからね。どんな出来事にも、その根底に法がある。それに、この世における自分の目的も信じている。自分の良心の言葉である直観は信じるが、天国や地獄についてどうこう言うのは信じない。今この場所、この瞬間に関心があるんだ」
「科学に基礎を置かない哲学は無意味だ。科学は発見し、哲学がそれを解釈する」
「ドイツ人は自由意志を持っていなかった。教育や環境や軍隊的思考に支配されていたからだ。しかし戦争に負けたとたん、その伝統はおそらく滅び、新たに自由意志が育ち始めたんだ。で、彼らはそれをどう使ったかというと、ヒトラーを選んだのだ。そろそろユダヤ人に三つの借りがあることを学ぶときだ。すなわち、道徳律、ギリシャ論理学、それに彼ら自身の言語の洗練だ。聖書がなかったらルターもなかっただろう。ドイツ人は本当の宗教感覚を育てたことがないのではないか、と思うよ。彼らは強大な権力者を生んだが、道義的責任は育てなかった。・・・ドイツ人には『自分自身を愛するように隣人を愛せ』というのが甘すぎると思われたのか、それともモーゼが言ったのが気にくわなかったのだろう。・・・ドイツ人にはイライラさせられるよ。正義の基本というものがわかっていない。伝統宗教もそうだ。その長い歴史は、『なんじ殺すなかれ』という戒律の意味を理解していなかったことを証明している。この世界を想像もできないような破滅から救おうと思うなら、はるかな神ではなく、一人ひとりの心に注意を向ける必要があるんだ。われわれは今、核兵器による第三次世界大戦の瀬戸際という国際的無秩序のまっただ中にいる。一人ひとりに良心を意識させねばならない。そうすれば、次の戦争では、ほんのわずかな者しか生き残れないことを良心によって悟り、宇宙的人間となることだろう。・・・それが神の御心にかなうことだと思うよ」
「教師は基本的な目的と評価を明確にしなければならない。それを最大の義務と心得たなら、教師は心底から宗教的人間になる。世界を救おうと思うなら、強烈な人格をもった教育者が必要だ。学生たちに必要なのは客観的知識ばかりではない。人類に対する奉仕が目的のはずと悟るように、若者たちには責任ある成長をしてもらいたい」
「秘書のミス・デュカスが手紙の山を見せてくれるだろう。実は、私は原爆の研究開発には、まったく関わっていない。ローズヴェルト大統領宛の手紙といわれているものは、マンハッタン計画について科学者たちとワシントンとの間に適切な関係をつくりたいと希望していたシラード博士のための紹介状にすぎないんだ。私はただ、ドイツが原爆に取り組んでおり、実際にチェコスロヴァキアのウラン鉱山を手中に収めたと聞いて、核兵器からの防衛問題を論じただけだ。ヒトラーが原爆でロンドンを破壊する前にアメリカが原爆開発に着手するのもやむを得ないと思ったんだ。ドイツにアメリカの力を見せつける必要があるとも考えた。野蛮人に通じる唯一の言語が腕力だからね。のちになって、原爆がすでに完成し、日本に落とす計画があると知ったとき、私は全力を挙げてトルーマン大統領の計画をやめさせようとした。世界が見守る前で無人島に投下するだけで、日本でも、どんな国でも降伏させるには十分だったからだ」
「資本主義が諸悪の根源なのではなくて、人間自身がそうだ。人の心を変えねばならないんだ」
「人間性を向上させるのは知性ではない。直観なんだ。直観が、人のこの世における目的を教えてくれるんだ」
「永遠を約束されることで幸せになりたいとは思わない。・・・私の永遠は、今、この瞬間なんだ。興味があるのはただ一つ、今自分がいる場所で目的を遂げること。この目的というのは、両親とか周囲から与えられたものではない。なんらかの未知の要因に誘われたものなんだ。エルサ・ブラントストレームも、われわれの内なる自己を形成している未知の要因に霊感を与えられたのだと思うね」
「自分の肉体の死後については何も想像できない。たぶん、すべてがおしまいになるのだろう。自分が今ここにおり、そして永遠の神秘的な一部であることを知っているだけで私は十分満足だ。若い頃から、いつも家庭や友人や世間から離れていたので、私の死も気楽なものだろう。もし生き続けるとしても、あの世はこわくない。私が善行を少しでもつんだとすれば、それが自分自身の開放に役だつんだ。善のためではなく、宗教があの世で賞罰が待っていると教えるから善を行うのだとしたら、人間とは何とつまらん生き物だよ」
「十戒はユダヤ人を聖なる民として、多宗教と人身御供と不道徳行為を奉ずる周囲の民族と区別するために与えられたんだ。ユダヤ教は一神教で、それゆえ今日まで憎まれている。ヒトラーは、一神教と十戒をユダヤ人の概念だとして、それらを破壊することがドイツ人の最高の義務だと公言した。ヒトラーはドイツの神になりたかったんだ。ユダヤ教の真価は、その精神的で倫理的な内容と、それにふさわしい個々のユダヤ人の素質にある。キリスト教徒から二千年にわたって迫害されたにもかかわらず、ユダヤ人は思考の精神的深化を愛することをやめなかった」
「もし、各宗派に注文をつけられるのなら、まず、自ら回心することから始めなさいと言いたい。そして権力政治をやめることだ。彼らがスペイン、南アフリカ、そしてロシアで、どれほどひどい災厄をもたらしたか考えてみたまえ。・・・教会が博愛主義という意味で多大な貢献をしたのは、ぜんぜん否定しない。が、残念ながら、その霊的権威がしばしば悪用されてきたと言わねばならない。権力の維持強化のために、教会はしばしば、自ら政治権力にへつらってきた」
「わが神は、君が考えている神とちがうかもしれないが、わが神について言えることは、私を人道主義にしてくれたことだ。自分がユダヤ人であることを誇らしく思うのは、ユダヤ人が世界に聖書とヨセフの物語をもたらしたからなのだ。生涯私は、人の命を救うように努めることだろう」
「次に原爆が使われたら、世界の人口の三分の二以上は死んでしまうだろうが、もう一度やり直すのに十分なだけの人間が生き残れるだろうね。・・・破壊を防ぐ手だてはある。邪悪な心を征服さえできたらね。科学的手段に頼らず、われわれ自身が心を入れ替え、勇気をもって語れば、人の心を変えられるだろう。自然の力についての知識は惜しみなく分かち合うべきだが、それは悪用を防ぐ手だてを講じた場合にかぎられる。戦争と平和は同時に準備できないということを悟らねばならない。心を清めて初めて、われわれは世界を蔽っている恐怖を振り払う勇気を見出すだろう」
「原子力問題は、ご存じのとおり、科学というより倫理上のものだ。原子力時代が来ているというのに、人々が頭を切り替えようとしないのが私には歯がゆいのだ。で、あたりを見回すと、米国でも個人が束縛されつつあるじゃないか。ロシアの脅威に対抗するために好戦気分が盛り上がり、すべてが平和どころか戦争に向けて準備されているみたいだ。今の資本主義的な兵器生産への関心は、クルップたちがヒトラーと手を組んだことを思わせる。軍需産業は金の生る木だ。資本家たちは豪邸や土地やヨットを手にしている」
「フォードのことだが、資本家が成功を経験して国家主義者になったとき、どれほど危険な存在になるかがよくわかる。彼らが言うように<金にものを言わす>わけだ。なるほど、アメリカは民主主義でヒトラーはいない。しかし、将来が心配だ。アメリカ人の前途は多難で、内外のトラブルに見舞われるだろう。アメリカは、黒人問題もヒロシマもナガサキも、笑って忘れてしまうようなことはできない。宇宙法則があるかぎり」
「自分が創造した物に賞罰を与えるような人間的な神は信じないと、また言わにゃならんかね? 神は、拝めばどうにでもしてくれるような宇宙法則など創造するわけがないよ」
「牧師さん、それは人間が神様の姿に似せて造られた・・・つまり擬人化・・・などと教える宗教じゃないんだ。人間には無限の次元があり、その良心の中に神を見い出した。この宗教(宇宙的宗教)では、世界が合理的であり、人は世界を思い、その法則を使って共に創造することが究極の神意である、という教え意外に教義はない。ただし、そこには条件が二つだけある。一つは、不可解に見えるものが日常のものと同じほど重要だということ。二つ目は、われわれの能力は鈍感で、表面的な知識や単純な美しさしか理解できないということだ。しかし、直観を通すことによって、人の心は、われわれ自身と世界について、より大きな理解をもたらしてくれるんだ。 私の宗教はモーゼが基本だ。神を愛し、自分と同じように隣人を愛せよ。というものだ。そして私にとって、神は[他のすべての原因の根底にある]第一原因なんだ。ダビデや預言者たちは、正義のない愛、または愛のない正義はあり得ないということを知っていた。それ以外の宗教的な飾りは不必要だ」
「何でも知るだけの力はあるが今は何もわかっていないと悟ったとき、自分がさほど重要ではないと謙遜したとき、自分が無限の知恵の海岸の一粒の砂にすぎないと思ったとき、それが宗教者になったときだ。その意味で、私は熱心な修道士のひとりだといえる」
「でも結局われわれは同じなんだ。みんなサルの子孫なんだからね」
「世界にこう伝えてほしい。もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、1905年に発見した公式を破棄していただろうと。そして、次の二つの創設に協力してほしい。世界青年会議と、唯一軍事力を認められる超国家政府だ。戦時中、君が言っていた国際平和維持軍は、今こそ実現させるときだ。君は社会学者で、まだ若い。これを天命と心得てほしい。君はヴェルダンを経験した。人生を意義深いものにしたまえ・・・詩だけではもったいない。もはやゲーテやシラーやハイネの生きた時代じゃないんだ。人生を価値ある目的に捧げるんだ。・・・目的地ではなくて価値ある目的だよ」
「アメリカは、しかし、・・・ロシアを軍備の口実に利用して、一層恐るべき核兵器をつくっている。もっと若ければアメリカに愛想をつかしていただろう。自由に学問ができて、兵器のないところで暮らしたい。精神的価値が国家に抑圧されないところで住みたいもんだ。隣人愛から遂行しないものに真の価値はない。かわいそうなアメリカ・・・黙示録の騎手は近づいている」
「私の生涯最大の悲劇は、良心にかかわる決定を行う場面で科学者と宗教指導者は安全のために国家と妥協する、ということを発見してしまったことだ。もう私は老いた。大変有名にはなったが、とても寂しい思いだ」
「物質には永続性はないが、エネルギーにはある。エネルギーと結びついた物質が宇宙の実体なんだ。・・・相対性理論はね・・・時間と空間が絶対で孤立したものだというニュートンの理論を廃し、そのかわり、それらが一体のものであると主張している。何年も考えたのちに、私はニュートンの重力概念を放棄した。私の重力理論は、惑星の運動に適切な背景をもたらす時空統一体の湾曲を仮定した。惑星や星雲や光線などの天体は測地線上を運動している。この湾曲した時空統一体の中の二点を結ぶ、最短で、かつ最も抵抗が少ない進路をたどるわけだ」
「今、国家主義が危険なのは、ロシアよりもアメリカだと思うよ。・・・合衆国を共産主義から防衛するという口実で、非米活動委員会は魔女狩りの手段に訴え、先の大戦で功績があった何人かの将軍でさえ槍玉にあげる始末だ。この共産主義への恐れは、心理的偽装工作のように思える。それは、ヒトラーが、身内から自分の権力を守るために外の危険を強調したやり口だ。共産主義であれ、キリスト教であれ、私はいかなる全体主義体制にも反対する。私は人間の心の幅の広さを信じ、その自由な発展のために身命を賭している。心の自由な発展は、慣行に縛られず、人が理性の統制力を信頼したときにこそ、はじめて可能になる」
「ヒトラーは、良心がユダヤ人の発明品だと言って、最高の賛辞をわれわれユダヤ人に贈ってよこした。不幸なことに、良心は都合よく解釈されたり悪用されることもある。
「思想の自由、表現の受有、軍隊からの自由、機械からの自由のためにあれほど長く戦ってきた私が、なんで共産主義呼ばわりされにゃならんのだね?」
「覚えているかぎり、私は大衆教化には憤りを感じてきた。盲目的な信仰における生や死への恐怖などは信じないのだ。人間的な神は存在しないと証明することはできない。しかし、その神について語るならば、私は嘘つきになってしまう。勧善懲悪の神は信じない。私の神は自分は創った法則に、そのすべてを任せている。彼の宇宙を支配するのは、人間の甘い願望などではなく、不変の法則なのだ」
「教会に行く人が即、倫理観をもっていることにはならないよ」
「われわれ全員が純粋な心と意志をもたなければならない。一国が、その研究成果を他の国から隠しおおせると思うのは、ばかげている。科学的発見を分ちあうのが最高の知恵なんだ。世界政府と原爆の国際管理以外に選択の道はない。でなければ、すべては終わりだ」
「良心に基づく人間の最高の品性を発揮させる社会をつくるんだ。知性を神とするなかれ、と人々に警告しなきゃならん。知性は方法は知っているが、感覚が認識する価値については、ほとんどわからない。人が創造的全体の一部としての役目を果たさなければ、人間たる価値はない。真の目的に背いているからだ」
「私は人の友愛の個人の独創性を信じている。では、それを証明しろと言われても、むずかしいな。君は全生涯をかけて、信じるものを確かめてみることができる。そして説明をつけるかもしれないが、それはまったく無益だろう。とはいえ、信念とは、われわれのこの存在みたいなもので、それは事実なんだ。まだ信じるものを見つけていないのなら、自分が何を感じ、何を望んでいるのか知ることにつとめてごらん」
「ものを見るとき、真実という点から考えてはいけない。というのは、真実は思考の上だけに存在ずる概念であり、概念を扱う命題のかたちで表されるからだ。まず実在に触れることから始めなくてはならない。次に、それを取り巻く理論を構築することによって、実在の知的イメージを形成する。最初に観測し、それから数学的手法を使って観測したものを具体化するということだ。実在するものは、こんなふうにして真実となるわけだ」
「経験と無縁な知識を得るためにもね。もし純粋思考で考えるなら、実在を完全に理解することができる。経験は役に立つかもしれないが、経験がなくとも物理的実在の範囲を拡大する十分な理由がある。この目に見える太陽系の陰には多くの見えない太陽系があるが、それを確かめるために現場に行く必要はない。・・・そう単純ではないんだが、知識もやはり必要なんだ。直観的な子供でも多少の知識がなくては何もできないだろう。しかし、誰の人生にでも、正確な知識なしに直観だけが達成できる部分があるはずだ。どうしてそうなるのかわからなくとも、直観は事実として受け入れねばならない」
「私は、人の言うことすべてを疑った。自分で答えを見つけようとしたんだ」
「なぜ疑問に思うのか考えないように。ただ疑問のおもむくままにすればいいんだ。答えが出ないからと悩む必要なない。わからないものに説明をつけてしまわないことだ。好奇心には、それなりの理由がある。永遠の神秘、生命の神秘、そして実在の背後にある驚くべき体系の神秘を思うとき、畏怖の念を覚えないかね? そして、見たり、感じたり、降れたりするものを説明する道具として、そうした体系や概念や公式を用いることが人の心の不思議なところなんだ。毎日、少しずつ理解するようにつとめなさい。聖なる好奇心をもつことだよ」
「私の目標は物理学の統一にあった。もう二十年以上も費やして、電気力学と量子論を相対性理論に組み入れようとしてきたんだが、うまくいっていないんだ。・・・この世界は、人間が理解可能な一つの統一体として創られたと信じなければならない。もちろん、この統一された創造を探求するには、ほとんど無限に長い時間がかかる。しかし、物理学の統一が私の最高の聖なる職務だ。単純性がこの宇宙の基準なんだ」
「自然現象を説明するのに必要最小限の概念を開発し、それらを結ぶ論理的関係を見つけることにある。ギリシャのタレースは、水が基本物質であるとした。やがて、分子集団が固体、液体、気体に還元された。今の科学は、一次系と二次系についての感覚的印象を統一しようとして、三次系を扱っている。私はまだ、数学を極め尽くしてはいない。頂点をめざして、ただひたすら登っている。すべての自然現象を一つの公式のもとにまとめようと、もう二十回以上はやってみた。あらゆる数学体系を使ったのだが、どうもうまくいかないんだ」
「あらゆる問題の根底には、貪欲な人間の獣性がある。軍事的覇権の追求ほど、国家にとって危険なことはない。それはアメリカとロシアの双方がもっている計画なんだ。私は以前から、軍事複合体が人類を滅ぼすだろうと何度も訴えてきた。ことに、<剣によって生きるものは剣によって滅びる>という格言を忘れた無知な政治家どもが若者に軍人精神を吹き込もうとする場合にはね。・・・現に、たった数カ月で数十万人もの若者が戦死したヴェルダンの戦場の生き証人が、ここにいるじゃないか」
「宇宙的良心を創造しなければ、みな確実に滅びてしまう。だから、明日の政治を担う若者たちと共に、個人のレベルから、それを始めなくてはならない。・・・皇帝は兵士の良心を握ろうとした。そして、数年のちにヒトラーが自分をドイツ人の良心だと言ったのを、みな覚えている。しかし、自分の良心に対して個人がもつべき責任を、他の者、ましてや国家に任せるなんて、とんでもないことだ。こんな考えをもっているから、私は孤立するんだ」
「自分の命が他の同胞より大事と考えるような人は、ドイツ人は特にそうだけれども、生きる資格がないと思う。私はいつも、生まれついての正義感と責任感をもっていた。・・・だから、ドイツ人にあれほど嫌われたんじゃないかな。お望みの人間をこしらえるような国家は信用しないし、楽隊に歩調を合わせて行進するような人間も嫌いだ。体制によるヒロイズムほど卑しむべきものはない。この国の若者を見なさい・・・これがキリスト教文化というものだとはね!」
「若者たちと行動するんだ。人の心を変えるという目標をあきらめてはいけない。手に負えぬかもしれんが、やってみるだけの価値はある。それがどういうことかわかるかね。最初、人は偶像化されるが、やがて踏みつけにされ、あげくの果てに呪われる。だから、ライン人気質を忘れないように。一人になるんだ。そうすれば、よい詩を書く時間もできるよ。・・・一人になるんだ。そうすれば、真実を求めて、あれこれ考える時間ができるよ。聖なる好奇心をもちたまえ。人生を生きる価値のあるものにするんだ」
「真実には揺るぎない態度で臨み、知性を良心に奉仕するものにしようじゃないか。われわれユダヤ人は、ヘブライ語で愛と正義を意味する<ミスパット>という言葉を持っている。正義を欠いた愛を説く宗教が多すぎる。あらゆる人に好ましい状況が存在しない限り、また、宗教が、どのような教義をもつかにかかわらず、全人類にとって好ましい状況をつくることを最大の義務と考えない限り、愛と正義は堕落してしまう」
「大宇宙と小宇宙の中間に存在することを満足に思うべきだ。静かにたたずみ、そして不思議の念をもつんだ。成功者ではなく、価値ある人間になるよう努力するんだ。周囲の人々が、いかに人生において費やした以上のものを得ようとしているかを見たまえ、価値ある人間は、自分が受ける以上のものを与えるのだ。創造的になりなさい。しかし、自分の創り出したものが人類にとって災いとならないように確かめねばならない」
「アメリカ人として、ローズヴェルト大統領にドイツが最初に原爆を開発する可能性を知らせねばならないと思ったんだ。今にして思えば、手紙を書く前に、もう一度考え直すべきだった。現在、軍縮が検討されているが、それで戦争が完全になくなることはないだろう。軍需産業は、あまりにも強大だ。<平和を望むなら戦に備えよ>ということわざは、もはや嘘になった。だから、戦争につながるような状況は変えねばならない。なのに、この国では、子供たちがいまだに銃をおもちゃにして遊んだりしているんだ」
「第四次大戦が起こるとすれば、棍棒で戦うんだろうね」
「救いは自己認知である。最も内面の自己・・・絶対法則もしくは神・・・へと至る道である」