< 如 是 経  序 品 >



〜 光炎菩薩大師子吼経 (ツァーラトゥーストラ) 〜







 譯名は「如是経」と簡単に、一名を「光炎菩薩大師子吼経」と命じました。 この譯名については、譯者の私見で、最も大胆に思い切って、東洋式・就中純佛教ぶりに翻へしました。


 如是といふ文字は一つの熟語になって居りますので、原語のAlsoをそのまま翻へしたものと思って戴ければそれでよろしいのでありますが、如是の意義については、佛教では、大分やかましい寓意がありますから、佛教式にこの字を用ひました以上、読者諸君にも、その意義を承知して置いて貰ひたいのであります。


 但し、その解釈に移ります前に、予め申し上げねばならぬことは唯この題名のみに限らず、此の如是経の翻訳の文は別として、注釈論評の拙文だけは、殆ど全く純佛教殊にわが親鸞聖人の宗教信仰に基づいてゐることであります。


 親鸞聖人の教へを基調とすると申しましても、勿論人一倍凡愚な私のことでありますから、聖人の教義に対し奉っても、誤解だらけ見当違ひだらけでありまして、所謂盲者の大象を撫する底の批判や引用を致すことでありましやうし、聖文冒涜の大罪を犯すことと存じますが、唯一つ、愚者なればこその一徳とでも申しますか、種々の因縁相重なり、許多の善き人々の恩寵を蒙りました御蔭で、どうやらかうやら、聖人の信海中に遊戯三昧する多幸多福の身とならせて戴きました結果、多年読み来たりましたニーチェ先生のこの「如是経」に対する解釈の如きも、従前とはがらりつと打って変わった見方になり、のみならず、従来西洋の註釈家や論評家達の文を以てしても、依然難解謎の如くであったそれぞれの言語文章が、・・・少なくとも私の信念中では・・・快刀乱麻を断つが如くに、解き得られ、釈し得られるに至ったことだけは、真に唯々不思議と申す外はないのであります。


 申すまでもなく、聖人の宗教は佛教であります。 聖人を通じて、通佛教を観るやうになりました私は、佛教的見地に立って、ニーチェ先生の如是経を身読するやうになったのでありますから、本書の訳名につきましても、前申します通り、どうしても佛語を用ひざるを得なかったのであります。


 そこで、いよいよ如是といふ文字の解釈を致すべき順序となりました。 之に就いては、私の覚束ない文字を羅列するよりも、古聖の解釈を其のまま拝借するのが間違がないと信じますから、龍樹菩薩の大智度論を引用させて戴きます。


「問うて曰く、

諸佛の経は何を以ての故に、初めに、如是の語を称ふるや。

答へて曰く、

佛法の大海は信を以て能入と為し、智を以て能度と為す。 如是とは即ち是れ信なり。 若し人、心中に信有りて清浄なれば、是の人能く佛法に入る。 若し信なければ、是の人佛法に入る能はず、不信の者は是の事是の如くならずと言ひ、信者は是の事是の如しといふ。 譬へば牛皮の未だ柔かならざれば、屈折すべからざるが如く、無信の人も亦是の如し、譬へば牛皮の已に柔らかなれば、用に随って作すべきが如く、有信の人も亦是の如し。

 復次に、経中に、信を手となすと説く。人は、手ありて、宝山の中に入れば、自在に能く取れども、若し手無ければ、取る所あること能はざるが如し。 有信の人も亦是の如く、佛法の無漏の根力・覚道・禅定・宝山の中に入りて、自在に取る所あり。 無信は無手の如し。 無手の人は宝山中に入るに則ち所取あること能はず。 無信も亦是の如く、佛法の宝山に入って、都て所得なし。・・・是を以ての故に、如是の義は佛法の初に在り、善信の相なるが故なり。」


 佛経の首は如是我聞であり、この如是経の題名は如是彼説であります。 彼説は即ち我聞であります。 唯二者の相異なるところは、佛経諸経は佛の所説を如是と信じ、如是経はニーチェ先生己心の声を如是と信じ、その信ずる当体を向ふへ廻して、彼説即ちツァーラトゥーストラ所説とした点に存するのであります。 その何れにしましても、龍樹所説の如く、信が第一義であることは、忘れてならない肝要事であります。


 佛教では如是を信成就と申し、我聞を聞成就と申します。 之に対して彼説を何と云ひますか、 彼説は即ち我聞でありますから、やはり聞成就して、如是経一巻が出来たものと見るより外は無い。 それゆゑ、原名のツァーラトゥーストラを彼の一字に縮めて、「如是彼説とすれば、字義そのものとしては全訳であります。 その彼を取り去り説をも取り去って、単に如是に略して、別に経の一字を加へたのが、即ち訳名の「如是経」であります。


 経といふ貴い文字を、ニーチェの著作に奉ること、甚だ以て然るべからず、勿体なし恐れ多し、と難ずる方々があるかも知れませんが、私の信念中には、ニーチェ先生の本書へは、経の一字を奉って然るべきものと存ずる仔細が十二分に潜んでをりますので、何の惜しげもなく、何の憚るところもなく、極めて信順敬虔の念から、経の一字を奉ることに致しました。 「聖を経と為し、菩薩を論と称す」と云ふが如き字義に拘泥してはなりません。


 しかるところ、更に別名を加へまして、


 光炎菩薩大師吼経


と訳名を附したについては、読者諸君の中には、或いは眼を瞠って驚かるる方があるかも知れません。


 私見によれば、本書所説の超人は佛であり、超人を説くツァーラトゥーストラは佛経に見ゆる菩薩であります。 かるがゆゑに、光明に縁あるツァーラトゥーストラを佛典の中の諸菩薩の御名から翻訳すべく、いろいろ諸経を拝読してゐますうち、華厳経の巻の第一世間浄眼品に、浄慧光炎自在王菩薩といふのが居らせられましたので勿体なくもその御名を拝借することにいたしたのであります。


 また大師子吼の四文字は、勝鬘師子吼経から拝借しました。 佛語の師子吼は無畏の意味であります。 維摩経佛国品に「法を演じて畏るる無きこと猶ほ師子吼の如し、」とあり。 肇師の同柱には「師子吼は無畏の音なり、凡そ言説する所、群邪異学を畏れず、師子吼ゆれば衆獣之に下るに喩ふ、」とありまして、ツァーラトゥーストラの無畏説法を喩うるにも、極めて恰当の文字であるのみならず、獅子その者が、勿論譬喩的の意味で、本書に屡々現はれ来たるところから、斯く大師子吼経と訳出した次第であります。




< 初 転 法 輪 >


 光炎菩薩、御齢三十にして、その故郷を去り、故郷の湖辺を去りて、遠く山に入りたまへり。 山に住して禅定に入り、孤独寂幕を楽しみたまふこと、茲に十年なるに、未だ嘗て倦みたまふことなかりき。 十年の後、心機遂に一転、某の朝、曙光を仰いで起ち、昇る大日輪を仰いで、語って曰く、


 「われ、星中の王たる汝に告ぐ。 汝は照すを以て汝の生命とす。 若し、照さるべきものなかつせば、汝何を以てか汝の幸福となさん。

 汝の来ってわが仙窟を照らすこと、十年まさに一日の如し。 然れどもこのわれなく、わが鷲なく、わが蛇なかつせば、汝恐らくは、汝の光と汝の道とに飽けるならん。

 さはれ、吾等は、朝ごとに汝を待てり、汝の光明を享けて楽めり、楽んで後汝の幸を祈れり。

 見よ、蜜を作りて多きに過ぎたる蜂はその蜜に飽けるならずや。 われもまた智を集むること多きに過ぎたり。 われは、延ばし来る多くの手を要む。

 かの賢きものの、再びその愚かなるを曉りて喜び、かの貧しきものの、再びその富めるを覚えて喜ぶに至らんまで、希くはわれ、或は施し、或は頒たん。

 かからん為に、われはこの山を降りて谷に趣かざるべからず。 ゆふべ夕べ、海の彼方に没して猶ほ下界に光を恵む汝の如く。

 われは汝の如く沈み行かざるべからず、沈み行くとは人の語なり、われは、その人の許に趣かんとす。

 されば、静かなる汝の眼よ、餘りに大いなる人の幸をも、猶ほ且つ些の嫉妬なく眺め得る汝の眼よ、われを祝せ。

 されば汝、わが盃を祝せ、盃はまさに溢れんとす、水は金色の波を湛へて、盃の外に溢れ出で、八面玲瓏として、汝の快楽を映じ出だすをみよ。

 見よ、盃の水はまさに虚しむらんとす、而してわれ光炎は、再び人とならんとす。」


 かくの如くして、光炎菩薩の還相廻向は始まる。




〜 登張竹風 (大正十年十月)〜